皆さんは「復活」ということばに何をイメージされるだろうか。「復活」を広辞苑で引くと、「生き返ること、よみがえること・・・特にイエス・キリストの復活を指す」とあった。皆さんはイエス・キリストの復活を信じられるだろうか。

イエス・キリストは今から二千年前、イスラエルのエルサレムという町において、十字架刑によって死なれた。聖書によれば、この死は、私たち罪人に対する愛という動機に基づいているもので、キリストは全人類の罪のためにいのちを捨てられたとされている。キリストは私たちの罪の代償としての死の刑罰をその身に受けたとされている。このようにしてキリストが私たちに与えようとされたのは、罪の赦しと永遠のいのちである。

キリストは死で終わらず、三日目に死人のうちよりよみがえられたと聖書は告げている。このキリストの復活は、信じる者に永遠のいのちを保証するものなのである。もしキリストが死に征服されて復活はないとするなら、永遠のいのちはことば遊びとなる。「キリスト」という称号の意味は「救い主」という意味であるが、もし救い主というお方が死に打ち負かされて終わってしまうならば、救い主の資格などないし、死んで終わりの方を信じて、永遠のいのちの保証など、どこにあるだろうか。旧約聖書の伝道者の書3章11節には「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた」とあるが、人は永遠のいのちを希求する。それを確かなものにしてくれるのが、キリストの復活である。

今日はキリストの復活が真実であったことを知っていただくために、キリストの復活を否定する様々な説を検証していきたいと思っている。これから七つの説の検証を試みる。

  • キリストは死んでいなかったとする説~キリストは瀕死の重症を負ったとしても死ななかったとする。キリストは十字架にかかる前に、これで死ぬこともあったという鞭打ちを受け、釘打たれ、十字架につけられた。約6時間後、兵士たちは十字架上でのキリストの死を確認した。しかし念のためということで、兵士のひとりがキリストの脇腹を突き、多量の出血があった(ヨハネ19章34節)。犯罪人の死を確認しないで十字架から下ろすことはローマの法律で禁じられていたので、念には念をの処置であった。これでも生きていることはあり得るのか。キリストは十字架から下ろされ、亜麻布で30キログラムもの香料を使用されながらぐるぐる巻きにされ、岩壁を掘った穴に葬られ、大きな石で蓋をされた(ヨハネ19章39~42節)。その上、概算して40時間以上もの間、一切飲み食いもできなかった。しかし独力で亜麻布を解き、大男一人でも動かせない石を転がし、番兵たちを振り払い、墓を出て逃げ切った、ということができるのか。常識人なら、この幼稚な説は相手にしないだろう。
  • キリストは正式に埋葬されなかったとする説~キリストが死んだことは認めよう、しかしキリストは実際は埋葬されなかったのだから、墓は空なのは当たり前だと言う。ではキリストの遺体はどこに行ってしまったかと言うなら、犯罪人用の墓穴に投げ込まれたのだと言う。それなのに、誰も葬られていない空の墓のためにわざわざ番兵をつけるだろうか。
  • 女弟子たちは墓を間違えたのだとする説~墓を見に行った女たちは、朝早くて暗かったので、間違って誰も埋葬されていない墓に行ってしまったのだとする説がある。しかし、27章61節にあるように、女たちが複数で、埋葬された墓をしっかり確認している。もし勘違いして他の墓に行ってしまったとしても、その勘違いに後で気づくだろう。男弟子たちも後で見に行ったわけだから(ヨハネ20章1~10節)。
  • 弟子たちは幻覚を見たのだとする説~幻覚を見た。つまり、キリストの復活を期待する心が幻覚を見させたのだと言う。しかし弟子たちにキリストの復活を信じる心などなかった。弟子たちは女たちから復活のニュースを受けた時、「ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった」(ルカ24章11節)とある。弟子トマスなどは「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また、私の手をそのわきに差し入れてみなければ決して信じません」(ヨハネ21章25節)とまで言っている。彼らは復活を信じやすい心の状態になどなかった。そしてキリストの復活を目撃した人数は一握りの人数レベルではなく、第一コリント15章6節によれば、500人以上となっている。「その後、キリストは500人以上の兄弟たちに同時に現れました」。彼ら全員が幻覚を見ることなどあるだろうか。
  • 霊能者による呼び出し説~オカルトパワーによって呼び出され、その出現した幽霊はキリストのようであった。それで弟子たちは、それがキリストであると信じ込んだのだと言う。これは幽霊説。しかし、聖書には、女弟子たちがキリストの足を抱いたという描写がある(9節)。その他、幽霊ではないかと疑っている男弟子たちの前で、キリストは「わたしにさわって、良く見なさい。幽霊ならこんな肉や骨はないでしょう」と言って、それでも弟子たちが半信半疑でいるので、彼らの目の前で魚を食べてみせたという記事がある(ルカ24章36~43節)
  • 変装説~誰かがキリストに成り済ましたとする説。うまく変装できるのだろうか。似たような人物を見つけたとしても、鞭打ち、釘打ちの傷というのはどうやってつけたのだろうか。現代のような特殊メーク技術があるわけでもない。彼はまた、キリストの声も真似なければならないはず。一人の人をだませても、大勢をだますには、完璧な模倣が求められたはずである。また復活を装うためには、キリストの遺体を墓から盗み出し、それを隠すこともしなければならなかったはずである。それにこうしただましの準備には時間がかかったはずである。キリストは金曜の夕方に亡くなり、変装して現れなければならなかったのは、日曜日の早朝である。準備時間が余りにも少ない。
  • キリストは盗まれたとする説~この説が現実的として受け入れられやすい。弟子たちは、キリストが生前、三日目によみがえると予告していたのを知っていたので、それを世間に信じ込ませるために遺体を盗んだのだと言う。これから、この説を、今日のみことばから丁寧に検証しよう。

