今日のお話のテーマは「希望」とさせていただきたいと思う。「百里の道も希望があれば楽しい」ということわざがあるが、希望がなければ毎日の足取りは重くなってしまう。私も、神さまのことが良くわからなかった青年時代、どうして自分のような役に立ちそうもない者が生きていなければならないのかわからず、夜になると「明日という日は来ないでくれ」と心の中でつぶやき、朝を迎えると「今日も新しい日が来てしまった」と嘆いていたことを思い出す。生きる意味を見出せない、未来はない、という思いの中で生きている人は多い。現代では、10代から30代の若年層の死亡原因の一位は何かと言うと、自殺である。

ロングセラーとして世界中の人に読まれている本として、心理学者V.E.フランクルの「夜と霧」がある。ドイツ強制収容所の体験記録である。フランクルの体験記録は世界中で読み継がれている。その中でこのような観察の言葉が出て来る。

未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所で破綻した。そういう人は未来とともに精神的よりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。(新版P125)

ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっという間に崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。「生きていることにはもうなんにも期待がもてない」こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。(新版P129)

未来に何も希望を見い出せない場合、人は破綻する。自分の未来を信じられる、生きる目的を見出せる、ということは幸いである。最近、精神科医が執筆している面接、面談の本を読んでいて気づいたが、来談者の方々が、人生の根本的問いかけとして、生きる意味、目的を問うてくることが、やはりあるのだそう。その時、精神科医であっても「生きる意味、目的」という根本的な質問には答えられないということである。この深遠な質問に対して確かな答えをもっているのは聖書だけであると信ずる。

今日の聖書箇所は、道の途中でキリスト一行が盲人の物乞いと出会うという場面である(1節)。キリストが立ち止まってその盲人に目を注いだのにつられてか、弟子たちはキリストに尋ねた。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」(2節)。人は病気だとか悲惨な運命を背負ったとき、何のせいだろう、誰のせいだろう、どうしてこんなことになったのだろうと詮索する。原因さがしである。今日の物語は東洋のはずれであるイスラエルが舞台となっているが、日本を含め東洋では因果応報的な見方をする。この人は何かバチが当たるようなことをしたのか。それとも「親の因果が子に報い」で親の不の遺産を背負ったのか。それともさかのぼって先祖の罪か。その他によくあるものは前世の行いが悪かったから現世でこのような苦しみに会うのだという理屈。私が結婚間もない頃、ある有名な新興宗教団体の信徒の方が病弱な私を見て、前世の話を持ち出してこられたので困ってしまったことがある。あなたの前世に問題がある、というお話。このような苦しみの原因さがしというものは解決にならないことが多い。家族史などを調べることにより、自己分析に役立つことがある。親の影響や過去の体験が自分を形づくっているという部分があるので。しかし、そうした過去の振り返りがすべての解決にはならない。それをしたからといって、希望が生まれるとは限らない。過去のあの選択はまちがっていたと悔やんでも、今さらどうにもならないところがある。

さて、弟子たちは原因さがしの質問をしているわけだが、キリストは苦しみの原因ではなく、苦しみの目的に目を向けさせようとしている。キリストは、「神のわざがこの人に現れるためです」(3節)。キリストはこの盲人に罪はないなどとおっしゃりたいのではない。すべての人は罪人であるというのが聖書の人間観である。ここで言われたいのは、この人ないしこの人の両親の、他の人以上に悪い罪が盲目を引き起こしたという仮説を否定しているということがまず第一点。当時、生まれつきの盲人は先のような偏見から、罪深くて無価値な存在というレッテルを貼られ、相手にされなかった。両親によって養われることも少なく、物乞いをして生きていくしかなかった。過去は黒くぬりつぶされ、未来もない、そういう存在。以前もお話したが、当時の生まれつきの盲人は、淋病のバクテリアを保有している母親からの母子感染が多かった。クラジア感染症であるトラコーマも多かった。けれども当時は、そういう知識はない。では、こうした病気の原因の医学的知識をもっていれば未来は信じられるのか、明るくなるのかといえば、単純にそういうことでもないだろう。だから、「神のわざがこの人に現れるためです」というキリストのことばに心を留めたい。キリストは、苦しみの原因ではなく、苦しみの目的に目を留めさせようとしている。「その苦しみは人知を越えた神の祝福がもたらされるためなのです」と、苦しみに建設的な目的を与えてしまわれる。私は今日ここで、苦しみの意味についてすべて説き明かそうなどとは思っていない。だいいち、人生の苦しみの問題を詳細に解明することなどできない。ただ私は、キリストは私たちに希望を与えることを知っていただきたいということである。

