イエスとは何者なのか?世々にわたって問い続けられている。その答えは、聖書を丁寧に読むことで得られる。今日の記事では、イエスという人物は誰なのかということにおいて分裂があったことが記されている。それはいつも時代でも同じである。今年に入って、キリストは山賊でしょう?と私に言ってきた人もいた。又聞き、何かの本の拾い読み、思い込み、そうしたことが真のキリスト像ということをゆがめてしまう。キリストを証言する聖書を自分で読んで丁寧に調べる、そうした姿勢が欲しい。
前回は37~39節に記されているキリストの宣言について学んだ。キリストはご自身が、湧き水の泉、いのちの水の泉であることを宣言された。この宣言の後に、一般民衆、またユダヤ教の指導者たちは、イエスという人物はああだこうだと割れた見方をぶつけ合うことになる。見解の分裂である。当時、どういった層でも分裂が起きていたのである。
初めに、群衆の間でキリストのことで分裂が起こったことを見よう(40~44節)。40,43節に「群衆」とあるが、これは「土地の民」を意味し、いわゆる「民衆」のことである。人が大勢といった数のことだけを指すことばではない。「民衆」「大衆」、そのようなところである。
民衆のキリストの評価はどうであったのだろうか。三つ挙げられている。第一は、「あの預言者」(40節)。「あの預言者」とは、以前学んだように、モーセに啓示された終末時代に現れる預言者のことである。「わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな告げる」(申命記18章18節)。「あの預言者」とは第二のモーセのような人物として待ち望まれていた。なぜ、ここでイエスさまを「あの預言者」と思ったかというのなら、40節冒頭の「このことばを聞いて」が関係する。「このことば」とは37,38節のイエスさまのことばである。イエスさまは皆の前で立って、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」と大声で宣言された。かつてモーセは荒野の旅において、岩を打って水を湧き出せた。この時、この故事を記念する仮庵の祭りが開催されていたわけであるけれども、民衆のある者たちは思った。「イエスという人物は生ける水を湧き出せると言う。彼は聖書に約束されていた第二のモーセ、あの預言者だ」。実は、申命記18章18節の「あの預言者」の出現は、イエスさまの出現によって成就した。すなわち、イエスさまは、「あの預言者」であり、同時にメシヤなるキリストであられる。
第二の評価は、「キリスト」(41節前半)。すなわち、メシヤ、救い主という評価。だが、彼らのキリスト像というものは現世的だった。当時の人たちは、来るべきメシヤは、モーセのようにパンと水を供給すると期待していた。モーセのように天からマナを降らせ、水を湧き出させてくださるだろうと。彼らは当時の現世的なメシヤ理解の中で、イエスはキリストだと言ったようである。罪からの救い主ということは、ほぼ頭にない。
第三は、ガリラヤの田舎もん(41節後半~42節)。「まさか、キリストはガリラヤから出ないだろう。キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が語っているではないか」。当時の常識は、聖書に基づいて、キリストはユダヤのベツレヘムから出るというものであった。次の預言書のことばはよく知られていた。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである」(ミカ5章2節)。ベツレヘムからキリストが出現するというのは民衆の間でも常識になっていた。人々は、イエスは田舎のガリラヤのど田舎のナザレ出身で大工の息子だという知識しかなかった。だが調査不足で、イエスはベツレヘムで生まれたという知識を持ち合わせていなかった。ベツレヘムでキリストがお生まれになった時、御使いは羊飼いたちに宣言した。「きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2章11節)。ベツレヘムは「ダビデの町」と呼ばれていた。イエスさまは血筋においては「ダビデの子孫」であり、「ダビデがいたベツレヘムの村」から出たのである。聖書の預言は明確に成就していた。しかし、ほとんどの人が無知だった。そして、実は、メシヤ預言には、ガリラヤのことも登場している。イザヤ9章1,2,6,7を見よ。この個所は、ガリラヤに救い主が出現する預言である。だから思い込みは止めて、丁寧に調査して、丁寧に聖書を読めば、イエスは聖書の預言通りのメシヤであると気づくことができた。現代人も知識不足である。現代は情報が氾濫し、書店では聖書に関する三流本がたくさん売られており、SNSでも信頼できない曲げられた情報で溢れている。キリストに関する真実をつかみたいならば、聖書と真摯に向き合うことである。
