今日の記事で、キリストはご自身を「神殿」と呼んでいる。ヨハネの福音書を読んで気づくことは、キリストという存在が様々な表現で言い替えられているということである。今日は「神殿」をキーワードにしながら、キリストの救い主としての姿を仰ぎたいと願っている。
前回はキリストがガリラヤのカナの婚礼において、ご自身が神の救い主であることを表すしるしを行われたことを見た(2章1~11節)。水がぶどう酒に変えられた奇跡は、私たちの悲しみや憂いがキリストにありて喜びに変えられることも暗示しているようである。続く今日の個所は、エルサレムの神殿での一場面がクローズアップされている。
初めに12節を見よ。カナの婚礼の後、キリストの家族と弟子たちはカペナウムに下って、数日間そこに滞在された。カペナウムはカナから直線距離にして2キロ弱。そこはキリストの宣教の拠点地であった。そこでのミニストリーは他の福音書に詳しく記されている。
その後、過越の祭りが近づいたころ、キリストは弟子たちとともにエルサレムに上った(13節)。過越の祭りとは、イスラエルがエジプトの奴隷であった時にエジプトを脱出したことを記念して守られるようになった祭りで、傷のない一歳の子羊を夕暮れにほふるということが祭りの中心であった。このほふられる子羊とは、十字架の上でご自身をささげることになるキリストの型であったわけである。バプテスマのヨハネは1章29節で、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と弟子たちの注意をキリストに向けさせた。キリストはやがて過越の祭りの期間、まことの過越の子羊として、血を流し、贖いのみわざを全うされることになる。
この後に見る神殿での義憤に満ちた行為はマタイ、マルコ、ルカの三福音書にも登場している。しかし良く読めば、ヨハネの福音書の事件だけ時期が違うことがわかる。キリストの公生涯の間、過越しの祭りは計3~4回あったものと思われる(2章13節、6章4節、11章55節、もしかすると5章1節も)。マタイ、マルコ、ルカの三福音書は<一番最後>の過越の祭りの事件を記している。ヨハネは<一番最初>の過越の祭りの事件を記しているという違いがある。
キリストはカナでご自身のメシヤ性を示した後、公生涯の最初の過越の祭りの時期に、神殿で、しるしとは別のかたちで、ご自身がメシヤであることを示される。
14~16節を見よう。献げものとする「牛や羊や鳩を売る」こと自体は悪いことではない。遠くから上ってくる人は動物を遠くから連れてくるのは大変だろうと、買って献げることが律法でも許されていた。けれども、これを悪用していた。犠牲動物には検査が伴う。健全かどうかと。その基準を厳しくし、外から持ち込んだ動物は不合格とし、結局は神殿で売っている動物を買わせるようにしむけた。しかも神殿内で売っている動物の単価は高額だった。売り上げの一部は祭司たちのふところに入る仕組みになっていた。「両替人」ともあるが、ローマの通貨ではなくイスラエルの貨幣で献金するのがならわしになっていた。だから両替人がいた。これ自体も問題はないが、この制度を利用して高い両替手数料を取っていた。このようにして礼拝の場が商売の場に成り下がっていた。キリストは売る商品となるもの、商売道具を蹴散らし、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない」。「鳩」が一番良く売れただろう。そこに目をつけて、鳩には一般市場の何倍もの値段をつけて売っていたらしい。
それにしても乱暴狼藉が過ぎると思われるかもしれない。注目に値するのは、一つ目は、キリストが神殿で当然のごとくふるまっていることである。そこにキリストの権威を感じる。この神殿はわたしのものだと言わんばかりに。過越の祭りの真の主宰者はわたしだと言わんばかりに。二つ目は、16節にあるように「わたしの父の家を」と、父なる神とご自身を一つにしていることである。キリストは神の御子である。そして「わたしの父の家」とは神殿のことである。後に19節で見るように、キリストはご自身のことを「神殿」と呼んでいる。キリストという神殿は商売の家とされるどころか、十字架の上で抹殺されることになる。「わたしの父の家を商売としているやからよ。今度はわたしという神殿を壊してみよ。しかしわたしは三日で建て直すのだ」とチャレンジを与えている。
