「ナザレ」はイスラエルでは気にも留められない町であったが、主イエスの登場によって、良くも悪くも有名な町になってしまった。今日の記事は、キリストが民衆に向かって活動する最初の記録となっている。その中心は、故郷ナザレでのメシア宣言である。マタイの福音書では、福音書のほぼ半分の13章後半に来て、ナザレでの出来事をようやく記している。それに比べると、ルカは4章で記述と、随分早いことがわかる。14,15節を見ると、主イエスはガリラヤ地方を巡り、会堂で教えたのだと、それまでの活動を圧縮して記している。主イエスがガリラヤ地方での活動の拠点としたのは、23節で触れられているカペナウムである。カペナウムはガリラヤ湖の北にある大きな町である。マタイは4章13節で、主イエスが「湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれた」と語っている。そして9章1節では、「イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた」と記している。この「自分の町」がカペナウムである。カペナウムには使徒ペテロの家があり、この町を活動拠点にして福音を宣べ伝えていた。そして今、カペナウムを離れ、故郷ナザレに来られたという流れである。ルカは公生涯の具体的な出来事として、最初にナザレでのメシア宣言をクローズアップしてから、主イエスの活動を記していくという手法を選択している。
主イエスの活動の舞台となったガリラヤ地方は240の町があったと伝えられている。ナザレはその一つである。ガリラヤ地方はイスラエルでは低く見られていた地方である。紀元前732年、大国アッシリアはガリラヤ地方を征服した。そこに異国民が住み着くようになる。預言者イザヤは「異邦人の地ガリラヤ」(イザヤ9章1節)と呼んだ。以降、この地方には、バビロン、ペルシア、マケドニア、エジプト、シリアなどの支配下に置かれ、異国民が次々になだれ込んできたわけである。そのため、異邦人の汚らわしい地方と揶揄されるようになっていた。ただ、土地は肥沃で、ガリラヤ湖もあったために、労働には好条件で、人口は密集し、活気があったと思われる。
キリストが教えられた「会堂」(シナゴグ)だが、これは旧約聖書に言及がない。旧約聖書には、イスラエルが他国からの攻撃に遭い、諸外国に捕らわれの身となったことが記録されているが、バラバラに散らされたユダヤ人たちは、神の民として安息日を大事にしようということで、安息日ごとに会堂に集まるようになったのではないかと想像される。紀元前3世紀のうちには、至るところにユダヤ教の会堂が建っていた。発掘調査で、カペナウムにもナザレにも会堂があったことがわかっている。
会堂はユダヤ人コミュニティの宗教的、社会的、教育的活動の中心的役割を担っていた。ここで礼拝は献げられ、律法が読まれ解き明かされ、話合いや交流があり、おそらくは子どものための教育もここでなされた。ゲストハウスともなった。会堂は礼拝堂と公民館もしくはコミュニティセンターを一つにしたような機能を担っていた。会堂には「会堂管理者」という責任者がいた。礼拝も取り仕切る。
さて、時は安息日、場所は主イエスの故郷のナザレの会堂でのことであった(16節)。「いつもしているとおり」とあるように、主イエスはいつもの習慣として、安息日に会堂で礼拝を献げようとされた。主イエスは週一度の公同の礼拝を大事にされていた。16節後半から、主イエスは聖書を朗読しようとして立たれたことがわかる。これは礼拝の途中の一場面を切り抜いたものであろう。祈りの後に聖書朗読が来る。当時の礼拝で聖書がどのように読まれたのかということであるが、まずモーセ五書が朗読され、解説が加えられたその後に、この時代は預言書が朗読されたようである。主イエスが朗読したのは預言書である。当時、聖書の朗読は特定の個人や役員だけではなく、会衆の中から立てられることもあった。だから、主イエスが朗読しても不思議ではない。
会堂の正面の一番奥が聖書の巻物が安置されている場所で、係の者がそこから巻物の聖書を運んできて、朗読者に手渡す(17節)。聖書朗読は立ったままする。巻物を開いて朗読を終えると、巻物を巻き、係の者に返す。そして、椅子に座って説教を始める(20節)。
大切なのは主イエスが読んだ朗読箇所である。18,19節をご覧ください。「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために」。主イエスが読んだ聖書箇所はイザヤ書61章1~2節である。実際の礼拝では朗読が数節で終わるとかそういうことはなく、一、二章読むのが常であったので、ルカは強調したい箇所をピックアップしたのだろう。しかもヘブル語原文をそのままの形で引用しておらず、主イエスの伝えたいことの趣旨が伝わりやすいように編集してある。
この箇所は「しもべの歌」として知られている箇所の一つである。主のしもべとはメシアであった。18節の最初の行で「主の霊がわたしの上にある」と言われ、三行目に「主はわたしに油を注ぎ」とある。メシアには油が注がれる。「キリスト」という称号の意味は、「油注がれた者」である。この油はいつ注がれたのか。3章21,22節のバプテスマの時である。そこでは「聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた」とあるが、聖霊という油が主イエスに注がれ、そして今ここで、預言書のみことばを通して、油注がれた者としてのメシア宣言を公けにされるという流れである。
