キリストの十字架刑の場面は今日でクライマックスを迎える。「最期」ということばは「死に際」という意味があるが、まさしく今日は、キリストの死に際について描いている。

先週は32~44節から、キリストが十字架にかけられる場面を見た。十字架はキリストの時代、処刑のシンボル、死のシンボル、呪いのシンボルであった。十字架にかけられる犯罪人は、血を流し、苦しみうめき、絶叫し、罵声を浴びせかけられながら死んでいった。十字架は誰しもが忌み嫌った。ところが現在、十字架のイメージは変わってしまい、ご存じのように病院のマークは十字架である。ふつう考えたら、十字架は刑務所のマークでもよさそうである。この忌々しいシンボルが、なぜか病院に使われている。一般の人は、病院に入ると処刑される、呪われる、殺される、と思うだろうか。思わない。思っていたら、病院に行く人などいない。一般の人は、病院に行けば、命を救ってもらえる、延命できる、そう思っている。病院のマークが十字架になった理由は、キリストが十字架にかけられて以後、十字架はいのちのシンボル、救いのシンボル、愛のシンボルに変わったからである。

復習となるが、十字架刑は次のようだった。十字架にかけられる前、上半身は鞭打たれる。動物の骨や鉛を埋め込んだ皮の鞭で、背中はズタズタに引き裂かれる。そして刑場まで、自分がかけられる十字架か、もしくは十字架の横木を背負わされた。刑場に着くと、手首と足に太い釘が打ち付けられる。打ち付けられた瞬間は、ペンチで神経をひねりつぶすような痛みが走るという。十字架が垂直に立てられた時、体重は釘打たれた三点にかかり、燃えるような痛みが襲う。また、その姿勢において両腕は伸び、両肩は脱臼する。胸はひどく圧迫され、その姿勢では息を吐き出すことはできない。窒息を避けるために、死刑囚は体を持ち上げる。その度に、釘打たれた手首と足の部分に力がかかり、燃えるような痛みが伴う。また体を持ち上げた時に、ザクザクに裂かれた背中が荒削りの十字架の板にこすりつけられることになり、激しい痛みが伴う。この切ない呼吸運動をくり返す。その過程で、血液が大量に出血していくことにより、燃えるような喉の渇きが襲った。こうして最後は力尽きて、心肺停止に至る。

この十字架刑は恥の苦しみも伴った。それは単に公開処刑だからということではない。刑場まで自分がけられる十字架を背負されることも恥だが、刑場に着くと、死刑囚は裸にされる(35節)。裸にするというのは侮辱行為である。そして取り囲んでいる人たちが死刑囚に罵声を浴びせる。39~44節まで、キリストに対するののしりのことばが記されている。ゴルゴダの丘で十字架につけられたキリストに対しては賛美はなく、ののしりのことばで満ちていた。

キリストの場合、普通の十字架刑の犯罪人とは比較にならない苦しみを味わうことになったようである。十字架刑はひどい苦しみを長引かせることに意味があり、その日のうちに絶命させることを考えていなかったが、キリストの場合、十字架にかけられてから6時間で息を引き取っている。つまり、普通の犯罪人以上に、想像を絶するストレスがキリストにかかったということである。45節がそれをすでに暗示している。キリストが十字架にかけられたのは金曜日午前9時である(マルコ15章25節)。それから3時間後の12時から午後3時まで全地が暗くなった。これは異常な出来事で、古文書にもこの時の暗闇の記録が残っているらしい。この時期は春の満月シーズンで日蝕になることはありえない。だから、特別な現象が起きたということである。昼間なのに空は真っ暗というわけだから尋常ではない。これはどのような気象現象であったかというよりも、暗闇のもつ意味が大切である。聖書において、暗闇は神のさばきのシンボルである。事実、聖書の舞台のユダヤ人たちは、太陽が暗くなるということは、邪悪な罪ゆえに、神がこの世をさばいていることを表わしていると信じていた。旧約聖書を見ると、神のさばきの場面で、暗闇について描写されている。一例を挙げると、「地を見ると、見よ、やみと苦しみ、光さえ雨雲の中で暗くなる」(イザヤ5章30節)。「天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない」(イザヤ13章10節)。「やみと暗黒の日、雲と暗やみの日」(ヨエル2章2節)。「主の大いなる日は近い。それは近く、非常に早く来る。聞け、主の日を。勇士も激しく叫ぶ。その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、やみと暗黒の日、雲と暗やみの日」(ゼパニヤ1章14,15節)。

