前回はカペナウムという町で、死にかけていたという百人隊長のしもべが、主イエスの権威あることばでいやされた物語を学んだ(7章1~10節)。著者のルカは、意図してであると思われるが、今度は死にかけていた人を権威あることばによっていやすのではなくて、文字通り死んでしまった人を権威あることばで生き返らせるという主のみわざを記す。ルカは主イエスの神としての権威を余すところなく記そうとしている。

物語の場面はナインという町である(11節)。この町はカペナウムの南40キロの地点にあり、主イエスの故郷のナザレからは約10キロとさほど離れてはいない。主イエスには11節後半からわかるように、弟子たちと大勢の群衆が従っていた。いわば主イエスの行列である。12節にはもう一つの行列が登場する。葬式の行列である。「イエスが町の門に近づかれると、見よ、ある母親の一人息子が、死んで担ぎ出されるところであった。その母親はやもめで、その町の人々が大勢、彼女に付き添っていた」。主イエス行列と葬式の行列が町の門のところで出会う場面である。葬式の行列は町の門の外に出て埋葬に向かうところであった。それぞれ進む方向は正反対で、町の門のところでかち合う。

当時のイスラエルの埋葬の習慣だが、イスラエルでは日本と違って、人が亡くなったらすぐに埋葬する。気候的に遺体の腐敗が早いし、そして儀式的汚れをなるべく避けるためにすぐに埋葬した。儀式的汚れについては後で少し触れるが、日本でも、死者と死者が触れたものに触れると汚れるとされた。こうしたことから、人が亡くなって一晩置くという習慣はない。お通夜はなし。亡くなると、遺族は着物を引き裂き、悲しみを表した。遺体は腐敗防止に香油を塗られ、その日のうちに葬られた。遺体を運ぶ棺というのは、日本のように蓋をすれば誰なのかわからないようなものではなく、皆が見れるような形状のものであったようである。

ナインもカペナウムと同じくガリラヤ地方であるわけだが、ガリラヤでは、行列の先頭は男たち、そして棺が続いて、後ろに女たちが並び、雇われの泣き女や楽器を弾く者たちが続いたという。

この物語でも、これまでのように主イエスのあわれみを見ることができる。「主はその母親を見て深くあわれみ、『泣かなくてもよい』と言われた」(13節)。母親は前節にあるように「やもめ」で、亡くなったのは「一人息子」であった。彼女は愛息を失って天涯孤独の身になろうとしていた。主イエスは彼女を深くあわれんだ。「深くあわれみ」ということばは「内臓」ということばに由来していて、「はらわたを揺り動かされて」「はらわたがちぎれる想いにかられて」、そのように訳せることばである。主イエスは心底あわれんでくださったのである。主イエスのあわれみについては、これまでも学んできた。最初のほうでは、ルカ4章40節が印象的である。「日が沈むと、様々な病で弱っている者をかかえている人たちがみな、病人たちをみもとに連れてきた。イエスは一人ひとり手を置いて癒された」。以前、お話したように、旧約聖書にも、ユダヤ教の文書にも、いやす時に手を置くという描写はない。主イエスの愛を感じる所作である。しかも、三桁は越えたかもしれない大勢の病人に対して「一人ひとり手を置いて」と、主イエスは病んでいる一人ひとりの弱さに寄り添って、一人ひとりをあわれみ、一人ひとりに手を置き、いやそうとされた。優しき主イエスである。ルカ5章12~14節では、全身ツァラアトに冒された人のいやしの物語がある。この病にかかった人は生きている死人と言われ、汚れた者とされ、隔離され、この人たちに触れることはタブーであった。自らも汚れた者とされてしまうからである。しかも疾病が移る可能性があった。だが、「イエスは手を伸ばして彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ』と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えた」(13節)。ルカ5章29節以降では、主イエスが取税人、罪人たちといった、低俗で汚れた者とされている人たちと一緒に親しく食事をされる場面がある。6章では平地の説教で「敵を愛しなさい」と教えられた。それは敵に対してあわれみ深くなることである。「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深くなりなさい」(36節)。