ルカは、イエスが約束されたメシアであることを強調したいのである。構文は16節から20節が一つのまとまりとみなされるが、文章の構造を観察すると、文章のクライマックス(頂点)は、なんと18節の「主の霊がわたしの上にある」に置かれている。現代文では文章のクライマックスは最後に置かれる。ところが古代では真ん中に配置することが珍しくなかった。「主の霊がわたしの上にある」が中心的宣言である。
この預言書の箇所を見て、メシアの働きとは、自由、解放であると知る。18節の後半に「捕らわれ人には解放を」とか、「虐げられている人を自由の身とし」とある。この自由、解放というのを政治的なものとして片づけてはならない。それは霊的なものである。罪人のたましいは、民主主義の世界で普通に市民生活を送っていたとしても自由ではない。心も目も手も足も自由そうでそうではない。罪人は手枷、足枷をはめられ、拘束されている囚人のようなものである。動いているといっても、つながれている範囲で動いているだけのことで、神とともに生きる世界を見失っている。たましいは神といういのちから離れてしまっており、暗闇と死の陰の中で自由を失っている。
19節には「主の恵みの年」とある。この表現も、自由、解放と関係している。旧約の律法では、この恵みの年の記述がある。イスラエル人が奴隷に身を落としても、7年目には解放しなければならないと定められていた(出エジプト21章)。また「ヨベルの年」というものがあり、7年を7回繰り返すと、翌年の50年目には奴隷が解放されるばかりか、借金も全額免除、取り上げられた土地もすべて戻って来た(レビ25章)。これらの自由、解放、完全なる回復は、キリストによる救いの型であった。キリストは十字架について私たちの罪という負債を全額負い、尊い血を流され、ご自分のいのちという代価を払って、私たちを罪と死と悪魔の支配から救い出すみわざを全うしてくださった。
18節で、ルカの福音書を特徴づける表現があるので、それにも目を落とそう。それは18節二行目の「貧しい人に良い知らせを伝えるため」である。貧しい者への福音がルカの一つの特徴である。ルカの福音書では「貧しい」という表現が、これを皮切りに10回使用されていて、貧しさということを肯定的に取り上げる。ルカ2章でキリスト誕生の告知は、貧しくて不潔な連中とされていた羊飼いたちにあったことを見た。キリストの両親とされたのも、貧しい大工の夫婦ヨセフとマリアであった。マリアは1章46節以降の、有名なマリアの讃歌において、自分を卑しいはしためと呼んだ後、心の思い高ぶる者、権力のある者、富む者が追い散らされ、低い者が高く引き上げられると歌った。貧しい者への福音はすでにマリアの讃歌で暗示されている。富んでいることそのこと自体が悪いのではないが、富には独特の誘惑があり、それは、神に取って代わり、私たちの信頼の拠り所となってしまいやすい。貧しい者はというと、拠り頼む権力、金力を持たない。裸の自分を認め、神の前にへりくだって、神に拠り頼むことを得やすいのである。
主イエスは、朗読の後、このイザヤ61章から説教された。語られたことの詳細はわからないが、一部が記されている。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました」(21節)。記念的なメシア宣言である。主イエスは約束された神のメシアであると信ずる者は幸いである。
後半は、故郷のナザレの人々の反応を見よう。最初は、きわめて好意的だった(22節)。「人々はみなイエスをほめ」で始まっているが、口から発せられたことばがすばらしかったからである。それは恵みのことばであり、聞く者にとっては感嘆のことばとなった。が、しかし、そのことばがヨセフの子どもの口から出たという現実を認識すると、「この人はヨセフの子ではないか」と見下す方向に傾いてしまう。語る態度や語ったことばそのものはほめるに値するが、語った人は、昔から知っているヨセフの子にすぎなかった。「あの大工の息子ではないか。なんだい、偉そうに」。
この反応を受けて、主イエスは敵対心を煽るような言動に出てしまう(23節)。「医者よ、自分で治せ」ということわざは、医者の無能力をばかにする格言である。人々が主イエスに求めた能力とは、しるし(奇跡)である。主イエスは、ナザレの人々が、「カペナウムでも見せたというしるしをここでも見せてみろよ。そうしたら信じてやるから」という態度に出ることを予測して、それを先取りした表現をした。
主イエスは、さらに強いことばを述べる。「まことに、あなたがたに言います」(24節前半)。直訳は「アーメン。わたしは、あなたがたに言います」。その内容は、預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されないというもの。25~27節で、その事例として、エリヤとエリヤの弟子エリシャを挙げている。彼らは歓迎されなかった(第一列王記17章 第二列王記5章)。その他の預言者もしかりで、エレミヤなどは故郷のアナトテ村の人にいのちを狙われた(エレミヤ11章)。
