今日のタイトルは不穏なものとなってしまった。今日の記事は、ラザロの復活という有名な物語の後日談である。ラザロは死後四日目に、墓の中からよみがえった。これはキリストご自身が神のメシヤであることを啓示する第七番目にして最大のしるしであった。この奇跡を大勢の人が目撃することになる。このしるしにより、多くのユダヤ人たちが信じることになる(45節)。これで、めでたし、めでたし、と物語は単純ではなかった。確かに続く12章を見れば明らかだが、ラザロの復活を通してキリストの人気はうなぎ上りとなり、キリストへのメシヤとしての期待は高まる。一方で、キリストを地上から抹殺しようとする動きも、これを機に本格化し、十字架は間近となっていく。

ラザロの復活現場にいたであろうユダヤ人たちのうち、幾人かがキリストを敵視するパリサイ人たちのところに足を運んだ(46節)。何の悪意もなくキリストのしたことを告げに行ったのか、密告というかたちで足を運んだのか定かではないが、どちらかと言うと後者という気がする。

当時、エルサレムには、サンヘドリンと呼ばれる立法府があった。47節で「議会」と訳されているのがそうである(新改訳2017「最高法院」)。サンヘドリンは国家の中枢機関で、政治と宗教の権力の座であった。サンヘドリンは「祭司長とパリサイ人」によって構成されていた。これには少し説明がいる。当時のユダヤ教の主な宗派は四つあった。一つはサドカイ派。大祭司をはじめ祭司長たちはサドカイ派であった。彼らはモーセ五書だけを聖典とし、死後の世界も死後の復活も霊の存在も御使いも信じてはいなかった。おそらく彼らは数百人にも満たない人々であったが、社会のトップに立つ富裕な貴族階級の人々であり、莫大な富を独占する大地主でもあった。彼らの富への執着はキリストの非難の的となった。彼らは政治的影響力を持っていたわけであるが、宗教的影響力は低かったと思われる。しかし祭司は世襲制なので、サドカイ派の彼らが祭司職をほぼ独占していた。次はパリサイ派である。彼らは儀式的聖さに力点を置く人たちで、律法の規定を拡大解釈し、細かな規則を日常生活に持ち込んだ。この当時、パリサイ派の総数は6千人であったと言われているが、パリサイ派の帰依者を入れると2万5千人以上だとも言われている。そのうち2万人がエルサレムに住んでいた。彼らの宗教的影響力は大きかった。福音書でキリストとことごとく対立するユダヤ人のほとんどが彼らであった。彼らは死後の世界も霊の存在もサドカイ派と違って信じてはいたが、サドカイ派の人も、パリサイ派の人も、バプテスマのヨハネによって「まむしのすえたち」と呼ばれている(マタイ3章7節)。「まむしのすえたち」がサンヘドリンを構成していたことになる。三つ目は、エッセネ派である。彼らは世俗と分離し、砂漠で隠遁生活を送っていた。20世紀最大の考古学の発見と言われているものに「死海文書」があり、旧約聖書の写本等が発見されたわけであるが、それらは、彼らが保有していたものであると言われている。彼らは律法を極端なまでに厳格に解釈して実践していたと言われるが、彼らは福音書には全く登場しない。その理由は単純である。それは彼らがパリサイ派とは違って、会堂や街の広場にいることはなかったからである。四つ目はゼロデ党(熱心党)。ユダヤ教の極右政党で、政治的革命勢力である。キリストの弟子の一人は熱心党員シモンである。

さて、祭司長とパリサイ人たちはサンヘドリンを招集した。サンヘドリンは、大は70人から成り、小は24人で編成されていたと言われるが、この時、国を揺らすイエスという男をどうするか、協議するために集まった。しかし、その方向性は明らかである。38年間病気であった男のいやしの後、「ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった」(5章18節)。仮庵の祭りの時は、「彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした」(8章58節)。「ユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていた」(9章23節)。そして宮きよめの祭りの時、「ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた」(10章31節)。彼らは、ラザロの復活の後、抹殺してしまいたいイエスという男を民衆が担ぎ上げるのではという恐れがピークに達した。

「もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる」(48節)。これはどういうことであるのかと言うのなら、当時のイスラエルはローマ帝国の支配下にあったということとともに、ユダヤ人たちは諸外国の圧政からイスラエルを救い、諸外国に君臨するメシアを期待しており、その機運がピークに達していたということがある。ユダヤ教の古文書に次のような文章がある。「メシアは現世的な救出者でなくてはならない。至るところに翻るローマの軍旗を一掃し、神の選民を、毎年納めなければならない重税から解放する者でなくてはならない」。「人々は、メシアが強者から弱者を守り、反撃に出て復讐を果たし、剣によって帝国を築き、剣によってその帝国を守る者として期待していた」。歴史家ヨセフスは、キリストが誕生した頃、ガリラヤのガマラ出身のユダが立ちあがり、ローマ総督に抵抗し、大反乱を起こしたことを伝えている。この頃のユダヤは、いくつかの扇動集団が何者かを指導者に祭り上げさえすれば、その者は即座に王にのし上がり、民衆を誤って導いてしまうような情勢にあった。これがキリストが宣教を開始した時の国内情勢であった。キリストはご自身が武力によって国を築く政治的メシアと誤解されないように慎重に行動し、また民衆を教えてきた。民衆はキリストの言動に肩透かしを食らうも、その行われた数々のしるしに惹きつけられ、キリストの人気はピークに達しようとしていた。

そして、この頃、過越しの祭りが近づいていた(55節)。過越しの祭りとは出エジプトを記念する祭りで、すなわち、モーセがイスラエルの民をエジプトでの奴隷状態から解放した出来事を記念する祭りであった。多くのユダヤ人たちは、この頃、新しい出エジプトを期待していた。すなわち、異邦人のくびきから解放して、ローマの支配から完全に救ってくれるメシアの出現を期待していた。過越しの祭りは、神がイスラエルをエジプトから解放したことを思い起こすだけでなく、神がその民をローマから解放することを熱望する時でもあった。過越しの祭りには数十万の民がエルサレムに上って来るとされていた。キリストも過越しの祭りに上って来る可能性は高い。群衆がキリストを担ぎ上げ、扇動あるいは騒動が起きれば、ローマ軍がやってきて、「土地も国民も奪い取ることになる」というのである。彼らは、一見、国民のためを思っているようであるが、それは表向きにすぎない。彼らは神殿が立つこの土地が奪われ、最高法院としての支配権や地位も完全に失うことを恐れた。国民のためというよりも、自分たちの利権のためということが本音であると思う。

議論の途中で、大祭司カヤパが発言する(49節)。カヤパは紀元18~36年まで大祭司の職に就いていた。彼を大祭司に任命したのはユダヤ人ではなくローマ総督である。大祭司の任命権は、当時、ローマ側にあった。このような事情により、彼らサドカイ派は自分たちの地位を保つために腐心する人たちとなっていて、ローマの抵抗勢力というわけではない。なんとかローマとうまく折り合いをつけてやっていこうということであり、騒動は好まない。自分たちの地位と富が守られるためには、紛争の火種は消さなければならない。カヤパは、紛争の火種としか思われないキリストを殺すことが得策であると提案する。

「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない」(50節)。カヤパは「民の代わりに死んで」と、身代わりについて言及する。著者のヨハネは、カヤパは無意識のうちに、キリストの十字架の身代わりを預言したのだと言う。「ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである」(51,52節)。カヤパは身代わりというときに、ローマ人から救うために民の身代わりとなるという言及。しかし、真実は、罪から救うために民の身代わりとなるということである。ローマ人は真の敵ではない。キリストは、ローマ人を意識しながら、「あなたの敵を愛しなさい」という教えを語っておられた。そうすれば敵ではなくなるからと。キリストの十字架の死は民をローマ人から救うためではなく罪から救うためだった。ユダヤ人たちは過越しの祭りで、ローマ人からの救いという新しい出エジプトを熱望していた。しかし、キリストが願っていたのは罪からの救いであり、過越しの祭りで、罪を取り除く神の子羊として死のうとされていたわけである。そして、この十字架の死は、「ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるため」でもあった。これは、キリストは一民族のメシアではないということである。誰でもキリストを信じる者には、どの民族に属するか関係なく、神の子どもとされる特権が与えられる。キリストご自身、すでに、そのことを暗示する話をしておられた。「わたしはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです」(10章16節)。キリストは全世界の民族のメシアであり、全世界の人々のために死のうとされていた。ヨハネは書いている。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(1章12節)。このようにして、私たちにも神の子どもとなる特権が与えられた。

