ローマ人の手紙の講解メッセージも終盤を迎えた。今日のタイトルの「教会は色々な人の集まり」は、今日の箇所を読んで、まず最初に抱く感想である。

16章は終わりの挨拶である。パウロはローマにある家の教会に挨拶を送っている。ローマ帝国は当時、4500万人の住民がいたと思われるが、ローマは100万都市であった。そこに家の教会が存在していた。幾つくらいの家の教会があったのか、16章から推測されている。最低、五つあったことはわかる。①プリスカとアクラの家の教会(3~5節前半)②アリストブロの家の人たち(10節)③ナルキソの家の人たち(11節)④アスンクリト、その他の人たちといっしょにいるグループ(14節)⑤フィロロゴとユリヤ、その他の人たちといっしょにいるグループ(15節)。家の教会は五つと言わず六つ、いやもっとあったかもしれない。八つぐらいを想定する方もいる。現段階の調査では、教会堂というものは三世紀まではなかった。あるのは家の教会であった。ローマではアパートや住居に集まったのだろう。横手のこの場所も家の教会と言えば家の教会である。ローマにクリスチャンがどのくらいの人数がいたのかであるが、16章からマックス40人ぐらいを想定する人もいるが、もっといただろう。百人程度に見積もるのがいい線かもしれない。多く見積もっても、二百人まではいなかっただろう。いずれ100万都市の中にあって少数派である。しかし、彼らは地の塩、世の光であったわけである。

ここに個人名は24人、名前が記されていない人が2名。この26人は家の教会のリーダー的存在であったと思われる(新改訳2017と名前の発音が異なる人たちがいるので、ご了承ください)。パウロ自身はローマの教会を一度も訪問したことがなかった。だから、これら26人はパウロと面識がなかったと判断するのは早計である。4節にプリスカとアクラに関して、「自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです」と言われている。この二人はクリスチャン夫婦である。妻のプリスカの名前が先に挙げられているのだが、プリスカの働きが目立っていたことを物語っていると思われる。パウロの知り合いとなった背景だが、紀元49年に皇帝クラウディオがユダヤ人に対するローマ退去令を出した。ローマを追放されたこの夫妻はコリントに来た(使徒18章2節)。そこでパウロとともに天幕造りをしながら、パウロの開拓伝道の手伝いをした。そしてパウロを助けるためにエペソに同行したときに、市民たちはエペソの神は女神アルテミスだと叫んで、激しい迫害が起こった(使徒19章23~41節)。「いのちの危険」というのはこの時のことを指すと思われる。5節では「私の愛するエパネトによろしく」とあり、「アジヤでキリストを信じた最初の人/キリストに献げられたアジアの初穂(新改訳2017)」という文章から、おそらくパウロがローマ帝国のアジヤ州のエペソで伝道した際に最初に信じた人であると思われる。7節では「私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスによろしく」とあるが、初代教会の記録を残したクレメンスの手紙によると、パウロは7回投獄されたことになっていて、そのうちの一回、一緒だったのだろう。13節では、「・・・また彼(ルポス)と私との母によろしく」とあり、この母子とパウロは親しい関係にあったことがわかる。ルポスの父は、キリストに代わって十字架を背負ったクレネ人シモンであると言われている。マルコ15章12節では、「アレキサンデルと<ルポスとの父>で、シモンというクレネ人が、いなかから出て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやり彼に背負わせた」とある。シモンは十字架を負った後、ゴルゴダの丘で十字架刑を直接目撃しただろう。シモンのこの体験が、自分と家族が信仰に導かれるきっかけとなったことは十分考えられる。ルポスが「主にあって選ばれた」と言われているのは、こうした背景が念頭に置かれているかもしれない。ここで、ルポスの父シモンの名が挙げられていないのは、この時点で世を去っていた可能性がある。以上、述べてきた人たちが確実に面識があったと思われる人たちだが、その他の人々も、挨拶の表現からして、パウロと面識があった可能性が非常に高い。

民族の構成だが、ユダヤ人と思われるのは8名。プリスカとアクラ(3節)、マリヤ(6節)、アンドロニコとユニアス(7節)、ヘロデオン(11節)、ルポスと彼の母(13節)。ラテン語化、ギリシャ語化した名前があるが、以上がユダヤ人と思われる。全体的に見ると、異邦人のほうが多い印象である。いずれ、覚えておきたいことは、複数の民族で教会が構成されていたということである。彼らに共通する言語は、第一にギリシャ語、第二にアラム語またはヘブル語、第三にラテン語。ローマは多民族が住んでいたが、教会はその縮図のようであっただろう。パウロは、民族は違ってもキリストにあって一つになって歩んでいくのだよ、と教えてきたわけである。

