本日で、ダビデの生涯の半生記の人物説教が終わる。夕日は沈み、朝日が昇る。そうした自然界の転換に似た物語が、本日の物語である。初めの31章はサウル王の戦死の記事である。サウルの死は想定外のことではなく、すでに予見されていたことであった(28章19節)。聖書はサウルの死を神のさばきとして位置付ける。

イスラエル軍とペリシテ軍の大戦が勃発した(1節)。形成はイスラエル軍が不利であった。それは戦う前から予想されていたことであった。サウルの死の前に、息子ヨナタンの死の記述がある(2節)。ヨナタンはダビデの親友(心友、信友、真友)であった。彼は王子であり、つまりサウルの後に王位に着く存在であったが、その王位を喜んでダビデに明け渡す決断をしていた(18章1~4節)。またヨナタンは、サウルからいのちを狙われているダビデのために、ダビデのいのちを救うことに努めた。それはダビデが王となることが主のみこころであると知っていたということともに、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛していたからである。ダビデは彼の犠牲と死を無駄にしないように生きることを心で誓ったに違いない。

ヨナタンの死は無念の死であったが、サウルの死はただの悲惨な死である(3~10節)。この文章の中で、「傷を負う」「刺し殺す」「倒れ込む」「死ぬ」「はぎ取る」「切る」「さらす」といった痛ましい表現が機関銃のように連発している。この悲惨な死は、彼に対する主のさばきのことばの成就である。主のことばは地に落ちることなく必ず実現する。ともにこの死は、彼が悔い改めることなく罪を重ねていった結果の成就である。きしみかけた家に雪がどんどん降り積もり、どんどん積み重なっていって、そのままにした結果、やがてドンとつぶれるようなものである。彼の最後の罪は霊媒に頼ることであった(28章)。これが最後の大罪であった(第一歴代誌10章13,14節)。

サウルはギルボア山と呼ばれる丘陵地帯で痛手を負ってしまい、敵の手にかけられて死ぬよりはましだと、自決しようとした(4節)。どうするにしろ、彼は敵に首を取られる定めであった。翌日、ペリシテ人は死んでいるサウルたちを見つけた(8節)。それでペリシテ人たちはどうしただろうか(9,10節)。サウルの死体は偶像の神の前でさらしものにされた。古代社会において、国々の戦いは神々の戦いとして位置づけられていた。サウルの首は切られ、ペリシテ人はアシュタロテの神殿に戦勝報告をする。サウルの武具はアシュタロテの神殿に奉納される。アシュタロテは、肥沃、多産、愛、快楽の女神である。その像は女性裸体像で、後にギリシアのアフロディト、ローマのヴィーナスとして知られるようになる。首無し死体は「ベテ・シャンの城壁にさらした」とある。ベテ・シャンの城壁とは、ダゴンの神殿の構築物とも言われている。実は第一歴代誌10章10節では、サウルの首はダゴンの神殿にさらされたことが記されている。ダゴンは上半身は男の人間、下半身は魚という神である。こうしてサウルは偶像の神の前でさらしものにされた。なんという惨めな結末。サウルはイスラエルの王であったので、王の戦死は主なる神ヤハゥエの敗北をも意味していた。まことの神が偶像の民によってあざけられるという結末。これもまた悲しい。でも、神ご自身がこれを許されたのである。待ち望まれるのは、ダビデが王として歴史舞台に登場することである。

31章の最後の記事は、少しだけ心を和ませてくれる(11~13節)。ヤベシュ・ギルアデの住民によるサウルの埋葬である。ヤベシュ・ギルアデはヨルダン川の東側。サウルの死体のあるベテ・シャンはヨルダン川の西側。ヤベシュ・ギルアデの住民はサウル王の訃報を聞いて動いた。彼らは夜通し20~30キロの距離を歩いて、サウルとその息子たちの死体を取り戻し、戻って来てから火葬にして葬り、七日間断食して喪の期間を過ごした。どうしてヤベシュ・ギルアデの住民は、サウルの遺体の奪還と埋葬を買って出たのだろうか。実は、サウルの統治はヤベシュの住民の救出で始まっている(11章)。ヤベシュにアンモン人が攻めて来た。その時、サウルはヤベシュの住民をアンモン人の手から救った。ヤベシュの住民はサウルに恩義を感じていた。サウルの初期の行いに報いる者たちがいたということは慰めである。この記録は31章の暗い物語に、ほのかな柔らかい光を照らしている。

