イースターおめでとうございます。よみがえりのいのちであられるキリストに感謝します。私は先週前半、実家の福島県喜多方市に出かけて来たが、実家の裏山に咲く福寿草の花を見て、春の到来を感じた。雪が解けて、いのちが躍動する季節を迎えたわけだが、この春は、キリストのよみがえりのいのちを覚える時でもある。キリストのよみがえりのいのちに本物の希望を覚える。キリストは十字架の苦しみと死を経て、三日目によみがえり、死を征服してくださった。

今は天に召された、聖路加国際病院の名誉医院長の日野原重明先生が、春に秋田に住む教え子の看護師から手紙を受け取ったことがあったそうである。そこには重症の夫の様態が詳しく書かれていた。その後、しばらくしてから、今度は、その重症の夫が妻に代筆させた手紙が届いた。そこにはこう書いてあったという。「先生も、また長期療養されたことが、せめてもの私の救いです」。日野原医師は若い頃、結核性肋膜炎で八ヶ月病床についたことがある。そして回復されたわけである。その体験が自分の救いとして感じられるというわけである。

では、キリストの十字架と復活の体験はどうだろうか。キリストの十字架は私たちの罪人のための苦しみであり、私たちの罪の病を負ってくださった体験であったわけだけれども、キリストは普通の人が経験しえない苦しみを通られた。そしてキリストは十字架の死では終わらなかった。死からよみがえられたのである。ここに希望を感じないだろうか。

患者を英語ではペイジェントと言う。このことばは「忍耐強い」という意味をもつ。悪性腫瘍のため44歳の若さで亡くなった細川という男性が、この忍耐強さを表す詩を書いている。

しなう心

苦痛のはげしい時こそ

しなやかな心を失うまい

やわらかにしなう心である

ふりつむ雪の重さを静かに受け取り

やわらかく身をたわめつつ

春を待つ細い竹のしなやかさを思い浮かべて

じっと苦しみに耐えてみよう

 

彼はこの詩で、病人とは忍耐強く春を待つ人間であると、雪でたわんでいるしなやかな竹をイメージして、そこに自分の心を重ね合わせようとしている。春を待つしなやかな竹のような心をもって、今の時を耐え忍び、春を迎えようと。病のうちにある人は、雪解けの春を待つような忍耐が確かに必要となる。

さて、私たち人間の問題として、病のうちにある人も、健康な人も、やがて死は必ず訪れるという現実がある。先の日野原医師も述べておられる。「健康と長寿を祈念することはよいが、死がいつ訪れるかは先端技術の医学をもってしても測りがたい」。作家のサマセット・モームも言っている。「絶対に間違いのない統計・・・それは人間の死亡率が100パーセントだということだ」。このような現実を心に留めるときに、私たちは、本当の春の希望に心を向けたいと思う。それは死に打ち勝つ希望、永遠のいのちの希望である。

キリストはこの希望を、ご自身の復活をもって証明してくださった。キリストが復活されたのは春の日曜日の朝である。1節をご覧ください。「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見にきた」。キリストは全人類の罪の身代わりに、金曜日に十字架についた。そして当時の習慣にならって、岩をくりぬいた横穴に葬られた。亡がらには油と香料が塗られ、亜麻布で巻かれていた。当時、死後、三日目まで墓を見に行くという習慣があったが、例外があり、ユダヤの安息日、すなわち土曜日は行ってはならなかった。この土曜日が明けるのが、今で言う日曜日の明け方である。この時を待って、数人の女性たちが、香料を塗りに出かけたようである。

実は、復活というのはキリストの生前から預言されていたことであるが、彼女たちは信じていない。彼女たちの期待は、復活したキリストとの出会いではなくて、死体となって横たわっておられるキリストとの出会いだった。死人との出会いだった。

2節には不可思議な事件が記されている。「大きな地震」が起こった。主の御使いが天から降りて来て、墓のふたとなっていた石を転がして、その上に座ったからであると言われている。御使いが起こす地震という不思議な記録である。

