前回は6章後半の記事をご一緒に見た。キリストは五つのパンと二匹の魚を用いて、男だけでも五千人養うという奇跡を行うことにより、たくさんの人がキリストを取り巻くようになった。だが、キリストは人集めに関心はない。反対に減らそうとする。みことばによって人々をふるいにかけた。ご利益的霊性でキリストに近づいた者たちは離れていった。また、みことばに不注意な弟子たちの多くが離れていった(6章66節)。キリストが求めていたのは真の弟子たちである。キリストはこの世的な人気集め、人集めには興味がない。
今日の記事は、キリストの肉の兄弟たちがキリストに対して、人気回復のためのアドバイスをする場面で始まっている。時は仮庵の祭りが近づいていた頃(2節)。「仮庵の祭り」というのは、イスラエル人たちがエジプトを脱出した後、カナンの地を目指してテント生活をしていたことを記念するもので、同時に、秋の収穫感謝祭の意味があった。この時、パレスチナ全土、そしてローマ帝国から大勢の人々が集まった。兄弟たちは、キリストにユダヤ行き、すなわち都上りを勧める(3,4節)。キリストの周囲から人々が、また多くの弟子たちまでも離れ去ってしまっていた。今、都で奇跡を行えば、下降していた人気はうなぎ上り、あなたの周囲には多くの人が集まる、名声を不動のものとできる、名誉挽回の時だ、というものだった。マーケッティング戦略をうまくやれば、あなたの知名度、名声は不動のものとなるという、この世的なものだった。キリストのメシヤとしての性質を全然理解していなかった(5節)。キリストが意を決して都に上るのは、ご自身が十字架にかかる時だった。その時はまだ来ていなかった。6節を見ると、キリストは「わたしの時」という表現をとっている。「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつでも来ているのです」。伝道者の書の著者は、「天の下では、何事も定まった時期があり、すべての営みには時がある」(3章1節)と述べ、その後、様々な定まった時に言及したあと、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(同11節)と述べている。キリストには確かな時認識があった。
キリストの兄弟たちは、キリストのメシヤとしての性質をかん違いしているだけでなく、時ということに関して、次元の低い見方しかできない。神の側に立って、時ということを見ることができない。というわけで、今日は、神の側に立って、時ということを学びたいと願っている
神は時の支配者である。このことがわかれば、私たちは自分勝手に生きていってはいけないと思わされるし、将来をゆだねていくことができる。神は私たちのように時間の中にだけいて、時間に縛られているようなお方ではない。神は基本的に時間の外のポジションに立っておられ、永遠という時を超えたポジションに立っておられる。このことをわかりやすく説明しよう。地方をうねうねと流れる川を想像してほしい。川は山の奥地から始まり、森林を通り抜ける。そして海岸沿いの平野を通り抜ける。ついには海に注がれる。この川をボートで探検するとしよう。朝10時に山の奥地から出発する。昼の12時はまだ森林を通っている。午後3時に平野に出る。午後9時に河口にたどり着く。この探検隊は、山の奥地、平野、海の入口と順番に体験していく。時間はそこで連続していて、過去、現在、未来と進んでいく。けれども神は、この探検隊が別々の時間帯に通った地理、地勢というものを、一瞬にして同時に見ることができる。朝の10時から夜の9時まで、計11時間費やさなくてもいい。
このことを飛行パイロットを思い描いてもいいだろう。パイロットは山も平野も海も同時に見渡すことができる。ボートが進む先がどうなっているかもあらかじめわかる。神はこれと同じよう。実際はそれ以上。というのは、飛行パイロットは、そのボートが途中エンジン故障を起こすことまでは見抜けない。河口付近で大魚と衝突することまでは予測できない。それが人間の限界である。神は時間の枠内に閉じ込もっているお方ではなく、時間を超越しているお方。過去、現在、未来を同時に見渡し、先のことを計画し、予測し、私たちにとって痛手と思えることも、神にとっては、ただ痛手で終わらせない計画をお持ちである。神にとって、予想外とか想定外というものはない。
私たちの人生を映画のフィルムと比較することもできる。私たちは観客席に座って、フィルムの一コマ一コマを順番に見ていく。今度どうなるのかなぁという期待をもって。しかし、神は、そのフィルムの一コマ一コマすべてを並べていっぺんに見ているようなもの。神さまは私たちの人生だけではなく、天地創造の始まりから終わりまで同時に見ておられる。だからこそ、天地創造から始まって世の終わりの新天新地まで記録されている神の啓示の書、聖書というものがある。
