感謝と言うと、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい」(第一テサロニケ5章16~18節)を思い起こす方も多いと思う。私も、このみことばは二日に一回は思い起こす。「やだな~」という思いに支配されることは、自分にとってプラスにならないので、このみことばを思い起こし、主に感謝するわけである。ことわざに「不足不満の心が出て来るのは感謝の心が乏しいからである」というものがあり、不満の気持ちが出て来るときは、このことわざも思い起こす。そして感情を制して感謝するのである。通常、感謝するのは、自分の願いがかなえられた時であると思うが、それすらしない事例が今日の物語で取り上げられている。

今日の物語は主イエスの奇跡の記録であるが、それがクローズアップされているのではなく、私たちの心を向けさせるのは「感謝」ということである。今日の物語もルカ独特のものである。エルサレムに上られる途中のエピソードである。「さて、イエスがエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの境を通られた」(11節)。エルサレムに向かう旅というのは、北のガリラヤ領から南のユダヤ領に向かう旅となる。けれども、単純に北から南への南下とはならない。主イエスがどのようなルートを辿られたのか詳細は不明である(新改訳第三版の付録にキリストの後期伝道のルートの地図があるが、その通りであったという保証はない)。「サマリアとガリラヤの境を通られた」をどう解釈するかについては幾つかの解釈があり、今日は、それについて論じることは控えよう。実は主イエスの時代、ガリラヤ領とサマリア領の間にデカポリスという領土が挟まれていて、この三つの領土が接する付近を主イエスの一行は旅していたようだ。

「ある村に入ると、ツァラアトに冒された十人の人がイエスを出迎えた」(12節前半)。このある村がどこの領土に属する村であるのかは不明である。そこに十人のツァラアトに冒された人がいた。以前は「らい病人」と訳されていたが、らい予防法の廃止以来、ハンセン病の方々の抗議があって訳を変えることになり、新改訳第三版からヘブル語の原音表記で「ツァラアト」と訳することになった(協会共同訳は「規定の病」と訳出)。この病に冒された人の処置についてレビ記13章45,46節を参考に開いてみよう。「患部があるツァラアトに冒された者は自分の衣服を引き裂き、髪の毛を乱し、口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ぶ。その患部が彼にある間、その人は汚れたままである。彼は汚れているので、ひとりで住む。宿営の外が彼の住まいとなる」。この病に冒された者は、「汚れた者でございます、汚れた者でございます」と叫びながら、人々が近づかないよう警告を発しなければならなかった。また宿営の外、この時代は町の外で暮らさなければならなかった。隔離である(現代であれば隔離病棟に収容)。どうやら彼らは、人々から、また人々が暮らす場所から、40メートルぐらい離れていなければならなかったようである。この十人は健常者たちから離れたところで、たむろして暮らしていたようである。この十人の人たちは、人種としてはユダヤ人、そしてサマリア人が混じっていただろう。ユダヤ人とサマリア人は犬猿の仲のはずなのだが、同病相憐れむで、一つのグループを形成していた感がある。

「彼らは遠く離れたところに立ち、声を張り上げて、『イエス様、先生、私たちをあわれんでください』と言った(12節後半,13節)。普通、「遠く離れたところに立ち」、物事を頼むというは失礼になるが、彼らにとっては礼を逸しない行為である。そして何十メートルと距離があるので、ぼそぼそ言っても通じない。声を張り上げるしかない。正確に言うと、主イエスは心の中の考え事さえ読み取るお方なので、小声でも大丈夫のはずだが、頼むほうとしてはこうなるだろう。気づくのは、その叫び声は「いやしてください」でも「治してください」でも「きよめてください」でもなかったということ。彼らは、自分たちにはそんなことを口にする資格はないと判断したのだろうか。彼らは「あわれんでください」と叫んだ。誰が見てもツァラアトに冒された者と分かる症状なので、この一言で十分と思ったのだろうか。もちろん、そこには、イエス様のいやしの力への期待が込められていたわけだが、「あわれんでください」は心の叫びとしてあったことはまちがいない。「あわれんでください」、それは私たちも発していきたいことばである。