11節を見ると、キリストの墓が空になったことに気づいた番兵たちは、一目散に祭司長たちのところに足を向けたことがわかる。番兵たちはローマ兵である。エルサレムはローマ直轄の領地であったので、祭司長たちはローマ総督ピラトに番兵を付けてくれるよう懇願していたのである(27章62~66節)。番兵たちは役目に失敗した。番兵たちは顔面蒼白であっただろう。ローマ政府の掟により、見張りに失敗した兵士は死刑というのが通常の処置であった(使徒12章19節)。番兵たちは、祭司長たちに、何とか自分たちの身を守ってほしいと相談を持ちかけたはずである。

祭司長たちはキリストの墓が空のニュースを聞いて、キリストの復活を信じたのだろうか。何があっても信じないというのが彼らの意地である。彼らはキリストは盗まれたのではないという事実を知りながら、なぜ墓が空なのかを自らに真剣に問うことはしない。祭司長たちは議会の主要メンバーを招集して協議し、三つの決定を下す(12~14節)。第一に、番兵を買収すること。真実を話されたら困るということがもちろんあった。「多額の金を与えて」(12節)の「金」は原語で「銀」であるが、26章15節で、ユダに裏切りの報酬として与えたものと同じである。彼らの渡したお金というのは、元をたどれば神殿の金庫から出たものである。彼らは国民の献金、税金を悪のために用いたということになる。決定の第二は、番兵に盗んだといううそを言い広めさせること(13節)。議会のメンバーたちはモーセの弟子を装いながら、隠蔽工作のために、モーセの十戒の「偽りの証言をしてはならない」を平気で破る。決定の第三は、番兵たちの身を守ること(14節)。通常は死刑となるあなたがたを守ってやる、ローマ総督にもうまく話をつけてやる、ということだが、ローマ総督ピラトは、二日前、キリストの無実を確信しつつも、祭司長たちに悪く言われれば自分の立場はなくなってしまうと、保身から十字架刑の判決を下してしまった人物。祭司長たちはピラトの弱腰を見抜いていて、今回もうまく行くだろうと踏んだのだろう。

結果、15節にあるように、「・・・この話が広くユダヤ人の間に広まって、今日に及んでいる」となる。マタイが福音書を執筆したと言われるのは、紀元63年頃であるが、偽りの宣伝、そして隠蔽工作の事実も広まった。整理すると、キリストの遺体が盗まれたというニュースとキリストが復活したというニュースは、ほぼ同時期に広まっていった。人々は盗みと復活のどちらを真実として信じるのか。真実は一つ。当初は盗みを信じる者が多かったかもしれないが、復活を信じる者がどんどん増えていった。

もし盗みの物語が真実であるならば、ユダヤ人のリーダーである祭司長たちは、盗まれたからだの発見に努めたであろう。彼らは兵士たちを含めて数百人の情報源をもっていたし、それに11人の使徒たちを見つけ出して問いただすことなど容易にできたはずである。けれどもからだの捜索に努めた証拠も、からだを見つけた事実もない。盗まれた証拠はどこにもない。