そして、この光はサムエル記第二に進むと、ダビデによって増していく。ダビデは居住地ツィクラグに居た(第二サムエル1章1節)。ツィクラグは戦地から百キロ以上離れているので、戦いがどうなっているのか良くわからずにいた。彼は戦況を知りたかっただろう。すると、サウルの陣営から逃げて来た者がダビデの前に現れた(2節)。彼はイスラエルの奴隷であったと思われるが、アマレク人であった(8節)。彼はダビデに戦況報告をする中で、けいれんを起こして瀕死状態のサウルから「殺してくれ」と頼まれて、その願いをかなえたことを報告した(9,10節)。おそらくこのアマレク人は、ダビデがサウルの敵になっていたことを知っていたので、ダビデにお褒めのことばを頂き、ダビデから褒賞を期待したのだと思う。だがその期待は甘かった。ダビデは喜ぶ反応を少しも示さなかった(11,12節)。自分の衣を引き裂いて悼み悲しみ、断食さえした。彼に対しては、主に油注がれた者に手をかけるのは冒瀆罪に値すると断罪し、処刑する(14~16節)。「冒瀆罪」とは、神をののしったとか、自分を神と等しくしたといったことであるが、ダビデは主に油注がれた者を殺すことも冒瀆罪として位置付けている。ダビデは、自分のいのちをしつこく狙っていたサウルが死んだのだから少しは喜ぶ表情を見せてもいいのにと思うのは人間的な見方で、彼はあくまでサウルに対して、敬意と哀悼の意を示すだけである。

ダビデはサウルと息子ヨナタンのために哀歌を作る(17~27節)。二人を称賛し、その死を嘆き悲しむ歌である。丁寧に二人を称賛する哀歌を作った。しかし、ダビデがより称賛しているのはヨナタンに対してである。「あなたの愛は、私にとって女の愛にもまさって、すばらしかった」(26節後半)。今週は受難週であるが、このことばはそのまま、私たちの主イエス・キリストに当てはまる。ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、ダビデを救わんとして彼ができる精一杯のことをしたが、主イエスは私たち滅びゆく罪人のために、十字架でそのいのちまで捨ててくださった。これにまさる愛はない。主イエスは言われた。「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛は持っていません」(ヨハネ15章13節)。主イエスの愛は余りにも大きくて、私たちは現実味をもてないくらいである。かつて、そのような愛は知らなかったからである。主イエスは私たちを愛するがゆえに、私たちを愛している証拠として、ほんとうに私たちのためにいのちを捨ててくださったのである。この愛で足りないという人はいないはずである。主はこうも言われた。「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます」(ヨハネ10章11節)。

2章に入ると、ダビデが主に伺い、ユダ地方のヘブロンに上ってユダの王になるという記事から始まる。1節の「この後、ダビデは主に伺った」で始まる。彼は次代の王と目されており、時機は到来したので、勢いのままに人間的判断で王に即位してしまうところだが、彼の信仰は眠りから目を覚ましたので、かつてのような失敗は犯さず、主に伺うというプロセスをきちんと踏んでから行動に移そうとした。「ユダの町のどれか一つへ上って行くべきでしょうか」「どこへ上ればいいでしょうか」(1節)。ダビデは丁寧に主の御旨を求めている。こうしてダビデはヘブロンに上り、ユダの王として即位する(4節)。ダビデ時代の到来である。彼がユダで王に即位したのは30歳の時である(5章4節)。彼はユダで七年半統治して(11節)、その後に全イスラエルの王になるというステップを踏む。