性別では女性が多いのが特徴である。計26名中、女性が9名もいる。プリスカ(3節)、マリヤ(6節)、ユニアス/ユニア(7節)、ツルパナとツルポサ/トリファイナとトリフォサ(12節「姉妹か双子」)、ペルシス(12節「ペルシャの女の意」)、ルポスの母(13節 ルポスの母は、パウロに「私の母」と呼ばれるなんて凄い。彼女はパウロに非常に親切にして、我が子に対するように接したので、こう呼ばれたに違いない)、ユリヤ(15節)、ネレオの姉妹(15節)。男性優位社会にあって女性たちの名前がたくさん挙げられているのは特徴的である。ちょっと待った、ということで、その前に気づかなければならないことがある。パウロの手紙をローマに届けたフィベも女性であるということである。「ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します」(1節)。「ケンクレヤ」はコリント東方約10キロ地点にある港町である。フィベは、そこの教会の信者というだけでなく、教会のリーダー的存在であった。新改訳2017は「執事」を「奉仕者」と訳しているが、いずれリーダー的存在であったことはまちがいない。一世紀は多くの女性が救われていったが、女性のバプテスマ、教育、女性たちへの宣教、福祉、女性たちの集会のリード、こうした働きに女性のリーダーは欠かせなかっただろう。2節後半では「この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です」とある。「助けてくれた人」を新改訳2017は「支援者」と訳しているが、原語は、かたわらで良くお世話をするイメージのことばである。彼女は物心両面、人のお世話をすることに長けていた人かもしれないが、それだけではなく、パウロに代わって手紙を運ぶことをまかせられた人物ということにおいて、パウロに信頼されていたということとともに、秘書を務めることができるような才知のある女性であったと感じる。彼女はローマの各家の教会に赴いて、パウロの手紙を代読した可能性がある。ローマの女性たちは彼女の声を親しみをもって聞くことができただろう。また、それは、民族の枠を飛び超えた声であった。彼女のフィベという名前は異邦人の名前である。ローマの教会は、ユダヤ人パウロのメッセージを異邦人信者の声で聞いたということになる。ユダヤ人のメンバーも異邦人のメンバー同様、彼女の声に耳を傾けることになった。素敵な光景である。それにしても、女性が使徒の使者を務めるというところがすごい。当時にあってこれは何を意味するかというと、それは使徒パウロの顔役を務めるということなのである。ただの郵便配達人とはわけが違う。使徒の代理人である。女性がこの大役を担った。これは凄いことである。

構成メンバーは奴隷が多いのも特徴である。奴隷か、もと奴隷(解放奴隷)ということである。奴隷名と言われているのは、アムプリアト(8節)、ペルシス(12節)、アスンクリト、フレゴン、バトロバ、ヘルマス(14節)。フィロロゴとユリヤ(15節)。彼らは下層階級に属するが、多くは皇帝の家の者のリストに出てくる名前で、教育レベルの高い奴隷たちもいたということがわかる。彼らは上流社会の家庭で働き、キリストの香りを放っていたということになる。また、10節において、「~家の人たち」、11節の「~家の主にある人たち」というのが奴隷と思われている(全てがそうでないにしても)。奴隷ということでは、22節を見ていただくと、パウロの手紙を代筆したテルテオだが、「第三の」という意味であり、おそらく奴隷第三号であったと思われる。23節の挨拶の送り主であるクワルトは「第四の」という意味であり、やはり奴隷であると思われる。これは、あくまでも推測である。

少数の地位の高い人もいた。10節にアリストブロとあるが、ヘロデ大王の孫であると思われ、地位の高い人と思われる。11節のヘロデオンもヘロデ家の関係者かもしれないが、そうでないかもしれない。いずれ、ローマの教会には地位の高い人もいた。しかし、奴隷または解放奴隷のほうが多かった。

その他、述べると、11節後半のナルキソは、クラウディオ帝の時代に一躍有名になった自由人と言われている。自由人の有名人もいた。

今見てきたように、教会は、民族、性別、階級を越えて一つであることがわかる。これが教会のすばらしさである。もちろん、意見の違いとかでトラブルも起きるだろう。しかし、それを乗り換えていってこそ教会である。いや、キリストにあって乗り越えていけるはずである。16節では、教会は「キリストの教会」と表現されている。キリストにあって一つになれるはずである。そうなってこそ教会である。

家族関係も確認しておこう。3節のプリスカとアクラは夫婦。7節のアンドロニコとユニアスも夫婦の可能性がある。兄弟かもしれない。12節のツルポナとツルポサは姉妹。13節のルポスたちは親子。15節のフィロロゴとユリヤは夫婦と思われ、続く、ネレオとその姉妹というのは、フィロロゴとユリヤの子どもの可能性があると言われている。はっきりしておきたいことは、冒頭でお話したように、当時の教会は家の教会であったということ。自分の家庭、住居を解放してそこに集った。だから、当然、家の集会に自分の家族が自然と集うことになる。二世、三世が集っていただろう。そのような光景を思い描くことができる。名前が挙げられていない家族たちも、家の集会に集っただろう。現代も、このような光景がたくさん見られたら素敵である。