何よりも、盗まれる状況下にはなかった。盗まれないように番兵をつけた。11節で「数人の番兵」と言われているが、これは報告に行った番兵の数なので、実際、墓で見張りをしていたのは2~3人ではない。二桁の数字が考えられる。13節で「夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った」とあるが、夜番をする兵士は、通常、夜を四つの時間帯に分けた。一つの時間帯は2~3時間。その時間、複数で見張りをして、次のグループと交替して眠った。2~3時間起きていることは困難ではない。ましてや、眠ってしまって盗まれでもしたら、自分の命はないので、自分の命がかかっている仕事ならば眠ってしまうことはない。もし眠ってしまったとしても、2~3時間の間、全員がいっしょに眠ってしまうだろうか。たとい全員が眠ってしまったとしても、石を動かす音に番兵たちが気づかないということはあり得ない。

ある人たちは、弟子たちは番兵たちの注意をそらし、キリストのからだを盗んだのだと言う。弟子たちで相談して、キリストのからだを持ち出す役、兵士たちの注意を逸らす役を決めて墓に出かけた。兵士たちの注意を逸らす役は、話しかけたり、身をくねらせたりして、視線が墓のほうに行かないようにした。その隙に盗み出したと言う。こんな危険に満ちた計画を立てるだろうか。石を動かすのには時間がかかる。戸をバタンと開くのとは訳が違う。それにからだに巻きついた亜麻布を解くのにも時間がかかる。ヨハネの福音書には、からだを包む亜麻布が残っていたとある(20章5~7節)。時間の勝負なのだから、亜麻布をわざわざ解く理由がわからない。

弟子たちは盗む心情にあったのかということも考えてみよう。祭司長たちは、弟子たちがキリストは三日目によみがえったと宣伝するために盗み出したと言いたかったわけだが、弟子たちは、三日目によみがえるというキリストの予告を全く信じていなかった。女弟子たちの主のよみがえりの報告を聞いても、たわごとと思ったほどである。主のよみがえりを信じる気も、宣伝する気もさらさらなかった。そして葬られ方を思えば、十字架につけられた犯罪人の末路は普通、犯罪人用の墓穴に投げ込まれたり、ごみの山に捨てられたりのところ、まだ誰も葬られたことのない、金持ち所有の新しいりっぱな墓に葬られたわけだから、「これ以上のお墓はない。しかも丁重に葬っていただいて有り難い」ということで、そのりっぱな墓穴から盗み出す理由もない。

また、弟子たちには盗む勇気など持ち合わせていなかった。キリストの逮捕を前に、なんと全員が逃げ出してしまったし、キリストの処刑後は、世間から死刑囚の一味として見られることを恐れて、エルサレムの家の一室に閉じこもってしまっていた。そういった臆病な弟子たちである。ところが、しばらくして弟子たちは人格が豹変する。民衆の前に堂々と現れ、大胆に、キリストは死からよみがえられました、と公言する。ユダヤ議会のメンバーが聴いていようがいまいが関係ない。キリストの復活を語ることを禁止され、おどされても語るのをやめない。逮捕覚悟である。そして現に、ユダヤ人の反感を買って逮捕され、殉教していった者たちも現れた。そして最終的には、使徒たちのほとんどが殉教していった。自分たちが作りだしたうそのために、ここまで大胆に命がけになれるだろうか。この極端な変化はどうして起こったのだろうか。それは、彼らがよみがえられたキリストに出会ったからである。そして、死では終わらない永遠のいのちを確信したからである。彼らはうその教説のために命を投げ出したのではない。キリストの有名なことばに、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」がある(ヨハネ11章25節)がある。このキリストのことばは、そのまま信じるに価する。そして二千年来、多くの人々が信じてきた。彼らは、自分たちと自分たちの人生に、キリストの復活のいのちを体験してきた。人生の変革、それ自体がキリストが生きて働いておられる証拠である。キリストの復活のいのち、それは罪の腐れに打ち勝つ。いのちのないところに腐れが始まる。キリストの復活のいのちは罪に打ち勝たせる。罪の力そのものから解放する。またそればかりか逆境をも乗り越えさせる。主の復活のいのちは困難を打ち破る力となる。枯れ枝が芽を出し、切り株が芽を出し、雪の下から芽を出すようにである。そして、やがて死に打ち勝たせ、永遠のいのちの実を結ばせる。主の復活のいのちは勝利のいのちである。すべてを新しくするいのちである。

キリストは日曜日の早朝、確かによみがえられたのである。キリストは復活によって罪と死と悪魔に勝利され、永遠のいのちそのもののお方として、今も私たちに働いてくださる。このお方の復活のいのちを体験しながら、このお方とともに歩んで行こう。