主イエスのあわれみは、死の行列を前にして、この後の言動で表される。「泣かなくてもよい」(13節後半)。これは、悲しくても水道の蛇口をぎゅっと締めるように涙なんか見せないで、強く生きていきなさい、泣いてもしょうがない、というメッセージとは違う。今に泣く理由が消されてしまうから、泣かなくともよい、というメッセージである。今に、あなたの悲しみは喜びに変えられる、というメッセージが込められている。

そして、主イエスはタブーであった行動に出る。それは14節の初めに記されている。「そして近寄って棺に触れられると」。棺に触れると、儀式的汚れになってしまう。「死人に触れる者は、それがどの人のものであれ、七日間汚れる」(民数記19章11節)。「また、野外で、剣で刺殺された者、死人、人の骨、墓に触れる者はみな、七日間汚れる」(民数記19章16節)。棺に触れることも汚れである。だが、主イエスのあわれみが、このタブーを破った。ツァラアトに冒された人の場合と同様である。主はあわれみ深いお方である。棺に触れ、そして、いのちを与えるために権威あることばをかける。

この物語で、際立っているのは、主イエスのあわれみに続いて、主イエスの権威あることばである。主イエスのことばには、神としての権威がある。主がことばを発せられると、それはその通りに成る。その直近の実例が百人隊長のしもべのいやしであった。主は一言でいやされた。その他に、さきほど触れたツァラアトに冒された人のいやし(5章12~14節)、中風の人のいやし(5章17~26節)、ペテロの姑のいやし(4章38,39節)、会堂での悪霊追い出し(4章31~37節)もそうである。すべて一言である。主イエスのことばには権威がある。主イエスの権威は、今この時、死に対しても表されるのである。

「イエスは言われた。『若者よ、あなたに言う。起きなさい。』すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めた。イエスは彼を母親に返された」(14節後半,15節)。百人隊長の死にかかっていたしもべが、主イエスのたった一言でいやされたことに驚かされた人々は、完全に死んでしまって棺に載せられている死人が「起きなさい」の一言で起き上がってしまったのを見て、主イエスの権威に改めて驚かされただろう。驚きは、主イエスの行列も葬式の行列も包み込み、それはパレスチナのビッグニュースになったようである(16,17節)。

16節で、人々が主イエスを「偉大な預言者」と言い表したことについて、コメントしておきたい。旧約聖書を読めば、死んだ子どもを生き返らせて母親に返した二人の預言者がいる。エリヤ(第一列王17章17~24節)とエリシャ(第二列王4章32~37節)。たぶん群衆は、彼らを思い起こしたのだろう。だが、エリヤもエリシャも、権威ある一言でいのちを与えたのではなかった。違いはそこにある。主イエスを預言者と呼ぶのは間違いではないが、人々の理解は不完全である。どうやらルカは、主イエスが預言者止まりのお方ではないことを伝えたいようである。ルカはこの福音書を書き始めてから、これまで、イエスさまの言動に関して、「イエスはこうした」「イエスはこう言った」と、主語は全部「イエスは」で書き記してきた。ところが、7章13節に来て初めて、「主は」と書き記している。ご確認ください。「主」という呼び名は、聖書の用法においては神の同義語である。イエスは神であるからこそ権威を持ち、たった一言で死からいのちに移すことができるのである。

最後に、主イエスはいのちの君であることをお話して終わりたい。主イエスが死に打ち勝ついのちであることを知っていただくために、まず、この世の一般的な死生観と聖書の死生観を簡単に比較してみたい。今年の夏、デボーションで、終末時代の預言の箇所であるイザヤ25章を読んでいた時に、神である主が「永久に死を呑み込まれる」(25章8節)と記した一節に目が留まった。以前の新改訳第三版では「永久に死を滅ぼされる」と訳されていた。聖書において死は滅ぼされなければならない敵である。「最後の敵として滅ぼされるのは、死です」(第一コリント15章26節)。

誰も死を喜ぶ人はいないだろう。死は人をみじめにしてしまう。以前、10兆円の遺産を残して亡くなった富豪がいた。10兆円というのは1千億円の10倍。彼は多額な遺産を残して死んだが、彼が最後に必要だったのは、自分の遺体を入れるたった一つの棺だった。深く考えさせられる出来事だった。これが死というものかと。死に敗北するという考えを避けるために、だいだい行きつく考えは、死は人間本来のものだ、死は自然な出来事だというものである。