主イエスは彼らの叫びに応えていやしのみわざをされることになる。実は、ツァラアトに冒された人のいやしは、これが初めてではない。ルカ5章12~14節にその記事がある。そこを見ると、主イエスは手を伸ばして、さわっていやされる。しかし、今回はそうではない。相当の距離があるままいやされる。しかも、「わたしの心だ。きよくなれ」とか「いやされよ」とか、いやしのことばも発していない。ことばはかけられるが、いやされた者に対してかけることばをかけられる。「行って、自分のからだを祭司に見せなさい」(14節前半)。このことばは、5章において、いやされたツァラアトに冒された者に対してかけられたことばである(5章14節)。ツァラアトの症状が消えた者は、家庭復帰、社会復帰が認められるために、祭司のところに出向いて、いやしを宣告してもらうことが義務づけられていた。祭司に患部を見てもらって、その症状が消えたと認められたのならば、祭司のもとできよめの儀式を一週間行って、その後、社会復帰が認められた(レビ13章1~8節、同14章1~11節)。祭司は検査員の役目を担っていた。5章のツァラアトに冒された者は、治ってから祭司のところへ行くように命じられ、そうした。治ってから祭司のところへ行く、これが通常の手順である。 ところがこの十人は、ツァラアトの症状があるまま、「行って、自分のからだを祭司に見せなさい」と命じられた。治っていないにもかかわらず「行きなさい」という命令に従うには、ある程度の信仰が要求される。今はこんな皮膚の状態でも、祭司のところに行くまでに治るのだ、症状が消えるのだ、きよめられるのだ、イエス様がそうしてくださるのだ、そう信じなければ足を運べないはずである。何も変わらない自分をイメージして、足が止まってしまってもおかしくなかった。ところが彼らは「行きなさい」に従い、途中、引き返すこともなかった。

そして驚くことが起きた。「すると彼らは行く途中できよめられた」(14節後半)。足を何十歩、何百歩前に進めたかわからないが、皮膚の感覚が変わったのに気づいただろう。同時に目視でもきれいになった様が分かっただろう。またお互いに体を見合って、それを確認しただろう。離れたところで、主がさわりもされずに起きた奇跡である。主イエスがかけたことばも普通ではなく、いやされた者にかけることばであった。主イエスのみわざは一様ではない。毎回さわっていやすというわけではない。毎回同じ方法を取るということはない。主イエスのみわざに与る側としては、主の方法に頼るというのではなく、主ご自身に頼ることが求められる。この十人は、最初から主イエスにさわっていやしてもらうことは期待していなかったようである。主イエスのそばに近寄らなかったことからそれがわかる。イエス様ならさわらなくとも他の方法でもいやすことができると思っていたのではないだろうか。そうだとしても、主イエスがかけたことばは彼らにとって以外なものであったはずである。治った者に対してかけることばであったから。最初、主イエスに「行って、自分のからだを祭司に見せなさい」と命じられた時、戸惑いがあった者もいただろう。十人全員が反応すばらしく、「おっしゃー」という感じで祭司のところに向かったというよりも、不安そうな仲間を前にした太郎が、「イエス様がそう言ったんだ。次郎、大丈夫だ。きよめられるぞ。一緒に行こう」、そんな風にして励まして祭司のところに向かったのではないだろうか。途中も励まし合いながら向かったのではないだろうか。こうしたところが集団の強みでもある。そして主のみわざは実現した。

実は、この物語の強調はいやしという奇跡や、イエスさまには「できる」と信じる信仰ということに置かれているのではない。それは、この物語の後半からわかることである。「そのうちの一人は、自分がいやされたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返してきて、イエスの足もとにひれ伏して、感謝した。彼はサマリア人であった」(15,16節)。いやされたうちの一人はサマリア人で、いやされたことが分かると大声で神をほめたたえながら引き返してきた。感動的な光景である。喜び爆発で神をほめたたえながら引き返して来る姿を想像していただきたい。そして主イエスの足もとにひれ伏して感謝を表した。「イエス様、先生、ありがとうございます。完全にきよめられました。私はサマリアのどこどこの出で、無法松の一生のような生涯を送ってまいりましたが、十数年前にツァラアトに冒され、絶望の果てに何度死のうかと・・・ところが先ほど・・・」、どういう感謝のことばを述べたかわからないが、めいっぱい感謝の意をことばと態度で表したことだろう。

さて、あとの九人はいやされてどうしようと思ったのだろうか。「手順として、まず祭司にからだを見せて、きよめの宣告をいただいて、さらにきよめの儀式を一週間行って、それを済ませてから、ゆっくりお礼に行こうか」、そう思ったのだろうか。しかし、一週間も経てば、主イエスはどこにいるのかわからなくなる。古代であれば、捜索して見つけるというのはたやすいことではないはずである。つまりは、なんだかんだ言っても、彼らは感謝の気持ちが薄いということである。祭司のほうはどこにいるか居場所は分かっているので、主イエスに会ってからでも祭司のところには行けるはずである。