キリストのことばは、私たちの未来に希望を与えるものである(今日のことばを含めて、新約聖書に書いてあるキリストのことばはそうである)。私たちは自分たちでは説明のつかない不公平とも思える出来事、宿命的とも思える困難に遭遇したとき、それをひたすら過去の因果に求めていくよりも、希望の未来に目を注いだほうがよい。まさしくキリストは過去の因果ではなく「神のわざがこの人に現れるためです」と、これからの祝福の未来に目を向けさせる。そして、今、これまでの苦しみをも益と変えるみわざをなされる。

民衆にとって生まれつきの盲人は、罪深くて無価値な存在でしかない。つまり、愛されていない存在ということ。実は、この章全般にわたって、この主人公に対する世の冷たさが描かれている。弟子たちは盲人の姿を見て、自業自得か親のせいか、いずれ神に呪われた者だとみなした。通行人は物乞いの乞食と見て終わった。9章をさらに読み進めていくとわかるが、近所の人たちは彼をスキャンダルな人物扱いするだけで、取り調べる機関に彼を引き渡してしまう。ゴミ人間扱いである。当の両親はというと、我が子をかばうどころか、恐れから保身に走って見捨ててしまう。そして取り調べ機関であるユダヤ当局は、彼を尋問した後、追放してしまう。全員冷たい。しかし、キリストは違った。3節のことばに、すでにキリストの愛を感じる。キリストはみわざをされる前に、印象的なことばを一つ語っている。「わたしが世にいる間、わたしは世の光です」(5節)。この時期、イスラエルの神殿の庭には高々と黄金の燭台が四本置かれていて、ろうそくには火が灯されていた。そのろうそくの火は、救い主のシンボルとされ、「その光は救い主の名前である」と呼び習わされていた。キリストはこうしたことを背景に「わたしは世の光です」と宣言している。光は暗闇と対峙するものである。自分のたましいの闇、心の闇、また死とともに訪れる闇、そうした闇を自覚する者にこそ、このことばは響いてくる。キリストは世にあって闇を照らす光、救いの光、愛の光となってくださる。

世の光であるキリストが盲人をいやそうとする手段は以外なものであった(6,7節)。キリストによるいやしの記述は数多くある。触れていやす、ことばでいやす、そうした中で、もっとも愚かしい手段である。つばきで泥を作る。古代からつばきは効能あるものとされてきたことは事実である。たしかに殺菌作用がある。しかし相手は、数日前に失明した者ではない。生まれつき見えないのである。そのつばきで作った泥を目に塗ったからといって、どうということはないはず。さらにキリストは池に行って洗えば直ると言って、この盲人を試した。その池の名前は「シロアム」(訳して言えば、遣わされた者)。実は、当時、救い主の一つの呼び名として「遣わされた者」という呼び名があった。これらからわかるように、実は、キリストは「世の光」「シロアム」という表現を通して、ご自分が人々が待ち望んでいた「救い主」であることを証されたのである。そしてこの盲人は、救い主キリストのみわざが現された。彼は単に目が見えるようになったというのではないだろう。いわば神が見えるという開眼である。神の愛を体験的に知って、神のすばらしさがわかった。誰にも愛されなかったような彼は、自分は神に愛されている、神の愛を信じて自分の人生を神にゆだねていけばいいのだ、自分は神のために生きる、自分は神のご計画のままを生きていけばいいのだ、自分は永遠に救われた、と、喜び感と、スッキリ感と、平安が訪れただろう。彼は今救われ、未来には希望の光が射した。そして、その光は彼の永遠をも照らした。そう言えるのは、キリストは永遠のいのちを与えるために来られた救い主であるから(3章16節)。

