今日はご一緒に、救い主を捜し求めた東方の博士たちの物語から、私たちの心を救い主に向けたいと思う。私たちの心にはどのような求めがあるだろうか。この世界に神を求めない民族はいないと言われている。無神論の教育を受けたとしても、人は神を求める。身近なところでは、中国やロシアでは共産主義体制下となった時、神という存在を信じることを禁じられた。だが神を信じることをやめさせることはできなかった。人の心には神という概念がある。それを消すことはできない。人は誰しも、誰に教えられたわけでもなく、神という存在を求めるようにできている。プレーズ・パスカルは言った。「人の心には神のかたちをした空洞があり、それは神にしか満たすことはできない。思えば、私も、小学生の頃からまことの神を捜し求めていたように思う。

救い主を捜し求めた東方の博士たちは、神を探求する人間たちのモデルと言えよう。当時にあって救い主を捜し求めることは、男のロマンと言って良い出来事であったと思う。彼らは救い主を捜し求めて、まだ幼子の救い主と出会い、ひれ伏して拝むことになる。

この記録は約二千年前の出来事を扱っているが、当時は私たちが想像する以上に、救い主を捜し求め、信じようとする思いが、聖書の舞台のイスラエルだけではなく近隣諸国に広まっていた。ローマの歴史家スエトニウスは、キリスト誕生の時代について次のように記述している。「人類のために、世界の支配者がユダヤから現れるということが、古代オリエントの世界に広まり、信じられていた」。すなわち、当時、メシヤ待望の機運が世界中で高まっていたということである。それをもたらしたのが、旧約聖書のメシヤ預言である。その一つが6節で記されている。これはキリスト誕生500年前の預言(ミカ5章2節)。先週は1章23節のイザヤ7章14節の預言を学んだ。キリスト誕生700年前の預言である。聖書の預言の特徴は外れないということにある。すべてが成就する。なぜなら、それは生ける神のことばだからである。

キリストが誕生した年代は1節から推測できる。当時イスラエルのユダヤ地方を治めていたのが「ヘロデ王」であるが、彼は紀元前4年に亡くなっている。キリストは彼の生前に生まれたことになるので、キリストの誕生は、紀元前4年の前半ないし紀元前5年の後半と推測されている。

さて、キリストを捜し求めてやってきた「東方の博士たち」とはどういう人たちだったのだろうか(1節)。「博士」は<マゴス>ということばである。マゴスはペルシャの祭司的、政治的階級に属する人たちとして知られていた。ペルシャとは現在のイランに位置する。実はペルシャは日本とも関係が深い。宮廷音楽の雅楽はペルシャに由来している。それは家元も専門家も認めている。雅楽はペルシャ方面で誕生し、中国、朝鮮を伝って飛鳥時代に渡来した。弦楽器の琵琶、縦笛の篳篥(ひちりき)はペルシャが源流であることは良く知られているところ。仏教伝来の前後にペルシャ人が渡来したことも知られている。736年にはキリスト教宣教師で外科医のペルシャ人が渡来し、活躍していることがわかっている。この頃、キリスト教は中国経由で景教という名称で日本に伝来していた。聖徳太子が厩戸の皇子、すなわち馬小屋で誕生した皇子とされているのも、景教の影響かもしれないと言われている。

マゴスについてもう少し詳しく説明しておきたい。マゴスはおそらく、紀元前7世紀にメソポタミア東部に住んでいたメディア人マゴイ部族に起源があると思われる。マゴイ部族の中の世襲の祭司職が、マゴスとなったと思われる。私たちはマゴスとは縁がないと思われるかもしれないが、私たちが良く使う「マジック」とか「マジシャン」ということばは、このマゴスに由来している。彼らは星占いをしたり、夢を解釈する能力があったと言われている。彼らの宗教は具体的にはゾロアスター教(拝火教)として知られていた。拝火教では天から送られてきたとされる火を拝んでいた。このような環境の中にあった彼らが、唯一の神、唯一の救い主を求めて旅に出た。彼らは私たち求道する者たちのモデルである。日本の古文書の一つに古事記がある。古事記を読むと、そこに占いが言われており、また八百万の神々の言及があり、最高神として太陽の女神アマテラス大御神が取り上げられている。しかしそのような土壌からまことの神、救い主を求める者が起こされていった。神さまはすべての民族に、すべての異教の民に、ご自身を捜し求めるよう、救い主との出会いを求めるよう、願っておられる。私も手相を占ってもらったり、拝み屋のところに足を運んだり、オカルトに興味をもったり、いろいろした。けれども最終的には聖書のみことばを通して、イエス・キリストを神の救い主として信じる者とさせていただいた。

