ヘブル人への手紙の信仰者列伝、本日は出エジプトのヒーロー、モーセである。モーセもこれまで見てきたアブラハムやノア、エノクに匹敵する信仰の人である。

イスラエルの民がエジプトに移り住んだのは、アブラハム、イサクの時代を経て、ヤコブの時代であった。エジプトに移住した理由は飢饉である。この頃、ヤコブの末子であるヨセフがエジプトで総理大臣を務めていたので、エジプトには暖かく迎えられた。しかし代替わりによって、この移民はエジプトで奴隷とされてしまう。イスラエルの民は多産の民として昔も今も良く知られている。女性は活力があり、少々の悪条件でも良く子を産む。多民族はかなわないと言われている。当時エジプトで、イスラエルの民、すなわちヘブル人は、ハイスピードで想像以上に増え広がった。反乱を恐れて奴隷政策に乗り出したが、それでもエジプト人の恐れは消えない。それで、エジプトの王は幼児虐殺命令を下した。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げこまなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない」(出1章22節)。ヘブル人にレビ部族のアムラムとヨケベテという夫婦がいた。ヨケベテは男の子を出産する。両親はこの男の子を生かす道を模索する。三か月の間隠していたが、隠しきれなくなったとき、その子をナイル川で溺死させることを選ばず、神にゆだねて、かごの中に子どもを入れて、ナイル川の葦の茂みの中に置いた。その子の姉のミリヤムが、どうなるだろうと見守っていたとき、はからずも、エジプト王の娘が侍女たちを従えて水浴びに来た。彼女は、その男の子を養育する決断をする。といっても、うばが必要である。その子の姉の機転によって、実の母親がうばとなる。エジプト王の娘は、うばとなる母親に、「私があなたの賃金を払いましょう」と、養育費を含んだ賃金を払う約束をする(出2章9節)。もし両親が神を恐れず人を恐れ、王の命令に従ってしまっていたら、賃金までもらって、安全な環境で我が子を養育することなどできなかった。これは信仰による奇跡である。「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」(箴言29章25節)とある通りである。

ヘブル人への手紙の著者は、こうした両親の行動を、明確に「信仰によって」と説明している(23節)。その行動のきっかけとなったのは「彼らはその美しいのを見たからです」と説明されている。「美しい」は新改訳2017では「かわいい」と訳されている。このことばは「顔かたちの美しい」「みめの良い」「顔立ちの整った」という意味に解釈できるわけだが、両親はその男の子に外観の美しさ以上のもの、つまり、その外観に、神さまのために将来何か意味あることをしそうな雰囲気、普通の子どもとは違った卓越性のしるしというものを見てとったのであろう。殺してはならないという神さまからの強い迫りが心に与えられただろう。よって、間引きみたいにして扱っちゃならないと心に決めた。彼らは王の命令を恐れず、神さまのみこころに従うことを選択した。

こうしてモーセと名づけられた男の子は、信仰の篤い親の影響を受けて育つことになる。ある女性が、教育家であるフランシス・ウイーランド・パーカーに質問した。「子どもの教育はいつから始めるとよいのでしょうか?」「お子さんは幾つですか?」「五歳です」。「あらまあ。時間を浪費してはいけませんねえ。急いでください。すでに最も貴重な五年間を逃しました」。教育学者の話によると、人間の基礎的な人格が完成する時期は六歳の時だそうである。モーセは幼少期、神を敬う教育をうばである母親から受けたはずである。そしてこの期間に見た信仰の模範、受けたことば、そして受けた祈りは、モーセの信仰の基礎を形作った。

こうして次に、「信仰によって」と言われる対象は、両親から信仰を受け継いだモーセに移る。「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み」(24節)。モーセは人格教育と信仰は母親から受け、そして少年になってからは当時の一流教育をエジプトの王の娘を保護者として受けた。「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ」(使徒7章22節)とある。読み書き、算数、天文学、地学、歴史、戦術、彼は一流教育で身を固めて成人となった。モーセの転機となった成人年齢は40歳である。「四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました」(使徒7章23節)。40歳の時、信仰からの決断が生まれた。パロの娘の子と呼ばれることを拒み、彼はどうしたのか。「はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました」(25節)。大胆な選択である。エジプトの王子の立場を捨てて、ヘブル人奴隷と運命をともにするという選択である。「パロの娘の子」とは、エジプトで王に次ぐ最高の名誉ある地位であり、権力と名誉と富とを伴い、これ以上ないという立場である。毎日、ホテル住まいのような生活。ご馳走を食べ、享楽も思うがまま。民は皆、自分にかしずく。だが彼は、虐待されるヘブル人と一つとなることを選び取った。「はかない罪の楽しみ」は文字通りに訳すと、「罪の一時的な快楽」である。モーセはこれよりも、一時的な苦しみを選び取った。彼は一時的な苦しみのあとに来る永遠の報いを見ていた。それは賢い選択であった。次のように言われている。「彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです」(26節)。モーセはエジプトの財宝に目がくらむことはなかった。ペテロは告げている。「朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために天にたくわえられているのです」(第一ペテロ1章4節)。モーセは天の宝を見る信仰の目をもっていた(1節参照)。