次に、ユダヤ教指導者たちの分裂について見よう(45~53節)。「役人」がまず登場するが、彼らは7章32節を見ていただければわかるように、祭司長、パリサイ人たちがキリストを捕縛するために遣わした者たちである。数日後に、彼らは戻ってきたのだろう。彼らの手にキリストの身柄はなかった(45節)。なぜ彼らはキリストを捕まえなかったのか。一つは十字架の時が来ていなかったので父なる神がそれを許されなかったということがある(30節)。人間の側の理由としては、キリストの話す内容、その話しぶりに圧倒されて、手を出せなかったということである(46節)。当時の教師たちのことばは、誰々先生がこう言った、解説書にこう書いてある、たぐいのもの。だがキリストのことばは権威に満ちておられた。それは神ご自身のことばであり、いのちのことばであった。
ユダヤ教の指導者たちの大半は、イエスさまをメシヤとも預言者とも信じようとしない。すなわち、神から遣わされた者として信じようとしない。信じない理由は彼らの自負心が邪魔をしていたということが一つある。「議員とかパリサイ人のうちで、だれがイエスを信じた者があったか」(48節)。「神に託されて政治と宗教を司る我らエリート、聖書の専門家である我らエリートの中で、信じる者などほとんどいない」という弁。国の中枢の人々、専門家と称する人たちがいつも正しいことを信じているとは限らない。彼らは、無知蒙昧でありながら、ある意味、キリストに正当な評価を下している民衆をバカにしている。「だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている」(49節)。我々は律法の専門家という自負が彼らにはある。そして民衆は無知で不道徳なやからと見下している。低級な人間どもだと。キリストは民衆に対して深いあわれみをもって接し、パンを与え、いやしさえ行ったが、彼らにとって民衆は、「のろわれている」と言い放つ存在でしかない。ましてや、キリストが愛をもって接した罪人、取税人と言われる人たち、また遊女、異邦人等は、最初からのろわれた存在としてしかみなしていない。人間のクズとしかみなしていない。自分たちを優れているとみなす、自負心が異常に強い彼らは、キリストにねたみや敵意を抱くことはあっても、求道心は持てない。彼らはキリストの殺害計画を練るほどに、自負心の怪物と化していた。
しかし、ユダヤ教議会の議員の一人であり、パリサイ人でもあったニコデモだけが、キリストを弁護する側に回る(51節)。ニコデモとキリストの対話は3章で学んだ。3章1節でニコデモは、「パリサイ人」、「ユダヤ人の指導者の一人」として紹介されている。彼は、キリストを神から遣わされた者として信じる心があり、求道心をもってキリストを訪ねた人物である。このお方がメシヤなのかと。しかし、ニコデモはここで、露骨にメシヤを匂わせる表現は取れない。ユダヤ教議会サンヘドリンの大きい議会のほうで70人、小さいほうで24人で構成、そしてここでは役人たちもいる。また議会のメンバーに入っていないパリサイ人たちも同席していたことを考えると、どう少なく見積もっても、この場に、キリストに敵意を抱く者たちが30人以上いたことはまちがいない。その場で大胆に、イエスという男はメシヤかもしれない、などと言えない。ニコデモは、律法に則って慎重に人物調査をしてから判断を下すべきだ、と言うのがせいいっぱいだった(51節)。当時は、聖書に則って、本人から直接聞いて、身辺調査をして、また第三者の証言によって立証されなければ判決を下すことはしなかった(出23章1節,申命記19章15節参照)。だが、彼らは、こうした聖書の教えを無視してしまう。イエスさまに関してろくに調べようともしない。それどころが、やがて聖書が禁じている偽りの証人まで立てて、キリストを抹殺しようとする。「祭司長と全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。偽証者がたくさん出たが・・・」(マタイ26章59,60節)。彼らは最終的には、聖書に記されている刑法を悪用することになる。聖書には神を冒瀆する者は死刑という律法がある。「主の御名を冒瀆する者は必ず殺されなければならない」(レビ24章16節)。彼らは、イエスは自分を神とみなした、よって冒瀆罪に値すると、冒瀆罪で死刑判決を法廷で下すことになる。