ペルシャにおいてマゴスの存在は大きかった。彼らは単に宗教分野の専門家というだけではなく、科学、農業、数学、歴史、その他の知識を兼ね備えていた。国では王のアドバイザーの地位を確保していた。彼らは高官として政治にも深くかかわっていた。裁判も司ることがあったようである。彼らは王であったと推測する人々もいる。彼らは当時どれだけの地歩を占めていたのか明らかではないが、地位が高かったことはまちがいはなく、また賢者であったことはまちがいない。よって「博士」という訳はふさわしい。彼らに旧約聖書の知識があったことはまちがいない。というのは、ペルシャには戦争で捕虜となったイスラエルの民たちが大勢いた時期があったから。旧約聖書のダニエル書のダニエルたちがそうである。彼らはマゴスたちとともに王に仕えた。マゴスはペルシャ以外の地域にもいたようであるが、アラビア辺りにいた可能性もある。

東方の博士たちは長旅を経てユダヤの地に入った。それは現代のように交通が発達していなかった時代なので、犠牲を強いられる旅であったと思われる。隊を組んで、らくだに乗って、従者たちを従えて、食糧を積んで、襲撃される危険も覚悟しながら・・・。こうした犠牲も、救い主に出会うためなら惜しくはなかったわけである。

東方の博士たちの2節のことばに耳を傾けよう。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」(2節前半)。彼らはキリストを「ユダヤ人の王」と呼んでいるが、彼らが認識している意味は、歴史家スエトニウスのことばを紹介したように、単にユダヤ人の王という意味ではなく「世界の支配者」ということである。そして、それは神の救い主ということである。なぜなら、2節後半で「私たちは、東の方でその方の星を見たので、拝みにまいりました」と、礼拝することが目的であることが言われているからである。礼拝は神への行為である。だから、この幼子はただの人ではない。まことの人となられたまことの神である。「クリスマス」ということばの意味は、「キリストを礼拝する」であるが、彼らはまさに神の救い主と出会い、礼拝することが旅の目的だった。彼らの心の飢え渇きはキリストと出会うまでは満たされない。大げさに聞こえるかもしれないが、彼らはまさに、この時、人生の目的を果たそうとしていた。

彼らが見た星は9節にあるように、彼らを幼子のところまで導くことになる。この星が何を意味するのかは聖書は明確に告げていない。諸説ある。しかし今、その詳細を述べることは控えよう。ただ超自然的な星であったということでとどめておきたい。ちなみに、クリスマスツリーに飾られる星は、この星をシンボル化したものだと言われている。神さまは心からご自身を求める者に対して、被造物のあらゆるものを用いて、様々な事象を用いて、真理に到達させると言えるかもしれない。私の知り合いの男性は、神を求めておられる時に、ある朝、家の窓から見えた自然界の風景を目にし、これらを創造された神はおられるという思いが強く与えられたと証されていた。

東方の博士たちは旅の目的をとうとう果たす(11節)。まず、「そしてその家に入って」とあるが、馬小屋に入ってとか、家畜小屋に入ってとか言われていない。確かにキリストは家畜小屋で誕生したが(ルカの福音書2章参照)、この時、家に移っていた。彼らは幼子キリストを見ると、「ひれ伏して拝んだ」。彼らがキリストについてどれだけ理解していたかわからないが、ひれ伏して拝むという行為に、キリストへの神礼拝の行為を見る。創造主なる神が、永遠の神が、人間の姿をとり、しかも赤子の姿をとって、最高のへりくだりの姿をとって、この地上に来てくださった。罪人の身代わりとして死なれ、罪人を罪から救うために。彼らは、今、そのお方をひれ伏して拝んでいる。そして彼らは礼拝の表現として三つの贈り物をささげる。東方の博士たちが三人であったと言っている人たちがいるが、それは贈り物の種類が三種類であることに基づく単純な推論で、何の根拠もない。では、三つの贈り物について簡単に触れておこう。

「黄金」これは、高貴さ、王位のシンボルだった。キリストは王の王、主の主として聖書では啓示されている。マタイの福音書1章を見ると、一見つまらない長々とした系図で始まっているが、それは王の系図である。マタイの福音書の主な執筆意図は、キリストが約束された王であることを示すためである。