カヤパを筆頭とするサンヘドリンは、キリストを殺そうと策略を練るが、神の救いのご計画のほうが上手(うわて)なのである。彼らの計画については、「そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた」(53節)とある。サンヘドリンは日本で言えば国会である。国の中枢機関が何をしているんだ、という話である。サンヘドリンの闇は深かった。イスラエルには、もう一つ、国の最高権力を行使する法定があった。その法廷は12人から成り、大祭司がその議長となる。キリストを審問することになるのがこの法廷である。しかし、この頃、ユダヤ政府は行政力を奪われていた。被告が大祭司のもとで死刑判決が下っても、その認証を受けるためには、ローマ総督に引き渡たし、そこで死刑の判決を下してもらわなければならなかった。場合によっては逆転判決も有りえた。ユダヤの法では自分を神としたというだけで死刑の判決となるが、訴状はローマ総督に手渡さなければならない。ローマの法では自分を神としただけでは死刑にできない。政治的理由も付帯しなければならない。彼らは、キリストの行動をどのように監視するかといったことから始まり、罪状をどう取り付けるか、そして、キリストを罠にはめる方法や逮捕する手段、タイミングも考えなければならない。その後、総督をどう揺さぶるかも考えなければならない。彼らは、色々と策を練っただろう。この時点では、決定的な妙案は浮かばなかったかもしれない。心に留めておきたいことは、国家として、政府として、しかも、神の教えを説く指導者たちとして殺害計画を立てたという事実である。民衆に神の教えを説く国家の中心的メンバーたちは、恐るべき闇の顔を持っていたということになる。彼らが殺そうとしていたのは、罪なき人物というだけではなく、外ならぬ旧約聖書が預言していたメシアであり、信仰の先祖たちを導いてきた神であり、創造主であった。

キリストはこの殺害計画を誰からか聞いたのだろうか。いずれ、この闇の会合を誰に聞かずとも、知り尽くしておられただろう。キリストは一時避難の意味で、弟子たちとともにベタニヤからエフライムに移動し、そこでしばらく滞在した(54節)。エフライムはベタニヤの北東およそ6.5キロにある町である。エルサレムからは北北東およそ24キロにある町である。

エルサレムに大勢の人が集まりひしめき合う過越しの祭りが近づいていた(55節)。うわさの中心人物はイエス・キリスト。テレビ、ラジオ、ネット、新聞、週刊誌の時代であれば、ニュースのトップに挙げられる存在となっていた。56節にあるように、エルサレム市内で、「イエス捜し」が始まっていた。神殿でもイエスの話題で持ち切りだった。「あなたはどう思いますか。あの方は祭りに来られることはないでしょうか」。祭司長、パリサイ人たち、サンヘドリンのメンバーは、エルサレムにユダヤ人が密集するこの期間、民衆による扇動、暴動を抑え込むためには、キリストを野放しにしておくことはできない。57節にあるように、「イエスがどこにいるのかを知っている者は届け出なければならないという命令を出していた」。現代であれば、通信衛星や監視カメラを駆使して、居場所を突き止めようとするだろう。キリストは国家のお尋ね者となっていた。

ラザロの復活という、イースターでは良く取り上げられる喜びの物語。しかし、それが、国家挙げての殺害計画へと拍車をかけることになったのである。数千年来、待ち望んでいたメシアがようやく登場したのに、何ということだろうか。いったい何をしているのだろうか。彼らは、祭司や聖書学者たちによって構成されていたのである。ユダヤ教の指導者たちの霊性は悪魔に乗っ取られていたのである。いったいどうしてしまったのだろうか。こんなことがあっていいのだろうか。著者ヨハネが3章19,20節において、「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない」と書いたとき、光よりも闇を愛し、光を憎む存在として、特にパリサイ人たちのことが念頭にあったのである。彼らは、光であるキリストに対して拒絶反応を起こした。反対に、取税人、罪人、遊女、病人、といった、パリサイ人たちからすれば、神の国に入れる保障はないと思われていた人たちが、キリストを受け入れていった。使徒たちも平凡な庶民が多かった。サンヘドリンのメンバーはひとりもいない。言えることは、彼らは心の貧しい者たちであったということである。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5章3節)。自分の闇を認め、それを嫌い、闇から光へ移されることを求めるのか、キリストをへりくだって受け入れることができるのか、愛することができるのか。キリストをすべてのすべてとできるのか、私たちには、それが問われている。