では、このことをもう少し詳しく見ていこう。キリストの先のことばを引き出したのは、18節のユダヤ人たちの質問である。「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか」。ユダヤ人たちはしるしを求める民族と言われる。彼らは、キリストの行動をただの乱暴狼藉とは見ていなかった。ただ者ではない権威者のふるまいに見えたからこう問いかけている。しかし、しるしを求める必要などなく、すでにキリストは神殿での権威ある言動で答えを与えている。
しかし、キリストはしるしとして十字架の死後の復活について語る。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」(19節)。しかし、神殿ということばが、彼らの頭ではイエスという人物と結びつかない。だが真理は、キリストが本物の神殿で、地上の神殿もキリストという神殿の型にすぎないということである。「私はこの都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである」(黙示録21章22節)。
ユダヤ人たちが意識したのは人間の手で造った地上の神殿である(20節)。「この神殿は建てるのに46年かかりました」とあるが、正確には、まだ造営工事の途中だった。紀元前19年ないし20年から工事が始まり、神殿そのものは完成していたが、神殿全域の工事は途中で、完成は紀元63年のことである。この頃は紀元30年前後の3月ないし4月と思われる。地上の神殿は全体の工事が完成する約6年後の紀元70年にローマ軍に破壊され終わりを見る。キリストという神殿のほうは約3年後に破壊される。しかしキリストの預言通り、破壊されても三日目に建て直される。その神殿は永遠に朽ち果てることはない。
次に弟子たちが、この事件をどのように受け取っていたかを観察しよう。弟子たちの場合まず、キリストの行動から旧約聖書のみことばを思い起こしている。「弟子たちは、『あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い起こした」(17節⁄詩編69篇9節)。皆さんも、みことばを思い起こすということがあるだろう。また旧約聖書を読んでいて、「これってイエスさまのことを言っているよね、イエスさまに当てはまるよね」と気づくことがある。そしてはっきりとした理解と確信が与えられることになる。「それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた」(22節)。彼らは後で、その意味がわかる時が来た。弟子たちにとって神殿でのキリストの言動は印象的なものであったが、それが何を意味しているのかよくわからなかった。ユダヤ人たちだけでなく、弟子たちも悟れていなかった。けれども、キリストの復活の後、思い起こし、理解したということである。最初、弟子たちはこの事件限らず、キリストの言動を良く理解できないでいた。だが、キリストが栄光を受けられた後で、すなわち、十字架と復活と昇天の後に、すべてがわかるようになる。なぜ彼らは理解できるようになったのか。それは聖霊の働きである。ヨハネ14章26節を見よ。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを<思い起こさせて>くださいます」。弟子たちはキリストの不可解にも思えるふるまい、そして謎めいたことばの意味が、後で、聖霊の助けによってわかるようになった。
私たちも、その時はわからなくとも、後に、聖書に書いてあることをはっきりと理解し信じる信仰が来る。聖書は読んでも、その時はピンと来ないことがある。だが、貯めるようにして読んでいくときに、思い起こしたり、わかったという時が来る。その繰り返しである。どうして今まで気づかなかったんだろう、と思う時もある。新しい発見を繰り返していくわけである。その過程で、キリストをより正しく、より深く知るようになる。それは聖霊の働きである。
23節~28節は、キリストが過越の祭りの期間、しるしを行われたことについて言及している。ヨハネ独自の言及である。「多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた」(23節)とある。にもかかわらず、「しかし、イエスは、ご自分を彼らにお任せにならなかった」(24節前半)と続く。「お任せにならなかった」とはどういうことなのか?その理由として、24節後半で「イエスはすべての人を知っておられたから」とあり、25節で「人のうちにあるものを知っておられたので」とある。これをどういう風に受け止めたらいいのだろうか。