この頃、ローマの教会はまだ小さかった。メンバーはそう多くはない。しかし、これらの挨拶のことばを見ていると、大きな可能性を感じる。家の教会の中心メンバーの信仰がしっかりしていることがわかるからである。3節からわかるように、プリスカとアクラは「同労者」と呼ばれている。パウロの片腕として働き、パウロの教えをしっかり受け継いだ二人が筆頭に挙げられているということは、彼らがローマの教会の代表的存在ということになるであろう。その他の人たちもパウロが形容する表現を見ると、篤信の信仰者のイメージである。女性たちも「非常に労苦した」「主にあって労苦している」といった形容がされている。これらの人たちは、この後もキリストにあって労苦し、奮闘し、教会を形成していっただろう。また信仰のバトンを次の世代に渡していっただろう。また、こうした家の教会に属するメンバーたちは互いに交流があって、教える賜物がある人たちは巡回していたはずである。家の教会間にネットワークがあったことはまちがいない。電話やスマホや車もない時代だが、このパウロの手紙の教えも共有し、交わりを大切にし、一つの教会のようにして歩むことを目指したであろう。

この16章から、ローマ教会の姿が浮かび上がってきた気がする。大きな教会堂があって、そこにみんなが集まっていたというのではなくて、家の教会のネットワークであったということ。民族も性別も階級も様々な人たちが教会を形成していたということ。家の教会にはリーダー的存在がいたということ。彼らは使徒パウロからの手紙を通して、さらにキリスト信仰が強固になり、また一致団結の思いが強められたはずである。ローマ人の手紙は学者が書斎で神学の研究するために書かれた論文ではなくて、家の教会のメンバーが皆で耳を傾けるために書かれた手紙なのである。

16節でパウロは、互いに挨拶を交わし合うように勧めている。「あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています」(16節)。口づけをもって挨拶を交わすというのは、旧約時代から古代世界で行われてきた挨拶の習慣で、二千年前のローマでもユダヤでもそうであった。そしてこの習慣はご存じのように、諸外国では現代でも継続している。この習慣について吉田隆氏は、「かつて、十二使徒の一人であったユダがイエスを裏切ったような口づけではなく、互いに主イエスに結ばれた者同士であること、相手の身分や民族に関わらず、それらの違いや差別や偏見を超えた兄弟姉妹であることのしるしです。この習慣は、古代教会でも聖餐式の前に行われていたようです」。民族や性別や階級を越えて、これを実践したわけである。互いに主イエスに結ばれた者同士のしるしとして。主イエスにあって親しい間柄、兄弟姉妹とされたしるしとして。私たち日本人は口づけの挨拶の慣習はないが、日本の文化の中で、この精神をくみ取り、互いに挨拶をかわしたいと思う。

私は最初、この16節を読んだときに、いきなりここで挨拶ということばが登場し、互いの挨拶が勧められていて、唐突に感じた。しかし、原文を読んで、そうではないことがわかった。「あいさつをかわしなさい」と訳されていることば<アスパサセ>は、「あなたがたは挨拶しなさい」ということばだが、<アスパサセ>と同じことばが、16章ですでに14回も使用されている。どこだろうか。「よろしく」と訳されていることばがそうである。すべて<アスパサセ>である。初めに3節に登場する。原文の冒頭を直訳するとこうなる。「あなたがたはあいさつしなさい。プリスカとアクラに」。もう少し意味が通るように訳すと、「あなたがたはプリスカとアクラに(よろしくと)あいさつしなさい」。16節の直前の15節の直訳は、「あなたがたはあいさつしなさい。フィロロゴとユリヤ、ネレオとその姉妹・・・」と続く。そして16節に入り、原文では、「あなたがたはあいさつしなさい。互いに聖なるくちづけをもって」となる。16節後半は、「キリストの教会はみな、あなたがたにあいさつを送ります」という文章である。今日の区分のテーマは「挨拶」であることが良くわかる。初めにパウロは、個人個人に関心をもって挨拶のことばを送る。パウロからローマのクリスチャンへの挨拶。そして16節前半では互いに挨拶するように勧め、後半では、すべての教会があなたがたに挨拶を送ります、で終わっている。挨拶が一つの教会内でも、地域の教会間でも、地域を超えた教会間でも行き巡っていることをイメージする。

以上のことから、何が見えてくるだろうか。現代は、個人情報ということが厳しく言われ、自分を知らせない、また相手のことを知ることもはばかるという時代である。だが、個人個人への関心、互いへの関心ということが大切であるということは昔も今も変わりがない。長年一緒に教会生活を送っていても、互いの名前と住んでいる地域以上のことは余りわからないということさえある。顔を合わせた時にだけ儀礼的に挨拶を交わすも、それ以上のことは何もなく、年数だけが経過していくということがある。また、他の教会に関心をもつことなく、自分の教会にしか心を向けないということがある。だが、パウロの挨拶文から見えてくることは、そういうことではない。個人主義は排除され、互いに主を信じる兄弟姉妹、神の家族としての熱い関係である。私たちは互いにキリストにあって挨拶をかわし、お互いの個人の物語にも関心を寄せ、互いの違いがあっても、一つ神の家族として歩んでいきたいと思う。また同じ信仰に立つ諸教会にも挨拶の心を向け、諸教会とのネットワークも大切にしたいと思う。そのようにして同じ使命に立ち、キリストの福音の前進のために労苦する私たちでありたいと思う。