2014.4.20イースター

また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神はその全能の力を働かせて、キリストを死からよみがえらせてくださいました。(エペソ1章19~20節)
聖書は、イエス・キリストは十字架につき墓に葬られたが、神の全能の力によって死に勝利され、墓からよみがえられたと証言しています。それをお祝いするのがイースターです。人は試練に負け、誘惑に負け、自分の心に負け、敗北の生活を送りやすいものです。そして最後の敵である死に負けます。負けて終わるのが人の人生と言えます。けれども神の全能の力に心の目が開かれるならば、事は変わってきます。
まず「神の存在」に心の目を開きましょう。ソ連での実話です。ソ連は学校では無神論教育です。あるクラスでの出来事。先生が生徒たちに対して「『神はいない』と3回言いましょう」と言いました。「神はいない、神はいない、神はいない」。一人の生徒が、「神は天地宇宙を造られた方で、天におられます」と言いました。先生は、「ソ連の宇宙飛行士が宇宙船の中から神はいなかった、神は見えないと言ったのをあなたも知っているでしょう」と言いました。それに対して、生徒は落ち着いてこう答えました。「聖書には、『心の清い者には神は見える』と書いてあります。先生には見えないんですか?」この返答はクラスメイトたちに大受けで、喝采を浴びました。聖書を信じている生徒に言い負かされてしまった先生は、先の言葉を振り切り、天を指さして、「神はいない、神はいない、神はいない」と3回言いました。その時、先の生徒は、「先生、その言葉をいったい誰に向かって言っているんですか」と鋭い突っ込みを入れました。これもクラスメイトたちに大受けに受けて、教室はやんややんやの大騒ぎ。先生はもうそれ以上何も言えず、スゴスゴと教室から出ていったそうです。この先生のように多くの人は神に向かって「神はいない」と叫んでいます。真理ではない偽りの霧や自己中心の黒雲が、人々の目を見えなくしているのです。私たちは神の存在に心の目が開かれているでしょうか?
次に、「神の全能の力」に心の目を開きましょう。神の全能の力がキリストを死からよみがえらせました。そんなことはありえないと人は言います。けれども、「無力な死人を神々としてあがめ、死人に願い事をして何になるのだろうか?」と問いかけることも必要です。
19節で「神の全能の力の働き」の「働き」と訳されている言葉は原語のギリシャ語で<エネルゲイア>と言い、この言葉から「エネルギー」という言葉が生まれました。エネルギーが切れたという表現を使うことがありますが、神はそうではありません。また「力」の原語は<デュナミス>で、この言葉から「ダイナミック」とか「ダイナマイト」という言葉が生まれました。神の力の偉大さは、キリストの復活において証明されました。この神の力は破壊的なものではなく、私たちを苦難の中にあっても生かす力です。そして死に勝利する力です。
聖書は「死」が人類の最後の敵であると言います。病が治っても人は必ず死ぬのです。死ほど悲しむべきもの、魅力のないものはありませんが、また死ほど破壊的なものもありません。死はすべてのいのちあるものを飲み込んでしまいます。しかし、もし反対に、死を飲み込むいのちがあるとするならばどうでしょうか?神の全能の力は死を飲み込むいのち、死に勝利するいのちです。あの二千年前の十字架と復活とによって、死は神の全能の力の前に屈しました。キリストは信じる者の初穂としてよみがえり、永遠のいのちを信じる者に約束されました。キリストは言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
まことの神はその性質上、全能の神です。全能であるということは死に対して敗北しないということです。全能の力というものは死に対して勝利を治めます。もし、死に勝つものがないのならば、死こそチャンピオンです。死こそすべての神々にまさって力ある神です。しかし、実際は、全能の神が死に対して勝利してくださいました。イエス・キリストは死からよみがえられました。全能の神こそチャンピオン、キリストこそチャンピオンです。イースターには「イースターエッグ」がよく配られますが、その卵は死に打ち勝ったいのち、キリストのいのちのシンボルです。
私たちは心の目を開き、全能の神の存在を信じ、よみがえられたキリストを信じるときに、「人生のゴールは死」という固定観念から解き放たれます。死に勝利できます。永遠のいのちの希望をもって、天の御国に向かって歩んでいけるのです。
私たちの心の目を全能の神の存在とその力に開きましょう。そして「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」と言われたキリストのいのちに生かされたいと思います。そして朽ちることない永遠のいのちの希望を持って、天の御国に向かって歩んでいきたいと思います。