十字架というさばきの場面で全地が暗くなっている。この暗闇は十字架を見下ろしている。罪に対する神の御怒りがキリストに向けられている。だがその罪はキリストの罪ではない。キリストの上に全人類の罪が負わされていた。聖書はこの事実を次のように告げている。「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」(イザヤ53章6節)。「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死に渡された」(第一コリント15章3節)。「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました」(第二コリント5章21節)。「キリストは私たちのためにのろわれた者となった」(ガラテヤ3章13節)。「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」(第一ペテロ2章24節)。「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりになったのです」(第一ペテロ3章18節)。今の参照箇所では、「私たちのすべての咎を」「私たちの罪のために」「私たちの代わりに」「私たちのために」ということが強調されていた。罪のないキリストは、私たちの罪をお一人で背負われた。そして罪に対する言語を絶する恐ろしい御怒りはキリストに下った。「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら、御怒りを受けるべき子らでした」(エペソ2章3節)。私たちが御怒りを受けるべきであったのに、この御怒りはキリストに下った。それは言語を絶する恐ろしいさばきであった。数えきれないほどの人の罪のさばきを、キリストはお一人で耐え忍んでおられた。

午後3時に叫んだキリストの叫びを著者は紹介している(46節)。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。かつて、キリストが公生涯に入られる時、天から次のように声がかかった。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」(マタイ3章17節)。愛する子を地獄の谷底に突き落とすような親がいるだろうか。だが、実際にキリストのたましいは、闇の深遠に突き落とされている。十字架上で、心に暗黒を覚え、断絶、遺棄、孤独を味わっておられる。神の御怒りを覚え、言いようがない恐怖心を味わっておられる。捨てられる理由が全くないにもかかわらず、実際、見捨てられている。

私たちは、キリストの「どうして」という疑問符の付くことばを不思議に思ってはならない。愛されているのに捨てられる、罪を全く犯していないのに罪の呪いの中に置かれる、これ以上の矛盾はない。これ以上の不条理はない。しかも、一瞥の慰めもないさばきである。どんなに恐ろしいさばきであったことだろうか。けれども、キリストは、私たち人間がやりそうな不信感から来る叫び声をあげているのではない。キリストは人類の罪の身代わりとして十字架につくという知識はもっておられたし、しばし、弟子たちにそのことを語っておられた。そして、ここで、「わが神、わが神」と呼びかけておられるが、「わが神」という表現には、父なる神への信頼が込められており、どんな状態にあっても、あなたの助けを待ち望みます、という信じる心を読み取ることができる。確かに起きている事態にたましいは恐怖におののき悲痛にあえいでいる。けれども信頼を失っていない。父なる神の助けを待ち望んでいる。

そして重要なことは、この叫びは、旧約聖書のメシヤ預言に記されているということである。詩編22編1節をお開きください。このことばをキリストは叫んだ。22章全体がキリストの十字架刑の預言となっている(6~8節~キリストに対するののしり 14節~十字架上でキリストの両腕が脱臼する 15節~十字架上の渇きの苦しみ 18節~兵士たちがキリストの着物をくじで分ける)。これはキリストの十字架刑からさかのぼって一千年前の預言である。この詩編はうめきのことばで始まり賛美で終わる(22節~)。全体として苦しみの表現で満ちているけれども、信頼と忍耐力があるからこそ、賛美へと変わっていく。

マタイ27章に戻ろう。50節をご覧ください。キリストは「大声で叫んで、息を引き取られた」とあるが、キリストの最期のことばとされるのは、「父よ。わが霊を御手にゆだねます」(ルカ23章46節)だとされている。それは、「ゆだねる」という信頼の叫びだった。

息を引き取った時刻は午後3時であったが、この息を引き取った時刻も偶然のことではない。この時期は年に一度の「過越しの祭り」という大祭が行われている時期で、午後3時頃に、傷のない雄の子羊をいけにえにする習わしがあった。そのいけにえにされた雄の子羊は、民をさばきから救うシンボルであった。また、やがて登場する救い主を指し示していた。キリストはまことの救い主として、午後3時に、十字架という祭壇の上で、ご自身を罪のためのなだめの供え物としてくださり、血を流してくださった。私たちの罪のために死んでくださった。キリストは世の罪を取り除く神の子羊となってくださった。

