ペテロはクリスチャンでない人たちにも良く知られている人物である。キリストの弟子であるということで知られている。そしてまた不名誉なことに、キリストを知らないと否定した人物として有名になってしまった。世界のベストセラーと言われている聖書に、この不名誉な記録が記載されてしまい、全世界中の人に、そして現代に至るまで、裏切り者として語り継がれることになってしまった。無人島に持って行きたい曲として必ず挙げられるバッハのマタイ受難曲でも、ペテロの否認が音楽の一つの山場となっている。今日、中心的に取りあげたいのは、ペテロの流した涙の意味である。75節に「激しく泣いた」とある。だいの男が激しく泣くとはどういうことだろうか。時代によって男の涙の位置づけも変わってくる。日本では平安時代は男は良く泣いたようである。男が泣くことは当たり前に見られていた時代であった。ところが、いつしか、男だったら泣くんじゃないといった風潮へと変わっていった。だが、泣いて悪いということはない。神さまは人間をそのように造られたわけだから。イエスさまもラザロの死の場面で涙を流している(ヨハネ11章35節)。また都エルサレムを見渡して、滅びる日が近いことを知って涙されている(ルカ19章41節)。

今日の場面の背景であるが、イエスさまと弟子たちがゲッセマネの園で祈り終えた時、裏切り者のユダの手引きによって、大ぜいの群衆がイエスさまを捕縛するためにやって来た。ユダヤ議会のリーダーたち、神殿警察たち、大ぜいのローマ兵たち。イエスさまは逃げも隠れもせず捕縛される。弟子たちはみな、イエスさまを見捨てて逃げてしまった。捕縛されたイエスさまは、夜中に予備の裁判にかけられる。通常、夜中にすることはありえなかったのだが、彼らは闇夜の時間帯に、暗闇の精神で、イエスさまを殺したい一心で、偽証者も立て、不当な裁判で死刑に値するという判定を下す。またイエスさまに暴力を振った。場所は大祭司の中庭であった。今日はその続きの場面である。

時間は金曜日の午前1時頃ではないかと推察される(十字架につけられるのが午前9時)。58節を見ると、一旦イエスさまを見捨てて逃げたペテロであったが、遠くからイエスさまの後をつけてきたことがわかる。ペテロは遠くからでもついて行ったということにおいて、イエスさまへの愛は弱かったが、イエスさまを愛していたことには間違いないということがわかる。ところが、ペテロは大祭司の中庭で、三度もイエスさまを否定してしまう。聖書はこの場面を通して、私たちに訓戒、注意を与えようとしているとともに、悔い改める者への主のあわれみということも伝えている。

ペテロを失敗に追い込む質問をしたのは「女中のひとり」とある(69節)。「女中」と訳されていることばは「奴隷の少女」とも訳せることばである。同じことばがガラテヤ4章22節では「女奴隷」と訳されている。通常このことばは「若い女奴隷」を指すことばである。それは社会的地位が最低ランクの女性である。ペテロは、まだうら若くて社会的地位の低い女性の一言でうろたえてしまった。数時間前には大ぜいの男たちを前に剣をふるった男といえどもこんなものである。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね」という彼女の質問に対して、「何を言っているのか、私にはわからない」と打ち消してしまう(70節)。この打消しの度合いはだんだんひどいものとなっていく。ペテロは居場所を失って庭の出入口まで身を引くが、そこで別の女中に見つかる(71節)。「この人はナザレ人イエスといっしょでした」。それに対してペテロは、「そんな人は知らない」と誓って打ち消す(72節)。最初は「何を言っているのか、私にはわからない」とあいまいにしてごまかしたが、二度目は誓って否定した。そうしているうちにペテロを認識する人々が増えてきて、ペテロに、「あの人の仲間だろう。ことばのなまりではっきりわかる」と言い寄られてしまった(73節)。当時の日常用語はアラム語であったと思われるが、そのことばになまりがあったので、イエスの弟子だとバレた。ガリラヤなまりである。イエスさまもガリラヤなまりで話しておられたのだろう。ペテロはこの指摘に対して、呪いの誓いをもって否定する(74節)。呪いをもっての誓うということだが、その誓いがうそ偽りの場合、自分に呪いをもたらす行為となる。つまり、「うそならば、この身に呪いあれ」ということで、我が身に呪いがふりかかってもいいという誓いである。裏を返せば、呪いなんて誰も望まないわけだから、「本当に自分の言っていることは真実なんだ」という主張がそこにあるわけである。けれどもペテロの場合、うそを言っているのであって、単に捕まりたくないから言っているだけのこと。そして先ほども少し触れたように、ペテロの否定の度合いはエスカレートしていき、取り返しのつかないものになってしまった。直訳で訳すると、最初の70節は、「私はわからない、あなたの言っていることが」。二度目の72節は、「私はわからない、その人のことは」。この場合は「誓って」と言われている。三度目の74節は、「私はわからない、その人のことは」。この場合は、「のろいをかけて誓い始めた」となっている。単に否定が三度ということだけではない。

三度の否定のタイミングで鶏が鳴いた(74節後半)。ここで彼の記憶が呼びさまされる。それはイエスさまが数時間前にされた預言、「鶏が泣く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」である(75節前半)(34節参照)。鶏は、ペテロが三度否むタイミングで鳴こうと、タイミングをはかっていたわけではないだろう。だいいち、人間のことばを理解できるわけはないから。ペテロは鶏の声が矢となって心に突き刺さり、自分の犯した大罪に目覚め、愕然となる。おそらくペテロは生涯、鶏の鳴き声を聞くたびごとに、この時の失敗を思い起こすことになったであろう。75節後半で、「彼は出て行って、激しく泣いた」とあるが、ある人は、ペテロはゲッセマネの園に戻って、そこで悔い改めの告白と祈りをしたのではないかと推察するが、大切なことは、彼の涙は悔い改めの涙であったということである。