2章4節で「ユダの人々がやって来て、そこでダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした」とあるが、彼が王に即位して最初にしたこととして記されていることは何だろうか。それは宴会の記述でもなければ、自分に反旗を翻しそうな者に対する処罰でもない。とても意外なことである。それは、なんと自分のいのちを狙ったサウルを丁重に葬ったヤベシュ・ギルアデの住民への感謝の思いの通達である(4節後半~7節)。ダビデはヤベシュ・ギルアデの住民を祝福している。サウルを葬ってくれてありがとうと。ダビデのこうした動きは、これまでの経緯から、国を一つにまとめていくための策だという見方もされるが、ダビデを策士扱いする前に、ダビデがサウルに対して、死んでからもなお、ここまでの敬意の念を示したことに感服しなければならない。ダビデのサウルに対する態度は特筆に値する。「死人に口なし」と言って、死者の尊厳を傷つけることばを口にすることがあるが、ダビデにそのような姿は微塵もない。彼は悪夢のような過去を持ち出すことなく、信仰の襟を正して残りの半生をスタートする。

以上で、ダビデの半生の人物説教は終わる。ダビデは決して完全な人物ではなかった。後半の生涯を見てもそうである。だが、ダビデの子孫からメシアが誕生するとされた由縁は、もちろん神のご計画ということはあるのだが、やはり彼の信仰にある。ダビデの信仰が訓練された時代が、これまで中心的に見てきた荒野の放浪時代である。出エジプトの民が荒野で訓練を受けたように、彼も荒野で訓練を受けた。彼は厳しい生活体験を通して、主に聞き従うことを学習していった。ダビデは有名な詩篇23編を書き残した。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」で始まり、4節でこう告白している。「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです」。詩篇23編は、荒涼とした砂漠のようなパレスチナの光景を思い浮かべなければならない。草も水も十分ではない。険しい地形もあれば、野獣も目を光らせているような地である。草も水も豊富で危険もなく、ボーッとしていられるような牧歌的な光景を思い浮かべてはだめである。厳しい環境なのである。草も水も羊飼いの導きがあって得られるものである。羊飼いの使う「むちと杖」は、羊飼いが羊を野獣から守り、また羊を訓練するために用いる道具であるが、ダビデは荒涼とした荒野で、主こそが私の羊飼いであり、私はその羊であることを生活体験を通して教え込まれた。狭く険しい危険な谷間であっても、まさに艱難辛苦の中にあっても、主が私の羊飼いであるならば大丈夫であると学習した。

ダビデの信仰の訓練の物語は今日で終わるが、ダビデの信仰を讃えて終わろうとは思わない。ダビデが放浪生活でいのちの危険から何度も守られ、こうして正式にイスラエルに復帰できたのは、ダビデの頑張りでもなければ、ダビデの人間的知恵によったのでもない。偶然の連続でもない。すべて神の計らい、神の導き、神のあわれみである。ダビデは神のあわれみなくば、いのちは幾つあっても足りなかった。ダビデの半生を見ると、ダビデがいのちを失う機会は、私が数えただけでも、八つはあった。家族がいのちを奪われる機会もあった。彼は薄氷を踏むような、一歩間違えばどうなっていたかわからないというギリギリの状況の中を歩んだ。失望、あせり、恐怖を味わい、信仰は右によろめき左によろめき、ぬかるみにはまりと、自分の弱さを痛感させられる旅であった。しかしそこに力強い主の御手の守りと働きがあった。同じ主が、私たち一人ひとりの人生にも働いてくださるのである。「薄氷を踏む」「綱渡りをする」「急こう配の坂道を上る」「道は曲がりくねっている」「単調な道が続いている」「いや道さえ見えない」、そのような状況にあっても、主の名を呼び求めつつ、主に聞き従う姿勢を堅固に保っていきたいと思う。私たちは愚かで弱い。だが、主が私たちの羊飼いである。主はあわれみ深いお方である。恵み深いお方である。信仰の目が泳ぎそうになる時があるだろう。自分の立ち位置もわからなくなるかもしれない。すべてを投げ出したくなってしまうかもしれない。そのような時にこそ主の名を呼び求め、主を私の羊飼いとする信仰を新たにしてまいりたいと思う。