その時、「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(51節前半)とあるが、これも偶然ではない。一つのしるしとなっている。神殿には幕がいくつかあるが、この幕は、大祭司が年に一度しか入ることを許されていない、特別に神聖な部屋の入口にかけられていた分厚いカーテンのことである。この神聖な部屋は神の住まいを表わしていて、勝手にこの部屋に入る者は死んでしまうと言われていた。それくらい神聖な部屋で、罪人はその汚れのゆえに近づくことさえ許されなかった。その部屋の仕切りとして、青みがかった分厚いカーテンがかかっていた。二頭の馬で両側から引っ張っても破れないくらい丈夫なカーテンである。このカーテンを真っ二つに破ったのは神ご自身であり、これには一つのメッセージが込められている。神の備えた十字架により、キリストという罪の身代わりの犠牲により、大胆に神の前に出る道が開かれたということ、神との交わりに入る道が開かれたということ。天の御国への道が開かれたということ。キリストを自分の罪からの救い主と信じる者は誰でも、罪赦され、神との親しい交わりに入ることが許される。天の御国に入ることが許される。

著者はこの時、岩が裂けるほどの大きな地震が起きたことも告げている(51節後半)。地震も暗闇と同様、神の怒りのシンボルである。そして著者は、神殿の幕が避けたことに匹敵するもう一つのしるしについて言及している(52,53節)。これはキリストの復活後に起こった、信仰者たちのよみがえりであるが、著者はなぜか十字架の場面に挿入している。意図は明らかで、キリストの十字架は死に対する敗北ではなくて、死に対する勝利であることを告げたい。メッセージの最初に、十字架は当初、死のシンボルであったけれども、キリストによっていのちのシンボルとなったことをお話した。そうなのである。キリストの十字架は、私たちにいのちを与えるものなのである。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3章16節)。キリストの十字架は、私たちに永遠のいのちを与えるための、神の愛のみわざだった。この十字架の場面では、神の御怒りと愛とが同居していることがわかる。十字架に神の御怒りも愛も見ることができる。

最後に、十字架刑の見張りをしていた百人隊長の告白を見て終わろう(54節)。「この方はまことに神の子であった」。バッハのマタイ受難曲では、この告白が合唱で歌われ、強調されている。百人隊長はローマ人で、ユダヤ人から見れば異邦人である。ユダヤ人は旧約聖書で預言されていた救い主は、ユダヤ人だけのための救い主であるかのように誤解して受け取っていた。けれども著者マタイは、イエス・キリストは全世界の人々のための救い主であることを、異邦人である百人隊長の告白を通して教えている。マタイはキリスト降誕の場面では、異邦人の東方の博士たちが、黄金、乳香、没薬を携えて、キリストを拝みに来たことを告げている。マタイは、イエス・キリストは全世界の民のための救い主であることを教えたい。

それにしても、百人隊長は、なぜこのような信仰告白ができたのだろうか。40節には、「神の子なら、十字架から降りてみろ」というののしりが記されている。キリストは十字架から降りなかった。けれども百人隊長は、「この方はまことに神の子であった」と告白したのである。百人隊長は仕事柄、うんざりするほど十字架刑を見てきただろう。前に述べたように、キリスト時代、イスラエルだけでも3万人が十字架刑に処せられたと言う。十字架にかけられた者は激怒と痛みから来る絶叫、乱暴な呪いのことばを吐いて死んでいくのが普通だった。だがキリストの十字架上のお姿は誰とも違っていた。ルカの福音書には、キリストの十字架上のお姿を見ているうちに、同じく十字架にかけられた強盗のひとりが回心する物語も記されている。キリストに言い知れない品格と愛を見たようである。神格を見たと言って良い。百人隊長はキリストが十字架刑がふさわしいと見ることはできなかったであろうし、そればかりか、自分と同じ次元の人間とさえ見ることができなかったのである。また、十字架刑に伴った、暗闇、神殿の幕が真っ二つに裂かれる、地震といったしるしも、百人隊長の心に大きく印象に留まり、先の告白につながった。「この方はまことに神の子であった」。 十字架に対する反応は様々であるが、私たちは、百人隊長と同じ告白に至りたい。その告白をささげ続けたい。