私たちは、「イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった」という理由を文脈と歴史的時間帯から考える必要があるだろう。23節で「御名を信じた」とあったが、この信じる信仰は、キリストが栄光を受けられる時まで、すなわち十字架と復活と昇天の時までは本物にはならない。彼らはぼんやりとしか、あいまいにしか信じていなかった。不十分で不確定な信仰だった。メシヤとして信じ切るまでは至っていなかっただろう。キリストの弟子たちはどうだっただろうか。弟子たちは、この方こそメシヤだと信じてはいた。だから弟子として召された。ところが彼らもキリストのメシヤとしての性格も把握し切れずにいた。メシヤが十字架で死んではならないと思っていたし、死んで復活するなどということも考えに及ばないでいた。自己本位なメシヤ像を抱いていたわけである。だがキリストの復活というイースターを境に彼らの信仰は本物となる。そしてペンテコステにおいて聖霊を受けて、彼らの不十分な理解は完全になる。いずれにしろ、この時点での不確かな信仰ということゆえに、キリストはご自身を彼らにお任せにならなかった、なれなかったということは確かである。
実は、23~25節の記事は、次回3章で学ぶ「ニコデモとの対話」の序曲となっている。先取りするが、ニコデモは3章2節で、「神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません」と言っている。彼も「イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた」ひとりと言えよう。だがその信仰は、不十分で、不確か。本当の意味で信じたというのではない。神が遣わされた方とは信じても、それ以上のことは良くわからずにいたと思われる。メシヤかもしれないと思ってはいても、確信はあいまい。キリストがどういう意味でのメシヤなのかもまだ理解できていない。ニコデモは、まだ真の信者ではなかった。ニコデモとキリストの対話は次回のお楽しみということにしよう。
今日のタイトルは「過越の祭りと神殿」ということであったが、初めにお話ししたように、ヨハネは意識して過越の祭りを何度も登場させる。その枠組みの中で、キリストが過越の祭りに関係する神殿であり、パンであり、水であり、灯であり、子羊そのものであることを証する。
今日の記事は、キリストは神殿であるということが強調されている。紀元70年に地上の壮麗な神殿がローマ軍によって破壊されることになるが、人々はその時、悲しんだ。神の住まいであり国のシンボルが破壊されたので、自分を失ったような気持ちになっただろう。しかし人々は本物の神殿のほうは重視しなかった。本物の神殿であり生ける神殿であるキリストは地上の神殿が破壊される前に破壊された。紀元33年頃に十字架につけられ、殺されてしまう。それは敵国が望んだことではなく、神を敬っていると自称する自国のユダヤ教の指導者たち、ユダヤ当局が望んだことだった。エルサレムの群衆も「十字架につけろ」と叫んだ。キリストという神殿は尊ばれなかった。人々の怒り、憎しみ、強欲がキリストに襲いかかり、傷だらけ、血だらけで、短時間で絶命する。人々は自分たちがどんなに愚かなことをしているのかわからずにいた。生ける神殿キリストは今日の物語の後、約3年後に廃墟と化する。それは余りに身勝手な罪人たちの手による破壊行為だった。しかし、神はこれを、私たちの救いの手段に変えられた。キリストの死によって、あの十字架の上で、私たちの罪は裁かれた。ここに人の思いをはるかに超えた神の愛と神の知恵を見ることができる。そして、その後がある。神殿が破壊されたままでいていいことはない。神の御力は現わされる。キリストという神殿は破壊され、それで終わりではなかった。建て直されることになる。人間の側で、償いの意味で建て直すことはできない。人の側で「神さま、何ていうことをしてしまったのでしょうか」と弁償行為はできない。神ご自身がよみがえらせたのである。取り返しのつかないことをやってしまったと涙にくれた人は、大きな慰めを得ただろう。償い切れない罪も、このキリストにあって赦されると知るのである。
今週は受難週だが、前回のカナの婚礼同様に、今日の場面でもキリストは十字架を意識しておられる。そして十字架に向かって時を刻んでいく。キリストの心には常に十字架があったようである。その十字架は全人類の誰もが経験しえないメガトン級の重い裁きが下ることを意味していた。キリストにとって、日々、この重い十字架を心に置いて生きて行くというのはどういう心持ちだったのか及びもつかないが、主の十字架の道行きに、少しでも心を寄せて受難週を過ごしたいと思う。