広く知られているように、キリストが私たちのために共通して行ってくださった救いのみわざがある。それは十字架で死なれることである。先ほど、キリストがつばきで泥をこね、いやそうとされた愚かにも見える手段について見たが、この愚かさは十字架につながるだろう。キリストはこの後、間もなくして十字架につく。鞭打たれ、茨の冠を頭に乗せられ、十字架に釘付けにされ、頭から、手から、足から、全身から血は流れ、顔は腫れあがり、全身傷だらけとなり、恥辱を受けながら死を遂げられた。この悲惨でみじめな死が私たちに救いをもたらすというわけである。忌まわしい刑罰に服した者を信じれば救われるなんて愚かにもほどがあると普通は思ってしまう。けれども、キリストの十字架は私たちの罪の身代わりであったと聖書は証言している。キリストの十字架はわたしの罪のためと信じる者に罪の赦しと永遠のいのちが約束される。キリストはその保証として死よりよみがえってくださった。キリストを信じる人には未来が開ける。キリストはその人を愛されているので、行く道筋を照らし、ともに歩んでくださる。成果主義で私たちを見たり、扱ったりされない。死という夜や、それに続く永遠の闇も恐れることはない。キリストは私たちにとっての永遠の光である。キリストを信じ従う者には永遠の救いが約束される。そのために大事な出発点は、自分が盲目であることを知るということである。9章39~41節をご覧ください。ここで言われているパリサイ人はどういう人たちなのだろうか。34節もご覧いただきたいが、「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか」と言って、盲人を追放した者たちの仲間である。彼らは自分たちを罪のない義人とし、闇に閉ざされた盲人とは違うと自負していた。しかし、へりくだって自分の罪を認めて、「救いを恵んでください」といった、物乞いの盲人の立場を取る人こそ幸いである。今日の主人公は物乞いの盲人である。この立場を取る人に、闇から光のみわざがある。永遠の救いが訪れる。

最後に、すでにキリストを罪からの救い主として信じてますよ、という方のためにも、「未来を信じる」ということでお話しておきたい。神は愛であるので、私たちは神に見捨てられるという心配をする必要はない。そしてまた、神はその愛のうちに、私たち一人ひとりにご計画をお持ちなので、私たちは必要以上に思い煩ったりしないで、自分の未来をゆだねていくことができる。二人の方を紹介したい。最初は、アメリカ出身の女性宣教師のメリー・リードである。以前も紹介させていただいた。彼女は1984年にインドに派遣されたが、体調をくずし、数年後、アメリカで静養するために帰国する。下った診断は「ハンセン病」(昔、らい病と呼ばれていた)。普通は、これで自分は終わったである。不治の病と言っても良かった。ところが彼女が下した決断はなんとインドに帰ることだった。彼女は自分がハンセン病に罹患したのは、インドのハンセン病患者に仕えるためであると確信するようになる。当時、世界でハンセン病患者数が世界一多いと言われていたのがインドであった。彼女はヒマラヤ山麓のふもとにある収容所の所長として帰任する。ハンセン病患者の痛みが一番わかるのは、同じハンセン病患者である。またハンセン病患者に一番受け入れられるのもまた同じである。彼女はそこで、彼女にしかできない職務を全うしていった。彼女の病も悪化から不思議なように守られることになる。彼女は病に罹患しても神の愛を信じきっていて、神のご計画が最善、みこころがなるようにと未来に向かって行った。

印象的なメリー・リードのことばを紹介しよう。彼女は、病その他の困難を楽譜の途中にある休止符にたとえて、その休止符を曲の最後だと早合点しないようにという思いで、次のように述べた。

神さまは、ご計画なしに、人生の楽譜をお書きにはなりません。この曲を練習して、どこで休止符に出会っても、うろたえないようにしたいものです。

「求めなさい。そうすれば、神さまは、タクトを振り続けてくださるでしょう。」

 

私たちも神さまの楽譜に従って、神さまの指揮に合わせて、人生を刻んでいこう。休止符も次につながるためのものである。それは休止符であって終わりではない。いや、休止符という表現は消極的すぎる、それは展開部だ、という方もおられる。一つの主題が変化し展開していく音楽だと。ずれにしても何かあったとき、終わりだと思ってしまわないで、神にあって希望を持ちたい。私たち一人ひとりに神のご計画がある。神さまのタクトから目を逸らさないようにしよう。

もう一人紹介したいのは、現在、岩手で活動しておられるイギリス人女性宣教師キャサリン・ポーターである。昨月、当教会のハープコンサートですばらしい演奏してくださった。彼女の体験談をお読みして終わる(CD「光の中へ」ライナーノートより)。

 

