本日からピリピ人への手紙の講解メッセージを試みたい。ピリピ人への手紙は、エペソ人、コロサイ人への手紙とともに獄中書簡として知られているもの。手紙としてはおそらくパウロ書簡の後期にあたり、紀元61年頃ではないかと言われている。あの気性の激しいパウロも、多くの艱難を経て、信仰も本当に成熟した時期。この手紙には陰鬱さが全くない。パウロの敵たちは彼の働きを傷つけようと狙っていたし、獄中にいるということは、審理の結果、死刑もありうるような状況。このような状況とは対照的に、この手紙には「喜び」ということばが満ちている(計19回)。
 ピリピはギリシャのマケドニヤ州の第一の町である。ピリピという名称は、アレクサンダー大王の父フィリッポに由来する。この町は金山があることで知られていた。ピリピの教会はパウロの第二次伝道旅行の時、紀元52年過ぎに誕生した教会である。ヨーロッパで最初にできた教会である。ピリピの最初の宣教の様子は使徒の働き16章に記されている。パウロたちは川岸の祈り場で女たちに語ったことが記されている(13節)。ということは、ピリピにはユダヤ教徒が少なかったということである。ユダヤ人たちは通常、各地に会堂を建て礼拝を守った。だがユダヤ人男性が10人以上いなければ会堂を建てることができないと決められていた。この条件に満たない時は、川岸に集まって青空集会をした。その場所が祈り場である。ピリピ教会の第一号の信者は、祈り場にいたテアテラ市の紫布の商人ルデヤ(14節)。テアテラ市とは現在のトルコだが、彼女はピリピに滞在し、家も所有していた。彼女の家が礼拝の場所となったであろう。その後、すぐ事件が起きる。パウロとシラスは宣教の途中、訴えられ、ピリピの獄舎に入れられることになってしまう(24節)。パウロたちが牢獄で祈りと賛美をささげている時、地震が発生し、牢の土台は揺らぎ、かんぬきは外れ、扉が開いてしまった。実はマケドニヤでは良く地震が発生したが、扉が開くということからして大地震であったことがわかる。看守は、囚人たちが皆逃げてしまったと早とちりし、責任を取らされて死刑になる前に自害しようとした。だがパウロたちをはじめ、誰も逃げなかった。そのことに驚いた看守はその日のうちに主イエスを信じ、家族もそれに続いた。彼らも、ピリピ教会の有力なメンバーになったであろう。
 今朝は、1~2節のあいさつから、神さまの深い恵みを汲み取りたい。日本では手紙を書きだす場合に、拝啓、前略といった頭語ではじまって、それから「厳しい寒さが続いておりますが」などという時候や安否のあいさつを添えるのが一般的。だがこの頃のローマ帝国の時代は、手紙の差出人と受取人の名をまず書いてから、あいさつを添えるのが一般的だった。私たちはこのあいさつを、神さまからの私たちへの祝福のことばとして受け取りたい。
 まず私たちとは誰なのだろうか。それは「聖徒」(1節)である。聖徒とは、自分の努力や修養によって聖くなったという人のことではない。聖徒の「聖」は、「分離」「取り分けること」という意味が込められている。聖徒とはイエス・キリストの十字架の贖いのみわざによって、この世から分離され、神のみわざのために取り分けられた者のことを指す。たとえるならば、今まで家畜のえさや唾液を入れるにすぎなかったかいばおけが、救い主みどり子イエスのベットとして取り分けられたというようなこと。平凡なろばの子が、救い主イエス様をお乗せするために選ばれたというようなこと。ごみ箱に捨てられていた野菜くずが、ごちそうの食材として料理人の手に握られたというようなこと。それまで汚い雑巾と汚れ水しか入れていなかったようなバケツが、お花に水をやるために使われるようになったというようなこと。罪を犯し、汚れを行い、自己中心に生きていた罪人が、この世から神の御手によって分離され、聖なる神の御用のために取り分けられた、それが聖徒である。私たちは、自分とは誰で、何のために生きているのか、自覚したいと思う。クリスチャンはこの世から分離され、神のみわざ、神の働きのために取り分けられている。