御使いが天から降りて来たのは、地震そのものを起こすことが目的ではなく、目的の一つは、「石をわきへころがして」とあるように、墓のふたとなっていた石を転がすことにあった。他の福音書を読むと、墓に向かう女性たちが心配していたことがあったことがわかる。「あの石を誰か取りのけてくれるでしょうか」と。その石は、女性数人で取りのけることは不可能な石である。ある学者は、男20人で動かそうとしても動かないくらい重いと言っているが、それを思うと、女性たちは何と愚かな行動に出ようとしているのかと思ってしまうわけである。男性だったら、頭ずくで計算し、行っても無駄だとあきらめてしまうはずである。問題は石だけではない。墓の前には、勝手に墓の中に侵入しないようにと番兵たちも立っていた。追い払われるのがおちだと考えなかったのだろうか。後先考えないで行動に出てしまう、これが女性の凄さである。頭で考えすぎで行動に出ない男性は、ハートにおいては女性に負けることが多いことを暗示しているようでもある。ともかくも、彼女たちが墓に到達する前に、石は御使いによって取りのけられていたのである。

3節は、御使いの貴重な描写である。「その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった」。顔の輝きが凄い。そして衣が雪のようにというのも印象的である。これらは神の純粋性と聖さの反映である。神の栄光の反映と言ってもよい。この姿は罪人には耐えられないほどのものであったことが、続く4節からわかる。墓には番兵たちがいた。誰かがキリストの遺体を盗んでいかないようにという処置である(27章62~66節)。兵士たちは交代制で寝ずの番をするのが通例である。もし、盗まれるようなことがあれば、死罪もまぬがれないので、彼らは気を抜かないで番をしたはずである。しかし、彼らは意識を失うショックを受け、倒れてしまったのである。「御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」。意識を失うほどの震え上がりというのは、精神的ショックがもの凄いものであったことを物語っている。「震え上がる」というのは、地震に使われる用語である。心の中で地震が起きてしまったのである。そして意識を失い倒れ込んでしまった。天上の存在との出会いは、地上の罪人には耐えられないということだろうか。

女性たちも恐れて倒れてしまったのだろうか。彼女たちも恐れたようであるが、御使いは彼女たちに優しかった。5節前半で、「恐れてはいけません」と声をかけられている。そして、続いて、彼女たちにメッセージが語られる。三つに分けて見ることができるだろう。第一は、あなたがたがキリストを捜しているのを知っているというメッセージである。「あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています」(5節後半)。皆さんも、キリストを捜しているだろうか。キリストと会うためにはどこの墓を掘り返せばいいのだろうか?などという考えは無用である。キリストはどこの墓の中にもいない。今もである。キリストは今、生きておられ、私たちの心の外側に立って、私たちの心の戸をたたいておられる。キリストは私たちから遠く離れてはおられない。私たちの心の住人になることを願っておられる。第二のメッセージは、今述べたことと関連するが、キリストはよみがえられ、墓の中にはいないということである。「ここにはおられません。・・・よみがえられたからです。来て、納めてあった場所をご覧ください」(6節)。御使いが墓の石を取りのけたのは、死人となったキリストと出会わせるためではなかった。キリストがよみがえったという証拠を見せるためであった。すなわち、空の墓を見せるためだった。墓泥棒の話を聞いたことがあるだろう。遺体を盗んでいく、遺骨を盗んでいく、ミイラを盗んでいく、貴金属を盗んでいく、など。この時は、それをさせないために番兵たちがつけられていた。墓泥棒は現れなかった。けれども、墓は不思議にも空っぽだった。第三のメッセージは、キリストの復活を弟子たちに告げるようにということである(7節)。男弟子たちはエルサレムのどこかの部屋にこもっていたようである。死刑囚の弟子たちということで人目を恐れていたのである。また、キリストが死んでしまって、これからどうしたらいいのだろうかと、悲しみと混乱のうちに沈んでいたようである。女性たちは、こうした者たちに対して、まさしく喜びの知らせ、グッドニュースを伝えるように託されたのである。キリストの復活というグッドニュースを最初に託されたのは、なんと女性たちだったのである。

7節をよく見ると「急いで行って」と急いで行くように言われている。現代は早く知らせる手段として、電報、電話、メール等があるだろう。江戸時代になる前からは「飛ぶ脚」と書いて飛脚がいた。伝令係の武士たちもいた。馬も通信手段として用いられた。しかし、それは一般的な手段ではなかった。とにかく古代は、早く走って伝えるしかなかった。伝書鳩が使われていた地域もあったが、それも一般的ではない。とにかく、伝える価値があるメッセージは、走って、早く伝えるということである。