私たちは神が時を支配しておられることを知るときに、人生の決断を神におまかせしなければならないと思わされるし、将来のこともおゆだねできるのだなぁ、という安心感も与えられる。
ライオン株式会社の創業者、小林富次郎をご存じだろうか(1852年、埼玉県生れ)。彼は16歳の頃から家業の酒造業に精を出していたが、失敗。その後、豚と兎の販売を手掛けるも失敗。25歳の時に東京の石鹸製造会社で働きだすも、投資に失敗。その後、神戸の石鹸製造会社で働きだす。彼はその間、36歳の時、キリスト教の講演会に立ち寄り、感銘を受け、クリスチャンになる。勤務先の会社は石鹸とともにマッチ製造も手掛けていた。彼は、東北・三陸地方で伐採した原木を北上川に流し、石巻工場でマッチを製造する計画の責任を担った。ところが、思いもよらない大洪水が発生して、一年分もの大量の原木は流されてしまい、それだけでなく、流された原木が下流の橋を破壊する甚大な被害を与えてしまうことに。原木の損失に加えて被害の賠償責任までが彼の上にのしかかった。彼は自殺しようと思い、北上川にかかる橋の上にたたずんだ。ところがその時、ふと次の聖書のことばが思い浮かんだ。「すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるのですが、後になると、これによって訓練された人々に平安の義の実を結ばせます」(ヘブル12章11節)。このみことばが自殺を思いとどまらせた。「神は平安な義の実をこの目で確かめる日が来ると約束してくださっているのだ。私はこの神に賭ける!」彼はその後、責任を取って辞職し、上京した。しかし過労がたたって両眼を患い、八カ月間病床に伏し、かろうじて片目の視力だけ回復できた。
彼は明治24年、東京神田に石鹸及びマッチの原料取次の小林富次郎商店を開設。明治26年には石鹸工場を建設し、化粧石鹸、洗濯石鹸を発売。明治29年には「ライオン歯磨き」のブランドで歯磨き粉を発売。彼はこの頃から、事業を通して信仰の実践に努める。たとえば歯磨き粉一袋あたり一厘の慈善券を印刷し、この空袋を送ると、一枚一厘で計算し、そのお金を全国の孤児院や身障者施設に寄付した。社内に牧師たちを招いて、キリスト教の講話を聞く機会を提供した。晩年は伝道に熱を入れ、「法衣を着た実業家」「そろばんを抱いた宗教家」などと評された。彼の信仰は一族に受け継がれ、牧師や伝道師も輩出した。彼は59才で生涯を閉じることになる。
親族の一人が彼の生涯を振り返って、大洪水がなくてマッチ製造が成功していたとしても、その後の燃料革命によってマッチの需要はじり貧の一途をたどるばかりだったから、石鹸関連事業への転換は神の導きであったと語っている。ライオングループの創立者、小林冨次郎の人生には神の時が刻まれていた。彼は平安な義の実をこの目で確かめる日が来ると信じ、苦難が続いても忍耐を失わなかった。
今日の中心的なみことば、6節をご覧ください。神の救い主はまことの人となられ、時間の支配の中にご自身を置かれた。「わたしの時はまだ来ていません」の「わたしの時」というのは、キリストにとって、地上の人生の中で、もっとも重要な時である。それは決定的に重要な時を指す。時代劇を見ると、それは仇討の時であったりするが、キリストにとって、それは「十字架にかかる時」という言い方ができる。キリストが十字架にかかり、よみがえり、天に昇られる時、という言い方もされるが、十字架が強く意識されている。今は、仮庵の祭りの期間であったが、キリストは仮庵の祭りではなく、過越の祭りの期間に十字架につけられるのが定めであった。過越の祭りは春、この時は秋、まだキリストの時は来ていなかった。過越の祭りでは傷のない一歳の子羊がほふられた。それは、キリストが十字架にかかって世の罪のためにいのちを捨てることを予め表すものであった。キリストは世の罪のためにいのちを捨てるのは、まだ先であると自覚しておられた。多くの人たちが、キリストは改革者として失敗し、無念にも十字架刑に処せられたと思っている。しかし、真実は、初めからキリストは、十字架にかかることが神のご計画の中心であると認識しておられたということである。十字架なくば、私たちの救いはない。私たちの罪の赦しはない。キリストが十字架についた時に発せられたことばをヨハネは記している。その一つが「完了した」(19章30節)であった。「無念」でも「失敗に終わった」でもなかった。それは十字架にかかり、私たちの罪を負い、贖いのみわざを成し遂げたことを表すことばだった。キリストはこの十字架の時に向って地上の人生の時を刻んで行かれたのである。