 次に2節の父なる神と主イエス・キリストに源泉をもつ「恵みと平安」に心を向けよう。旧約聖書では、この恵みと平安は「御顔の光」と関係づけられている。参考として民数記を一箇所開こう。→民数記6章24~26節「主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」。恵みと平安は、主の御顔の光であることが暗示されている。
 詩編においても、御顔の光を求める祈りが何箇所もある。私はある朝、まだ周囲が暗い時分、詩編のみことばを黙想しながら歩いていた。「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように」(詩編67編1節)。私は、まだ朝日が昇り切らない早朝、感覚的に光を求めていた。「早く太陽が昇ってくれないか。早く光を見たい。街全体が光に照らされるのを見たい。自分も早く光を浴びたい」。そうして闇ではなく光を求めていた。私は朝日が射し、光で照らされている街路地へと足を進めた。私は闇に目を落としながら、「闇とは霊的には絶望感であり憂いに沈んでいる状態だ。また神と人との間が、人と人との間が破れ、関係がおかしくなっている状態だ。闇は街を覆い、教会をも覆い尽くすのだ。主よ、御顔の光を求めます」、そんなことを考えながら、祈りながら歩いていた。しばらく歩いていると、光で照らされた道路が目に入った。あの光の中に立ちたいと、その方向に進み、そして光の中に立った。その時、何とも言えない暖かい感覚が身を包み、光の分子が目を喜ばせた。そして体を東のほうに向けると、まぶしい朝日が視界に入り、自分という全存在を祝福してくれているかのようだった。もうそこには闇はなかった。私はその時、御顔の光のすばらしさ、ありがたさということを直感的に受け取った。主は私たちの太陽。御顔の光が弱っている者を力づけ、死んだ者にいのちを与え、凍りついているものを溶かし、闇の冷気を一掃してしまう。すべてのものに惜しみなく暖かさと生命力を与えてくれる太陽は創造主のシンボルであるが、主なる神こそまことの太陽と言える。
 では今日の箇所に戻ろう。主の御顔の光とは、恵みであり平安なのである。最初に、「恵み」とは何かを考えよう。恵みとはギリシャ語で<カリス>。これは美しい響きをもつことばである。このことば自体は、喜び、楽しみ、美しさといった意味を有している。ヘブル語<ヘセド>は好意、愛といった意味を明確に持つ。このことばが神に用いられている場合、恵みとは第一に、惜しみなく注がれる神の好意、また愛となる。惜しみなく注がれる太陽の光が、動植物、人間にどれだけの恩恵を与えているのかと思う。しかし、その太陽の光さえ、神の恵みの象徴にすぎず、神の恵みの一部にすぎない。神の最大の恵みは、歴史の中で、キリストの十字架を通して証された。神はひとり子イエス・キリストを私たちの救いのために惜しまず与えてくださった。「私たちすべてのために、ご自身の御子をさえ惜しまずに」(ローマ8:32)。イエス・キリストご自身も、私たちのためにご自身のいのちを惜しまずささげられた。恵みとは第二に、それを受けるに価しない者に注がれる神の好意、また愛となる。太陽の光を当然と思ってしまいやすいように、私たちは神の恵みに無感覚になりやすい。だが人生に闇が訪れる時、恵みの有り難さに気づく。それまで当然と思っていたものが当然ではなく恵みであると気づく。動く手がどんなにありがたいか、声を出せるのがどんなにありがたいか、平凡と思えていた毎日がどんなに有り難いものなのか、救いの恵みがどんなに有り難いものなのか。
 神の恵みは「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるのです」(マタイ5章45節)という普遍的な側面があるが、同時に、そうでない面もある。「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みをお授けになる」(ヤコブ4章6節)。高ぶりは神の恵みを遠ざけてしまう。このことは肝に銘じたい。