ナザレの人々は、主イエスのことばを聞いて怒り狂ってしまった。俺たちを侮辱するのかと(28節)。それはとんでもない行動となる。「立ち上がってイエスを町の外に追い出した。そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、そこから突き落とそうとした」(29節)。憤りは殺意へと変わり、それが実行に移されようとした。22節で「人々はみなイエスをほめ」で始まったのは、全く長続きしない。しまいには、死んでもらおう、である。これが民衆心理の典型である。主イエスは、故郷で受け入れてもらえなかっただけではない。ガリラヤ地方の活動拠点であったカペナウムでも同じことになる。ほめそやしは最初だけだった(ルカ10章15節)。その後、ユダヤ地方に上れば、ユダヤ地方は律法学者やパリサイ人の牙城で、大祭司たちもいて、さらに向かい風は厳しくなる。そして、そこでは十字架刑が待っていた。使徒ヨハネはこう証言している。「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった」(ヨハネ1章11節)。
ナザレの人々が取った行動は崖から突き落とすというものであった。これはユダヤ人が好む殺害方法である。死刑執行の時、この手段をよく取った。崖から突き落とし、それで死んでしまわなければ、石打ちの刑にするのである。だが、この日は安息日なので、死刑執行の日ではない。よってナザレの人々は、カッとなってしまって、とにかく殺してしまおうと思ったのである。相当頭に来てしまったということである。この一連の動きをマリアをはじめ、家族の者らはどう見ていただろうか。身内も相当たいへんであったことはまちがいない。
さて、主イエスは崖から突き落とされて死んだだろうか。かつて、悪魔は4章初めの荒野の誘惑の場面で、主イエスに対して、神殿のてっぺんから身投げするように誘惑したことがある(9節)。悪魔はその時、神への信頼を教える詩篇91編を悪用し、身投げするように勧めたが、皮肉にも、この場面で、詩篇91編の約束が成就している。「いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。『私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神』と。・・・千人が あなたの傍らに 万人が あなたの右に倒れても それはあなたには 近づかない。あなたはただ それを目にし 悪者への報いを見るだけである。それは わが避け所 主を いと高き方を あなたが自分の住まいとしたからである。・・・主が あなたのために御使いたちに命じて あなたのすべての道で あなたを守られるからだ。彼らはその両手にあなたをのせ あなたの足が石に打ち当たらないようにする。・・・『彼がわたしを愛しているから わたしは彼を助け出す。彼がわたしの名を知っているから わたしは彼を高く上げる。・・・』」。
主イエスは殺害の危険から守られた。「しかし、イエスは彼らのただ中を通り抜けて、去って行かれた」(30節)。それにしても不思議な光景である。ナザレの人々は、殺意に燃えて、力ずくで会堂から村外れの崖まで連れて行ったにもかかわらず、ここに来て、力が抜けている。主イエスご自身も何も力を加えることなく、解放されて、立ち去った印象である。連れ戻そうとされた様子もない。これはある程度、理解できる現象である。私が湯沢市内で引越した時のことであるが、新しい町内会の年会に出席し、宴会が始まった。すると、男4人がいっせいに私を取り囲み、俺の酒を飲めと、とっくり片手にいっせいに押し寄せてきた。予想外だった。瞬間、私は心の中で祈った。「主よ」。すると、その瞬間、全員がパーッと同時に散って行った。私は声も出していないし、手で遠慮するしぐさもしなかった。にもかかわらずである。夢を見ているような光景だった。「すべての道であなたを守る」ということは本当で、私は人が多い場所に出かけて行く時は、「いと高き方の隠れ場に住む者は全能者の陰に宿る」と心の中で唱和し、神の守りを祈ってから出かけることにしている。こうして、時機にかなった助けが何度も与えられ、様々なピンチを乗り切れた。
最後に、私たちの主イエスに対する反応ということを考えよう。ナザレの人々の反応は否定的だった。私たちはどうだろうか。キリストへの信仰というのは二つの要素がある。一つは真理に対する知的同意である。「この世界は神が創造したと信じますか」「イエスは神であり救い主であることに同意しますか」といったこと。もう一つは人格的な信頼を寄せること。主イエスに対する人格的信頼である。自分と自分の人生を主イエスにあずけてしまうこと。知的同意と人格的信頼、この二つはバラバラのことではなく、本来一つである。ナザレの人々は、イエスはヨセフの子であるが、神の救い主ではない、と真理に同意しなかった。そして、主イエスに人格的信頼を寄せることはなく、反対に、お前なんかいらないと、殺そうとした。私たちはどうだろうか。「この人はただの人間でヨセフの子ではないか」で終わるだろうか?それとも、「私の罪のために十字架につき、よみがえられた神の救い主」ということに同意されるだろうか?同意はするけれども、「自分の人生をこのお方にあずけるまでの勇気はない」で終わるだろうか?皆さんは、誰を信頼して生きているのだろうか?誰も信頼できないで終わっていいはずはない。人は信じて生きる存在である。それが人間の本分のはずである。私たちは、キリストについてのみことば、キリストが語るみことばに同意したのならば、この一回限りの人生、キリストへの信を貫くことに決め、このお方にどこまでもついていきたい。