彼女たちは、「急いで行って」を実行に移す(8節)。「恐ろしくはあったが大喜びで」とあるように、恐ろしさと喜びが入り混じった状態で、「急いで墓を離れ」、「走って行った」。それまでは、「すぐに墓に行かなければ~、早く墓に着かなければ~」と、ずっとそればかり考えていた彼女たちであったわけだが、墓に到着すると、「急いで墓を離れ」というドラマが待っていた。墓の中にキリストはいなかった。よみがえられたのである。彼女たちは御使いに促され、よみがえりのメッセージを伝える飛脚となる。

そして途中、復活のキリストと出会うという驚きに与る(9節)。キリストのあいさつは自然なものだった。「おはよう」。十字架で無残な死を遂げたことなど、うそのようなあいさつである。これは庶民がかわす一般的なあいさつのことばである。また旅人同士が道であいさつするときの一般的なあいさつことばである。「喜びなさい」とも訳せることばだが、ありふれた、形式ばらないあいさつことばである。これが、キリストの人格を良く表している。温かみがあって、形式ばらない優しさを感じる。キリストは貧しい人や疎外されている人や、罪人として嫌われている人に近づき、慕われ、愛された。肩の凝らない付き合いをされた。自然体で人々に接せられた。キリストは神の救い主であるけれども、神であるにもかかわらず、どんな人間よりも、より人間味に溢れているというか、愛すべき人格の持ち主であった。キリストは今まで何事もなかったかのように、「おはよう」と変わらないあいさつをされた。普段通りのあいさつであったと思う。お墓から出て来てのあいさつとは思えないあいさつである。

女性たちのほうは驚き、動転気味で、まともにあいさつを返せたようには思えない。書かれていることは、「彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ」という事実である。「御足を抱いて」と、どうやら、幽霊ではなかったようである。幻を見た、ということではなかったようである。そして「拝んだ」というのは神に対する礼拝行為であったが、キリストはこれを拒まなかった。「拝んだ」は、17節では「礼拝した」とも訳されている。教会はキリストが復活した日曜日を礼拝の日とする習慣があるが、日曜日に、世界最初にキリストを礼拝したのも女性たちである。

キリストはこの時、彼女たちに指示を出す(10節)。それは7節で御使いから受けた内容と同じもので、ガリラヤで待っている、ガリラヤで会おうと弟子たちに伝えてほしいというものである。これは、男弟子たちにとってチャレンジとなった。ほんとうにイエスさまは復活したのだろうか?ほんとうにガリラヤで会えるのだろうか?最初、半信半疑だったはずである。ここはエルサレムである。ガリラヤまでは約200キロの距離がある。そこまで歩いていかなければならない。彼らは試された。ガリラヤで復活のキリストと出会った記事の一部を読んでみよう。16,17節である。「・・・そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った」。お会いして、なお、疑った者がいたようである。私たちはどうだろうか。聖書は、キリストの復活を信じるように私たちにもチャレンジを与えている。また私たちを礼拝者として招いている。

今朝は、キリストの復活の記事をご一緒に見たが、キリストの復活が人類の希望であると知っていただきたいと思う。戦争や地震といった天災、人災を経験された方々の体験記を読むと、廃墟と化した街並みの中で、そっと咲いている一輪の花に慰めを得たことが書いてある。復活のキリストは、それ以上に私たちを慰め、また希望を与えてくださる存在ではないだろうか。キリストはこの世という廃墟にあって咲いたいのちの花である。よみがえりのいのちである。剣も槍も罪も悪魔も死そのものも、このいのちを滅ぼすことはできなかった。キリストは死からよみがえられ、そして私たちの希望となってくださった。

今、コロナ、地震、政情不安、戦争、気候変動、そうしたニュースを見聞きするときに、本当の希望ということを、つくづく考えさせられる。本当の希望は、よみがえりであり、いのちであるキリストにあるのではないだろうか。キリストを死で終わらせることができるものは何もない。キリストは、何が起こるかわからず、実に不安定で、やがて死が待っているこの地上の人生において、死に打ち勝つ希望、永遠のいのちの希望を確かなものとしてくださるのである。

皆さんお一人おひとりが、今も生きておられるキリストと出会い、「おはよう」と呼びかけてくださるお方との交わりに入っていただきたいと願う。キリストは私たちのいのちとなり、生きる力となってくださる。この世にあっても、御国にあっても、キリストとの交わりは途切れない。もちろん、孤独とはおさらばである。キリストは永遠の救い主である。