以前、ある生物学者が次のようなことを言っていた。「酸とアルカリはPH度のちがいにすぎませんよね。リトマス試験紙上で両者は連続しているわけです。生と死の関係も、その関係に似ています。最近、生命というものはそう神秘的ではなくなってきたんですよ。結局はPH度のちがいにすぎないんです」。人格を持つ人間の生死が、霊、たましいを持つ人間の生死が、酸とアルカリの連続にたとえられて終わっていいのだろうか。

仏教の死生観にも触れておこう。仏教の原始経典で最古のものとされているのは、「法句教」「スッタニパータ」である。「法句教」「スッタニパータ」では、死について次のようなことが説かれている。

「およそ、この世において、死の力の及ばない処はない」(法句教)。これは、すべてのところに死が及ぶという「死の全域性」を教えている。

「生は必ず死に終わる」(法句教)。いつかは必ず死が訪れる、それは避けられないという「死の必然性」を教えている。

「青年も、壮年も、愚者も、賢者も、すべて死に捕らえられる。すべては死に終わる」(スッタニパータ)。すべての人に死は訪れるという「死の平等性」を教えている。

「ひとは一人ずつ屠所に引かれる牛のように、死へと引き立てられる」(スッタニパータ)。死ぬ時は一人である、孤独に死を迎えるという「死の単独性」を教えている。

今見てきた死についての教えは、天の下では一つの現実である。これらのことを考えるときに、死はありがたくない現実だけれども、死は避けがたい現実であると認識させられる。そこで仏教は、生に対する執着を捨てよ、と教えを説くことになる。死を生と同じく自然なものとして受け止めさせようとする。

釈迦に関する次のような逸話がある。ある女性が死んでしまった幼子を連れて、釈迦のところに赴き、いやされて生き返ることを願った。釈迦はこう言った。「辛子をつけよ。そうすればいやされる。ただし、いまだかつて死人を出したことのない家の辛子を要す」。女性はこれを求めたが、とうとう得られなかった。そして釈迦はこう言った。「この世に死人のない家などあるはずがない。すべての人が死ぬように、あなたの子もまた死んだにすぎない」。これは仏教の死生観をよく表している。

今日のナインの物語を読むと、死は避けられない人間の定めとしてあきらめることが言われていないことに気づく。「泣かなくともよい」という主のことばは、あきらめなさいということばではない。死に対するあきらめのないことばである。「今、死に対するあなたの悲しみを喜びに変えよう、わたしがいのちを与えるのだ」ということばである。そして「起きなさい」と言われ、死人を乗せる棺は復活の土台に変わってしまったのである。もし、「起きなさい」と命じて何も起こらなかったら、それはただのブラックユーモアである。またイエスは死の前に無力な敗北者にすぎないということになる。しかし、主イエスは死に対する勝利者、いのちの君なのである。主イエスは死を自然なものと思ってはいない。それは征服しなければならない敵であり、それを征服することがご自分の使命であると自覚しておられる。

聖書において、死が自然なものではなく人類の敵と言われる所以は、死は罪の結果であるからである。死は罪の刑罰である。「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6章23節)。ご存じのように、主イエス・キリストは十字架にかかり、「罪の報酬は死です」を私たちに代わって受けてくださった。そして、私たちにご自身の永遠のいのちを提供しようとしてくださった。主イエスの十字架とそれに続く復活は、死を打ち滅ぼす神のみわざだった。今日の死んでいた若者が生き返った物語は、主イエスが神の権威を持つお方であり、いのちの君として、私たち信じる者を死からいのちに移すこと、永遠の滅びから永遠のいのちへと移すこと、よみがえりのいのちを与えることを教えている。それは、死はすべての終わりという死生観に対する挑戦となっている。

第二次世界大戦の時、ナチスに抵抗して捕らえられたボンヘッファーという牧師がいる。彼についに死刑執行の時が来た時、そばにいた人に次のように言い残して刑場に向かった。「これが終わりです。しかし、私にとってはいのちの始めです」。有名なことばである。彼のように言える方が幸いである。

ナインの町の門で出会った二つの行列は、まさしくいのちと死との出会いとなった。結果、死はいのちに吞み込まれてしまった。墓場に向かっていた死の行列は方向転換して主イエスの行列に加わっただろう。私たちも主イエスの行列に加わりたい。