それにしてもモーセは、「キリストのゆえに受けるそしりを」と、キリスト来臨一千年前にして、すでにキリストを知っていたのだろうか。知っていたとしても全く不思議ではない。これまで見てきたように、アブラハムにもキリストの啓示が与えられていたし、エノクはキリスト再臨の預言さえしている。だから、モーセもまたキリストを認知していたとしても、少しもおかしくない。むしろ自然である。パウロは後のイスラエルの民の荒野の旅について、その旅を導き、助けたのは、キリストであることをほのめかしている。「みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです」(第一コリント10章3,4節)。モーセは受肉前のキリストと接し、その指示を仰いでいたと考えられる。

さて、モーセは40歳の時に、イスラエルの民たちともに「出エジプト」とはならなかった。彼は奴隷となっていたヘブル人を助け、解放者になりたいという願いはあったが、彼は、ヘブル人たちに受け入れられず、彼自身もまだ信仰は未熟で、正義感は強かったものの、民のリーダーとなる資質も足りていなかった。彼はエジプト人を打ち殺してしまい、そのことがエジプト王パロの耳に入ってしまったため、反逆者として指名手配された。もし捕まったら死刑。彼は脱兎のごとく、エジプトを飛び出した。彼は40歳から40年間、ミデヤンの荒野で羊飼いとして暮らす。富にも地位にも才能にも恵まれていたと思われる大国の超エリートは、庶民の暮らしとはどういうものなのかを味わうことなる。良い経験である。また後のダビデ王と同じく羊を飼うことは、信仰形成に役立ち、リーダーを務めることにおいても役だったであろう。この生活の中で、若い時の過信も消えて行く。そして80歳を迎えた時、奴隷解放のリーダーとなるべく神の召しを受ける。燃える柴の中から神の声を聞いて、エジプトに戻る決断をする。エジプトで様々なことがあるも、機は熟し、イスラエルの民とともにエジプトを旅立つ日が訪れる。

「信仰によって、彼は王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして忍び通したのです」(27節)。「王の怒りを恐れないで」というのは、両親たちの「彼らは王の命令をも恐れませんでした」(23節)に通じる姿勢である。誰かの怒り、反感、それは信仰の行動のプレッシャーとなる。また無言の抑圧を感じ、動けなくなることもある。だが、ここでは王の怒りという、最大級のプレッシャーである。国の最高権力者が怒っている。彼は絶対権力者で、彼の権威はエジプト全土隅々にまで及ぶ。王の怒りを恐れていたら、妥協や譲歩も生まれたかもしれない。モーセは王の怒りを恐れず、私は神と神のことばに従います、と信念を曲げなかった。出て行く時も武器を手にしていたわけではない。モーセの手にあったのは信仰を働かせる一本の杖だけである。

そして、「目に見えない方を見るようにして」という信仰がなければ、あのエジプト脱出はなかった。目に見えない方を見るようにしてということにおいて、彼は卓越していた。これが強さになる。私たちも、いつでもこれができればと思う。ご存じのように使徒ペテロは、暴風で波が逆巻くガリラヤ湖上で、キリストに「来なさい」と命じられたとき、風や波が気になり、頭がクラクラし、キリストから目を離してしまった。そして沈みかけた。けれどもモーセは、王の怒りが荒れ狂うことを恐れず、目に見えない方から目を離さなかった。

この信仰には服従が伴う。「信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越しと血の注ぎを行いました」(28節)。これはエジプトを脱出する直前のエピソードである。神はエジプトへの最後の災い、第10番目の災害として、初子の死を告げる。民族関係なくエジプトに住んでいるすべての初子にこの災いが降りかかってしまう。しかし、神はモーセを通してイスラエルの民に命じた。「子羊をほふり、子羊の血を、家のかもいと二本の門柱につけよ。そうすれば、主はその戸口を過越して、災いはその家にもたらされない」(出12章)。これは、子羊キリストの血を信仰によって自分に適用する者は救われるとの型であった。モーセは子羊の血が民を滅びから救うと信じて、血の注ぎを行った。続いて、バプテスマの型とされる航海渡渉が続く。