彼らは律法に則って死刑判決を下したと、自分たちの行為の正当化を謀るが、彼らのしたことは聖書が禁じている殺人の罪である。法を悪用した殺人である。キリストが裁かれることになるのはメチルタという法廷であったが、12人で構成されており、大祭司が議長となって審判を下すのである。だが、キリストが法廷で裁かれた当時、ユダヤの政府は行政力をローマに奪われていた。被告人を死刑にするにはローマ総督の認証を受けなければならなかった。ローマの法では、自分を神としたかどでは死刑とはならない。よって大祭司たちは、ローマの側には、イエスという男は自分をユダヤの王とみなすふとどきものである、ローマ皇帝に反逆する分子である、と訴えた。彼らは、自分たちの顔に泥を塗り、自分たちの地位を危うくするとみなしたキリストを、何としてでも抹殺せずにはおれなかった。彼らは、同国民から汚名を着せられないように、律法をたくみに利用して、キリストの殺害を図った。聖書を読むと、彼らはキリストに何度も過ちを指摘されたことがわかるが、プライドの権家と化していた彼らは、それを認める気はなかった。
彼らがキリストを信じることができなかったもう一つの理由は、彼らの偏見、先入観である(52節)。彼らは、ニコデモに向かって、「調べてみなさい」ということばを使っているが、彼らこそ、調べてみるべきだった。「ガリラヤ」は異邦人との混血の人が多く住んでいる地で、田舎というイメージ。ガリラヤのナザレはガリラヤの中でも取るに足らない寒村である。偏見、先入観が彼らを支配していた。そんな所から誰が出るか、という調子である。「ガリラヤから預言者は起こらない」ということだが、本当にそうなのだろうか。大魚に飲み込まれたことで有名な預言者ヨナは、ガリラヤ出身だった(第二列王14章25節)。もしかすると、この節での「預言者」とは、40節で言及されている「あの預言者」、すなわち特定の預言者である第二のモーセのことが念頭にある可能性も高い。聖書には、第二のモーセである「あの預言者」がどこから出るかは書いていない。だが、あんなど田舎から出てはならない、出て欲しくない、そうした思いが優先していたのだろう。
神さまは、人間の偏見、先入観にチャレンジする。キリストは人々のイメージから外れていた救い主だった。先ず、救い主が家畜小屋に降誕するとは誰も考えていなかっただろう。もうちょっとましな生まれ方を望んだだろう。また、ダビデの町と言われるベツレヘムで生まれて都会育ちをされると思いきや、田舎のガリラヤ、しかも、その田舎地方でも全く人の関心を引かない寒村で育ち、そこから出現される。そしてユダヤ教の指導者たちから見ると、掃いて捨ててもいいと思われるような、汚らわしい人たちと平気で付き合い、一緒に食事までされる。そして先人の聖書学者たちが築き上げた宗教的伝統を守らない。自由奔放なところがある。意味のない規則は守りませんよ、と言わんばかりに自由にふるまう。キリストは民衆にとっては肩透かしを食らわせる人物だった。ご利益を期待できると思った彼らは、キリストを王様としてかつぎあげようとすると、どこかへ行ってしまう。エルサレムで華々しく王様としてデビューしてくれることを期待していたのに、特にそこで華々しく奇跡を行うわけでもなく、やがて、抵抗せずに、ご自分を十字架刑に明け渡してしまうことになる。律法では「木にかけられた者はすべてのろわれた者である」(申命記21章23節参照)と規定されているので、十字架にかけられる者が救い主のわけがないと判断されてしまうことにもなる。けれども、神の視点では、救い主であるからこそ十字架にかけられなければならなかったということになる。私たち罪人の代表としての死、私たち罪びとの身代わりとしての死というものがそこにあった。この私たちの罪の身代わりとしての死も、旧約聖書に様々なかたちで書き記されていた。イザヤ53章の、ほふり場に引かれていく羊のようになる預言など。だが救い主とそれを結びつける者はいなかった。まさか、そんなみじめな話は救い主とは関係ないだろうと。救い主はあくまで、かっこいいスーパーヒーローでなければならなかった。しるし、不思議をドーンと行って、異邦人を力でねじふせ、ご利益をたくさん与えてくれるような人物。当時の人々は、自分たちのイメージ、メシヤ像というものが先走ってしまっていて、キリストを退けてしまった。それは今も同じである。
私たちは先入観を捨て、聖書に向き合い、聖書が伝えようとしているキリスト像を心に写し取りたい。現代でも、勝手なイメージをキリストに押し付ける人たちがいる。ヨハネの福音書の学びを続けることによって、キリストの姿をより正しく、私たちの心に写し取っていきたいと思う。