著者マタイはペテロとユダの失敗を並べて描いている(27章4,5節)。二人の大きな違いは悔い改めたかどうかである。ペテロはなすべき応答をしたということにおいて、弟子たちのモデルとなっている。また、神は悔い改める者に対して再出発のチャンスを与えるという意味においてもモデルとなっている。

ペテロの失敗をもう少し考察しよう。私たちはペテロはしょうがない人だと見てしまうのではなく、私たちも同じ過ちを犯す弱さがあることを覚えておかなければならない。ペテロはイエスさまが十二弟子のリーダーとして選んだ男である。彼はその資質を有していた。彼は私たち以上に忠誠心が厚い弟子といっても良い。その彼でも試みに負けたということにおいて、私たちは彼の失敗から学び取らなければならない。

彼の問題について整理すると、第一に、彼は自身過剰であった(26章33節)。「たとい全部の者が・・・決して・・・」。ペテロの裏切りはそれから数時間後のことである。コリント人への手紙第一では、「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」とある(10章12節)。自分は大丈夫と思い込んでしまわないことである。その強さが裏目に出る。第二に、彼は強情であった。26章34節で、イエスさまがペテロが裏切る預言をされた時、ペテロはどう反応したのか。私にはそのような弱さがあるんですか、ではなかった。死んでも裏切らないと言い張った(26章35節)。並行箇所のマルコ14章31節では、「ペテロは力を込めて言い張った」と記されている。彼は自分の弱さを認めようとはしない。ある訳はこの箇所を「ひどく力んで語り続けた」と訳している。力みも彼の強情さを物語っているが、原文では「語り続けた」という文体になっていて、それが続いたわけである。ところが彼の強情さはもろいもので、名もない若い女性の一言でガタガタとくずれていった。第三に、彼は祈りがなかった。イエスさまは祈っているように注意を与えていた(26章41節)。ペテロは自分の弱さを知らなさ過ぎた。祈らない強さは災いを招くことになった。私たちも実体はペテロと何ら変わりがない者であることを覚えよう。

ペテロのすぐれているところは、悔い改めたということである。もちろん、悔い改めるということは誇りでも何でもなく、当然しなければならないことである。ペテロは悔い改めの涙を流した。激しく泣いた。鶏の声が彼の心を破った。

バッハのマタイ受難曲では、福音書記者役のテナーが「そして、外へ出て激しく泣いた」と歌った後、バロック時代の名曲として知られるようになったアルトのアリア、「神よ、あわれみたまえ」が続く。ペテロの号泣が土台となっているアリアである。「神よ、ご覧ください、心も目も、御前に激しく泣いています。あわれんでください、神よ。わたしの涙のゆえに」。このフレーズが繰り返される。その後に、信仰の応答としての合唱が歌われる。「たとえあなたから離れても、ふたたびみもとへと立ち返りましょう。御子が私たちを、悩みと死の苦しみをもって贖ってくださったのですから。私は咎を否みません。しかし、あなたの恵みと愛は、たえずこの身に宿る罪よりもはるかに大きなものなのです」。罪を犯してしまったと悲嘆にくれる。しかし、キリストが悩みと死の苦しみをもって十字架の贖いのみわざを成し遂げてくださったので、信頼して立ち返ります、という告白である。また、「あなたの恵みと愛は、たえずこの身に宿る罪よりもはるかに大きなものです」と、主の恵みと愛の大きさを覚えて、信頼をもって立ち返りますという告白である。

ペテロは三度もイエスさまを否認してしまって、しかも呪いの誓いまでして否認してしまって、この時、どんな思いになったのだろうか。「自分は最低の人間だ、主をあやめたに等しい。ああ、自分は救いを求めてどこへのがれたらいいのか。私は呪われた罪人だ。主よ、お赦しください。」ペテロはかつてこれほどまでに自分の罪深さを思ったことはないだろう。恩を仇で返すようなまねをしてしまい、私はなんて愚かなことをしてしまったんだと、ただただ泣いたであろう。そして主が十字架についたと知った時は、心が完全に張り裂けてしまっただろう。イエスさまが十字架についた時、ペテロがどこでどうしていたのか、聖書は沈黙している。自分の罪でつぶれてしまっていたのかもしれない。しかし彼は、やがて、自分の罪に対する赦しの確信を、よみがえりの主との出会いを通して確かなものとする。そしてペテロは後に告白する。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」(第一ペテロ2章24節)。ペテロが「私たちの罪を」と言うとき、「私ペテロの罪」ということばが重く含まれている。彼はリアルに自分の罪をキリストの十字架に見た。私たちはどうだろうか。

17世紀の聖徒ハインリヒ・ミュラーは、ペテロが流した涙を「血の涙」と呼んだ。その血とは心の血である。悔い改めの涙を流すときは心が血を流しているということである。自分の罪で心が破れ、心が血を流すというのである。私たちは涙の量は別として、ペテロにならっておのが罪に泣くことをしなければならないときがある。

次のみことばにも心を留めよう。

「今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに沿って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。神のみこころに沿った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」(第二コリント7章9,10節)

ここからはっきりわかることは、悔い改めの悲しみは救いに至るが、そうでない悲しみは死に至るということである。「世の悲しみ」とは、神とは関係のない、自己憐憫的な悲しみが入ることはまちがいない。それは自己中心が根源にある。その悲しみは神のみこころに沿った悲しみではない。私たちは神の前に心砕かれ、神のみこころに沿った悲しみを尊ぶ者たちでありたい。そして、神の恵みと愛は、たえずこの身に宿る罪よりもはるかに大きいことを覚えて、感謝をささげたい。