毎日の恵みを数えて感謝いっぱいの2014年の春、関西のある教会で讃美のコンサートをした後、車で岩手に帰る途上、東名高速道路の岡崎付近で事故を起こしてしまいました。全部を覚えていないのですが、事故直前の不安定な車の動きと、横転後に窓から見た光景をはっきりと覚えています。幸いなことに怪我をしたのは私だけでした。私が車から降りられるように助けてくださった方達に言われました。「命が・・・」。

死ぬところだった、という実感もあったのですが、考える余裕もなく救急車で運ばれ、長い治療の後に、やっと入院となり、周りが静かになりました。するとまだ車にいるかのようなフラッシュバックが起こり、怖くて、辛かったです。事故の前の一年を思い起こして、神様の愛を信頼し心が落ち着いていたかと思えば、次の瞬間には「神様なぜこんな体験を?」というつぶやきも生まれました。神様への信頼とつぶやきとがその夜、心の中でずっと戦っていましたが、神様の恵みにより、神様の愛を信じ続けることができました。

その3ヶ月後の回復期間、くじけそうになっても、神様の愛にとどまっていました。「どんな試練があっても、神様があなたの味方だよ」と言われたことにも励まされました。事故直後のある日、信頼している友人に「この事故がなぜ起こったのか、神様に聞いた?」と尋ねられました。しかし、その時には事故が起こった理由を求めていなくて、神様に聞こうとはしんかったし、この事故を通して神様が私に何を教えてくださろうとしているのか、ということも考えようとはしませんでした。それでも、時間の経過と共に、多くのことを教えられました。

命を落としてもおかしくないような事故にも関わらず、右腕の神経細胞膜までの怪我で済んだのです。最初はペンも歯ブラシも持てず、2ヶ月が経っても手を使おうとする時に神経に痛みが走り、手の動きをコントロールできませんでした。日常生活に戻れるという医者の判断でしたが、ハープが弾けるようになるかどうかを知りたくても、しばらく知ることが許されず、不安の時を過ごしました。ハープが弾けなくなるとしても、神様の愛の中にあると受け止めるつもりでしたが、本当に謙遜に受け止められるかどうかと私の心が問われていました。私にとって、ハープはどういうものなのか、与えられている演奏活動はどういうものなのか、と。そして、悔い改めなければならないことに気付かされたのです。事故の前は感謝なことばかりで、その時、死んでも悔いはないほどだと思っていましたが、こういう思いは間違いでした。自分の心を知ることができていなかったのです。聖書でこのように教えられています。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。誰がそれを知ることができよう。」私の心を知っているのは神様だけです。神様が私の心を探り、私の思いを調べます。その帰り道の運転中のことを思い出せば、感謝の思いばかりではなかったのです。周りの人たちに私の働きの大変さをもっと理解してもらいたい、そして応援してもらいたい、という不満もありました。私でいる大変さ(!)を分かってもらいたいという思いも。それは「私の働き」、「私の・・・私の・・・」という自己中心の思いでした。働かせていただいているのは神様からのプレゼントだと忘れていました。自分は罪人であること、本当の私と本当の神様は何なのかとも忘れていました。

横転した車が止まるのがもう少し遅れて、怪我がより深ければ腕の神経が切れてしまい、二度とハープを弾けなくなるところでしたが、神様はそれを許されませんでした。私がもう一度弾かせていただくようになったのは、事故も神様の主権の中にあった、神様の奇跡であったに違いないと今思っています。(神様が事故を起こしたとは言っていません。)そして、このように神様の主権を知り、神様の働きだと認めないで、自分の働きにしようとした罪深い私への憐みと恵みを知り、事故の前よりも神様への感謝が深くなりました。神様ご自身を知る機会となり、神様との関係も親しくなったように思います。

事故の時、神様に命を守っていただいたことに感謝しています。怪我からの回復が与えられたことに感謝しています。でも、でも、神様の愛はこれだけではないのです。神様は、私自身、私の心、私の全てを知った上で、愛してくださっているのです。罪人である私を神様はこのままには放っておかないのです。自分の罪を知りたくなくても、神様に照らされて、苦しく感じることもありますが、こういうところまで導かれたからこそ、十字架の意味をもっと深く知ることができます。神様が照らすこの光の中へと私たちは招かれています。この光に照らされる時、隠そうとしていたものも見えるようになります。良いと思っていた自分の動機もきよくないものだと分かることもあります。けれども、自分がきよくないと分かるからこそ、自分に注がれる神様の愛の広さ、長さ、高さ、深さが分かるようになります。

「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」