主イエスに感謝を表すために戻ってきたのが「サマリア人」というのが印象的である。彼以外、全員がユダヤ人であったとは書かれていない。とにかく、感謝を表すために引き返してきたのはユダヤ人ではなくサマリア人であったのである。彼は18節では「他国人」と言われている。他国人なのにという強調がある。この「サマリア人」「他国人」ということを少し説明させていただきたい。

紀元前722年、北イスラエルの首都サマリアがアッシリア帝国によって滅ぼされた時、身分の高い人は捕囚として連れ去られ、貧しい民衆たちは残された。そこにアッシリア帝国の各地から外国人が植民してきた。残留していたイスラエル人と外国人が交り合ってできた混血の民がサマリア人ということになる。純潔のユダヤ人からすれば汚らわしい人種ということになる。「他国人」という分類をされることになる。彼らはモーセ五書を正典と認めていたが、「他国人」である。ユダヤ人にとって「他国人」は神の恵みから遠い存在と思われていた。エルサレムの神殿には、他国人はここまで近づけるが、ここからはイスラエル人でなければ入れませんという境目に、次のような立札が立てられていたという。「いかなる他国人も神殿の周りの柵と囲いより内へ入ることを禁ず。もし(この禁を犯して)逮捕された人はなにびとであっても、そのために生ずる死罪を負わなければならない」。このような扱いもあって、サマリア人はどうしていたかと言うと、ゲリジム山というところに自分たちの神殿を造って礼拝していた。サマリア人であっても求道心がないわけではないし、メシアを待望する思いもあった。そしてこの時、主イエスに感謝を表しに引き返して来たのは、本家本元のユダヤ人ではなくサマリア人であったわけである。

主イエスはご自身のもとにひれ伏しているサマリア人の救いを確約する。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」(19節)。救いに人種、民族の別は関係ない。以前の新改訳第三版では、「あなたの信仰があなたを救ったのです」を「あなたの信仰が、あなたを直したのです」と訳していたが、「直した」とは「救った」ことを意味することばである。だから、ただいやされたのではない。彼はキリストの救いに与ったのである。他の九人は肉体はいやされたけれども、この時点で救い主イエス・キリストにはつながらなかったと言って良いだろう。この九人は全員がユダヤ人なのか、それともユダヤ人、サマリヤ人が混じっていたのか分からないが、はっきりしているのは、今ここで救いを宣言されたのは一人のサマリア人(他国人)であるということである。彼は自分がいやされたと分かると、大声で神を賛美しながら主イエスのもとへ行き、主イエスのもとにひれ伏し、感謝を言い表した。これぞ信仰、これぞ礼拝という姿である。気持ちのいい姿である。40メートルも離れて会話するのがせいっぱいの状態であったのに、今は間近で感謝を言い表せている。

先の九人はどうしたのだろうか。規定どおり祭司のところへ行き、通常の社会的手続きをとっただろう。今で言えば保健所か病院で証明書を発行してもらうみたいな。そして社会復帰を果たしただろう。けれども、主イエスに感謝するために戻っては来なかった。主イエスにはつながらなかった。道の途中、一人のサマリア人がいやされた喜びから「俺はイエス様のところに戻ってお礼を言いたい」と意思表示した時、連鎖反応が生まれ、「俺も、俺も」とならなかったのだろうか。ならなかったようである。祭司のところに行く時は足並みを揃えた。だが感謝の足並みは揃わなかった。

私たちは聖書が啓示するまことの神に対して、救い主イエス・キリストに対して、ただ「苦しい時の神頼み」的な信仰で終わってしまいたくはない。頼み事がある時は「主よ、主よ」となり、願いがある程度叶うと、あとはケロッとして感謝を忘れて、主の恵みを当然のことのように日々を送る。やはり私たちは、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい」(第一テサロニケ5章16~18節)を実践する者たちでありたい。そのためにも、主の恵みを数え上げる習慣をつけよう。どんな小さなことにも主の恵みを見い出そう。恵みを恵みとした行為が感謝である。当然のことながら、十字架を見上げて、その御救いに感謝することは怠ってはならない。その御救いは恵み以外の何ものでもない。

私たちは社会の一員として果たさなければならない義務や責任は様々にある。今日一日、自分がしなければならないことは様々にある。家庭、職場、病院、役所関係、スマホやパソコンでのネット回線でのやり取り。そうした中、忘れ去られるのが神への感謝である。神の恵みとあわれみがなければ、一秒足りとも生きていけないはずである。箸一本持ち上げられないはずである。主なる神への感謝を、今日も明日も心がけたいと思う。その人の信仰がほんものであるかどうかは感謝の態度によって証明される。