「乳香」実にかぐわしい香りがする乳白色の香料である。これは旧約時代、神礼拝に使用された。香を焚いて、かぐわしい香りで神を喜ばせようとするものであった。これもキリストにふさわしい贈り物と言えよう。

「没薬」これも香料の一種だが、埋葬の際にも用いられた。死者に塗る香料として。死体の腐乱が意識されていたわけである。キリストが十字架で死なれた後に、埋葬の際に実際に使用された(ヨハネ19章39節)。この没薬がキリストの十字架の死のシンボルであるかどうかはわからないが、キリストが十字架にかかられることになったことは事実。キリストは何一つ罪のない方であるにもかかわらず、罪人の一人に数え上げられ、十字架にかけられた。私たちの罪という腐敗をすべてかぶって厳しいさばきを受けられた。その目的は私たちを罪から救うためである(1章20節)。人類史上、キリスト以上に私たちのために犠牲を負われた方はいない。キリストは確かに私たちの身代わりとして罪のさばきを受け、十字架の上で血を流し、死なれた。クリスマスカラーの赤は、キリストが十字架の上で流された血の色を表わしている。

そしてキリストは三日目によみがえられた。キリストは私たちを罪から、死から解放してくださる救い主である。キリストは今も生きておられる神、永遠のいのちである。ある人たちは死んでよみがえったなどということは信じられない、荒唐無稽だと言う。だが日本ではどうだろうか。日本では死んだ人間は一定の期間を過ぎると、個性を失って神になるとし、死んだ人間を祭って、神として拝んでいる。死んだままの人間を神とするのと、死んでよみがえった方を神とするのとでは、どちらが望ましい選択だろうか。そして永遠のいのちの希望はどちらにあるだろうか。

私たちは誰を神とすべきだろうか。永遠から永遠まで生きておられるお方、宇宙を造られた創造主、私たちを罪から救ってくださるお方、この世界と人間を造られながら、自ら人となり、罪人の仲間入りをし、十字架で身代わりに罪の刑罰を受けてくださったお方、そして死を打ち破ってくださったお方、このお方こそ、神と呼べる資格があるのではないだろうか。

私たちは誰にでもひれ伏していいわけではない。ある本に、「日本人はたくさんの神々を拝む習慣がある。それは、たくさんの神々を拝めば、それだけご利益があると信じているからだ」と記されていた。東方の賢人たちは、そのような人間中心の精神で、東方から旅を続け、キリストのもとに来たのではないだろう。彼らが仕事を中断するという犠牲を払い、時間という犠牲を払い、旅のために出費するという犠牲を払い、黄金、乳香、没薬という捧げ物の犠牲を払ったのは、ご利益のためではなかった。唯一の神、まことの救い主を求めての、真剣な旅であった。私たち人間は、人はどこから来てどこへ行くのか、何のために生まれ生きているのか、心の渇きを満たす真の存在は何なのか、永遠の愛、永遠のいのちはあるのか、この歴史は最終的にはどうなるのか、自分は死んで終わりでそれでいいのか、不滅の存在はあるのか、神がいるとしたらどういう存在なのか、そのような事を問いながら生きている。東方の博士たちもそうであっただろう。そして目的を果たした。

神は私たちに、その姿を隠そうとはしておられない。ご自身を尋ね求めることを願っておられる。私たちは自分の知性、感情、意志を働かせてみればいい。この宇宙、自然界は偶然の世界なのか、設計者はいないのか。生命を創造したのは誰なのか、それとも偶然なのか。その偶然の連発で人間にまで達したのか。人間の脳というスーパーコンピューターも偶然の産物なのか、それとも設計し組み立てたお方がいるのか。人間の目という未だ誰も造れない精巧なカメラもまた偶然にできたのか否か。私たちは自然界に目を留め、また人間に目を留め、どうして存在することになったのか考えてみたい。知的設計者、デザイナーがいるはずである。神はまた聖書という誤りなき神のことばを通して、そしてキリストを通してご自身を啓示しておられる。私たち人間には自由意志がある。神を真剣に尋ね求めるのもそうしないのも自由である。無神論に留まるのも、神々の世界に没頭するのも自由である。しかし、東方の博士たちのようでありたいと思う。

冒頭でパスカルのことばを紹介したが、彼は次のようにも語っている。「神は、完全にご自身を知らせようと欲(ほっ)した。かくして、神は心の底から神を求める人々にははっきりと現れ、心の底から神を避ける人々には隠れたままでいようと欲しています」。私たちは前者を選び取りたい。心の底から神を捜し求める者たちでありたい。