「わたしの時」の「時」と訳されていることば<カイロス>は、「定められた時」を表すことばである。「この時のために」といった時のことである。神のご計画の中にあって定められた時のことである。それが強く意識されている。神が皆さんに、いついつこれをせよ、と語られたとする。時認識が変わってくる。自分の欲望や安楽のために時間を使おうとは思わなくなる。準備期間を置いて、定められた時に神のみこころを実行しようと思うだろう。それを成し遂げたら「完了した」である。それがわかると、6節後半の兄弟たちに向けて語られたことば、「しかし、あなたがたの時はいつでも来ているのです」はなんとなくわかる。彼らは、神のために、神とともに、神のみこころを成し遂げるために、といった認識が希薄のまま、世的な思考で時間を過ごしていた。この時もあの時も、どの時も、ある意味、皆同じ。単色べったりで、どの時も、自己中心的色に染まっていた。それは7節の「世はあなたがたを憎むことができません」の発言からもわかる。世と同調して時が過行く毎日。世に流されていく毎日。神からのビジョンをつかんでいるわけではなく、ただ自分のために時を費やしていく毎日。自分の時はいつでも来ている。
私たちがキリストの姿勢から教えられるのは、神のみこころを生きようという心構えの中で、今、また明日、自分のすべきことは何かと、神の時に自分を合わせようとする生き方を身に着けるということ。私たち一人ひとりにも、神にあって「定められた時」というものはあるはずである。神さまのことを考えず、のんべんだらりと生きていくのなら、また忙しくしているようであっても、神さまを無視して生きているだけならば、「あなたがたの時はいつでも来ているのです」と皮肉られて終わりである。私たちは、自分のすべきことがわかっていても、タイミングがいつなのかと迷うことが多々ある。早すぎないかな、遅すぎないかなと。私の場合、人生の大きな節目節目の動きは間違っていなかったと思っているが、日常の中で、早すぎたというよりも、遅すぎたと反省したことのほうが多いように思う。主の祈り、「みこころが天で行われているように、地でも行われますように」というのも、自分のこととして祈っていかなければならない。また、ある人の場合、苦難の中にあって約束のみことばに励まされつつも、その実現をなかなか見ることができず、心が折れそうになるかもしれないが、私の時は御手の中にあると、信仰を失ってはならない。すべてには神の時がある。
次に、今日の記事の後半を簡単に触れよう。キリストはこの後、内密に祭りに上っていかれたようだが、民衆の評判は様々だったようである。著者は三つの見方を取り上げている。第一は「良い人だ」(12節後半)。キリストは良い人だが、ただの良い人ではない。それ以上の存在。永遠の初めにおられたことばなる神である。第二は「惑わす者だ」(12節後半)。「たぶらかしているものだ」という訳もある。我々をバカそうとしている詐欺師だ、ということ。人気取りのために群衆を惑わそうとしているのだということ。それはあり得ないことは、今日の前半のお話からもわかっていただけたかと思う。十字架を目指す精神に、人気取りの精神、詐欺の精神が入る余地はない。第三は「悪霊につかれている者だ」(20節 欄外中別訳「気がくるっている」)。当時の人たちは自分の敵意を表すのに、こういう表現を使うことがよくあった。キリストが行われたわざはいやしのわざを含め、どれも良いものばかりであったが、しかし、何をしても、酷評する者は酷評する。それが世の中である。
キリストは言っておられる。「うわべによってさばかないで、正しいさばきをしなさい」(24節)。現代人は、聖書を読むこともせず、読んでも拾い読み程度で、キリストは信じるに値しないとさばく。特に、十字架で死んだ者など、信じるに値しないとさばく。だが、真実は、十字架にかかってくださったお方でなければ、信じるに値しないということである。
今日の個所では、キリストが「わたしの時」という表現を使われたことを心に留めていただきたい。キリストの「わたしの時」とは、私たちの救いのために十字架にかかることが強く意識された時であった。この十字架の時は、人類の歴史上、もっとも重大で、もっとも心に留めるべき時なのである。それは人類史上初めてアポロ11号が月面着陸をした時よりも、エジソン等によって電球が発明された時よりも、ベルリンの壁が崩壊した時よりも、日本でオリンピックが開催された時よりも、驚きと感謝をもって受け止めるべき時なのである。それは単なる一人の犯罪人が処刑された時ではない。陰謀によって一人の革命家が殺されてしまった時にすぎないのではない。人類を罪から救うために神のご計画が実現に移された、歴史上、もっとも大切な時であった。まことの神がまことの人となり、私たちの罪のために、ご自身を犠牲にしてくださった時であった。この時は自分のためであったと受け止めることができる人は、キリストが言われた「わたしの時」は、その人にとって、「私のための時」となるのである。