「信仰によって、彼らは、かわいた地を行くのと同様に紅海を渡りました。エジプト人は同じようにしようとしましたが、のみこまれてしまいました」(29節)。

イスラエルの民たちは、すんなりとエジプトから解放されたわけではない。モーセがイスラエルの民のリーダーとして立った当初、エジプト王パロはイスラエルの民の苦役をさらに重くする。「れんがの材料となるわらをお前たちに与えない。だが、これまで通りに規定通りの数を納めろ」。無理難題を吹っかけられたイスラエルの民はモーセに不平を言い、モーセも悩むことになる。「神さま、なぜ私を遣わしたんですか」と。その後、エジプト王パロの揺さぶりは続いた。しかしエジプトへの最後の災い、イスラエルの民にとっては子羊の血による救いを機に、パロはエジプト退去を許す。だがパウロの心は翻り、エジプト軍に追わせた。なのに、なぜか神はイスラエルの民を袋小路に導く。目の前は紅海。背後はエジプト軍。絶対絶命の板挟み。イスラエルの民はモーセに不平をぶつける。「どうして私たちをエジプトから連れ出したのか。ここで死なせるつもりか」。エジプトを旅立つ時は意気揚々だった彼ら。しかし、その気持ちも長続きしない。敵が追い迫ってきている時こそ、一致団結して主に信頼すべきところ、内輪もめ。責任のなすりつけが始まった。エジプトに帰りたいという話も。

神の導きに従っているにもかかわらずの危機、神の導きに従っているからこその危機がある。「なぜ?どうして?」の声も漏れる。簡単に解読できない状況に投げ込まれてしまうことがある。この危機においてモーセはイスラエルの民に告げている。「恐れてはならない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない(出14章13,14節)。そして主はモーセに言われた。「イスラエル人に前進するように言え」(出14章15節)。するべきは、無駄なおしゃべりは止め、信仰による前進である。こうなったのは誰のせいかと犯人探しをしている場合ではない。敵は押し迫っている。信仰による前進である。前進すれば道は開かれる。モーセは神の命によって杖を上げ、手を海のほうに差し伸ばすと、海が真っ二つに分かれ、左と右で壁になって道ができた。29節には何と書いてあるか。「信仰によって、彼らは」と、これまでの「彼」から「彼らは」となっている。確かに不信仰の叫びがあったことは事実である。けれども、神が追い迫るエジプトの軍隊から救い、紅海を渡らせてくださると信じた人々がいたことも事実である。彼らが周囲の人々の不安を鎮め、信仰を鼓舞したであろう。

民たちは徒歩で渡り切り、エジプトと決別した。あとから海に入ってきたエジプト人たちは、戻る波に飲み込まれ死んでしまった。この物語に、次のみことばも思い出す。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられない試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(第一コリント10章13節)。「試練とともに脱出の道」を備えてくださる神さま。神の導きに従い、信仰によって前進する時、脱出の道が開かれ、その道を渡ることができる。

さて、ヘブル人への手紙の著者は、モーセの生涯を通して何を強調したかったのだろうか。モーセに告げられた過ぎ越しの子羊はキリストの十字架による救いの型であるとか、紅海渡渉はバプテスマの型であるとか、そういうことではない。そうではなく、モーセの信仰と忍耐である。はかない罪の楽しみを捨て、試みの中でも、目に見えない方を見るようにして忍び通したモーセに倣わせることである。モーセも先に見たように、キリストを意識していた。はかない罪の楽しみは、私たちを引き寄せ、自分の十字架を負ってキリストについていくことを妨げる。キリストのゆえに受けるそしりを拒ませ、私たちを沿道に追いやる。そこは道沿いであって、中途半端な場所。キリストに反対しないし好意はもっていても、しかしそこまでで、ついていくことはしない場所が沿道。傍観者となる場所。責任がない楽な場所。そこは、この世の人から非難を受けたり、怒りを受ける場所ではないが、神さまに称賛される場所でもない。人ごみにまぎれ、保身に走る場所。そこは目に見えないキリストを見るようにして忍び通す場所ではない。ヘブル人の手紙の受取人たちは、キリストから目を離し、ふらふらと沿道に移ってしまう誘惑があった。モーセの信仰とは、いわば、自分の十字架を負ってキリストについていく信仰、キリストから目を離さずついていく信仰であった。

私たちは沿道ではなく、キリストの真後ろを選ぼう。キリストご自身が私たちにそれを望んでおられる。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(ルカ9章24節)。そこは私たちの本当の居場所である。キリストが良く見える。もちろん、様々な揺さぶりはある。だからこそキリストから目を離さないようにしよう。また、ゴールにある報いからも目を離さないようにしよう。先日、私は、「わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません」(マルコ10章29,30節)のみことばに目が留まった。「百倍」の報いをキリストは約束してくださった。キリストは最後の最後まで、ご自身に従い通す力を与えてくださり、私たちの信仰のドラマを祝福し、導いてくださるだろう。