 次に「平安」とは何かを考えよう。これは「平和」とも訳せる。ギリシャ語では<エイレーネ>。ヘブル語では<シャローム>となる。このヘブル語のほうが有名なことばである。そして、このことばの意味は興味深い。普通、何事もなくて静かな状態が平和だと思ってしまう。だがこのことばは、もっと積極的な意味をもつ。繁栄とか満ち足りた状態を意味することばである。たましいの平安という場合、心が満ち足りた状態を意味することになる。そしてこの平安は、聖書を見れば、あくまでも神との人格的関係によって決まってくるものであることがわかる。神との人格的関係が破れていれば平安はない。ダビデは罪を隠し持っていた時の状態について、詩編32編3節でこう述べている。「私は黙っているときには、一日中うめいて、私の骨々は疲れ果てました」。神の御顔の光を、罪という大きな山や壁がはばんでいる。すると闇が心に重くのしかかり平安がない。ダビデは罪を告白して平安を取り戻すのだが、私たちもまたそうであらなければならない。
平安に関して取り上げなければならない問題は他にもある。私たちはこの世の試み、信仰の戦いの中に置かれている。平穏無事な何の問題もない生活ばかりを期待できるはずはない。俗に言う、平安な日など数が知れている。環境は日々、私たちを圧迫する。私たちはこの世に揉まれている中で、悩み、思い煩い、意気消沈、人への恐れを抱いてしまう。だが、神の下さる平安は、環境に打ち勝つのである。
 復活されたキリストは、弟子たちがユダヤ人たちを恐れて戸が閉めてあった部屋に入られ、彼らに平安を与えられた(ヨハネ20章)。主は「平安があなたがたにあるように」と、2度繰り返して言われた。主が与える平安、弟子たちはこの平安をいただいて、世の荒波に漕ぎ出して行った。心の表面は波立つことがあっただろう。しかし深い海のように、強風で表面は波立っても、心の底には揺るがない平安があった。主は十字架につく前にこう言われた。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14章27節)。私たちにも、この平安が必要なのである。
 今、恵みと平安という二つの祝福についてみた。これらの二つは父なる神と主イエス・キリストに源泉があり、これは先にみたように、御顔の光の祝福として言い換えることができる。光のないところは、闇、冷たさ、汚れ、死、悲しみ、そういったものが支配していく。すべてが荒廃し、死滅していく。闇は、個人を、家庭を、地域を、はたまた教会をも支配し、荒れ廃らせ、不安、混乱をもたらしていく。私たちは、いにしえの聖徒たちと同じように、御顔を私の上に、私たちの上に照らしてくださいと祈ろう。あなたの恵みと平安を与えてくださいと祈ろう。
 メッセージの途中で早朝の風景、日の出についてお話ししたが、最後に、夕暮れの日没の風景に感動を覚えた聖徒の証を紹介しよう。ロシア教会の聖職者ニコライは、25才の時、宣教の使命に燃えて日本に渡った。彼は日記をつける習慣があり、知多半島での体験を次のように綴った。「日暮れ前、じっとしていられなくなって海岸へ出て、散歩した。日没が言わんかたなく素晴らしかった。西の空にただよう軽やかな雲が、妙なる金色(こんじき)に染まった。そして、海の、この金色の光に輝く不思議な美しさの波に、身を浸したい気持ちが激しく沸き起こった。きっとあの世もこのように明るく、安らかで、静かであるにちがいない」(1892.7.22)。彼は夕暮れ時の光の光景に、心満たされ、天の御国を感じた。自然の光がこれほどまでの感動を与え、喜びを与えてくれるものならば、主の御顔の光が与えてくれるものは、どれほどすばらしいものであろうか?私たちは、あなたの御顔の光を私たちに照らしてくださいと祈り、この光のうちを歩んでいきたい。