前回は、「主がともにおられる」ということが何よりもの祝福であることを学んだ。ヨセフは今、監獄の中にいる。主がともにおられるなら監獄に入れられないだろうとはならず、監獄の中にいる。けれども、主がともにおられる(39章20~23節)。主はそこで監獄の長との関係性に働きかけたようであるし、他の囚人たちとの関係性にも働かれただろう。色々なタイプの囚人たちがいたはずである。心がザラザラした接したくないような人物も必ずいたはずである。彼らと否が応でも接しなければならなかった。それもまた良い訓練となった。39章22節の「監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた」という記述は驚くものがある。その監獄には39章20節で言われているように「王の囚人」たちが監禁されていた。ということは、宮廷で仕える官僚や役人たちが監禁されていただろう。彼らの仕事内容や宮廷の仕組みを耳にし、エジプトの諸事情も耳にしたはずである。そして、そこで管理をまかせられる。ヨセフは将来に備えて、監獄という学校で学んでいたと言えるかもしれない。しかし、監獄は監獄である。当時は暗い土牢である。環境はよろしくない。昔、エジプトではゴキブリを食べる習慣があったことを本で読んだが、ゴキブリも出たのだろうか。いずれ、このような所から早く出たいわけである。

彼は、現代で言えば、いわば婦女暴行未遂罪で投獄である。もちろん、罪をなすりつけられてのことで、彼に罪はない。だが投獄である。投獄された者は無罪が証明されるまで出獄はできない。彼の立場は奴隷なので、すべての点で不利。奴隷でなくともすぐに裁判を受けることができるわけでもなく、裁判は支配者の気まぐれで行われ、裁判を受けることさえできない場合が多かったと言われている。ヨセフの場合、裁判を受けることができる可能性は極めて低い。いつ、ここから出られるのかはわからない。生きる希望を失い、無気力に毎日を過ごしてもおかしくはない。だが、主がともにおられたのである。彼自身、主がともにおられるということを確信し、希望を捨てなかったと思われる。驚くのは、彼はこの監獄において、受け身ではなかったということである。彼はこの監獄において、模範的囚人となり、囚人全体に目を配る仕事に就く。そして、その仕事を忠実に果たしていく。様々な背景を持つ、様々なタイプの囚人がいたと思われるので、多少のいざこざもあったはずである。人間力が試される。彼はそこでの人間観察を通して、世の醜さや人生の悲哀や人の罪を心に刻んでいったであろうし、同時に他の囚人を思いやる心や忍耐も生まれていっただろう。

山本周五郎の作品に映画化もされた「さぶ」という作品がある。江戸時代の物語である。主人公である職人は盗っ人の濡れ衣を着せられ、滅多打ちにされ、番小屋でも目明しに半殺しの目に会い、島送りになる。彼は人間不信に陥ってしまったため、心を閉ざし、他の囚人たちから孤立し、満足に口を利こうともしなかった。だが、それぞれの囚人の人間模様を知っていくうちに彼の心は溶かされ、彼は他の囚人たちを理解し、思いやる心も与えられ、他の囚人を助け、囚人たちの中でリーダー的な役割を果たすまでになる。体を張って悪辣な囚人たちとも向き合い、島の環境が荒んでしまうことを防ごうともした。そして島送りの期間が終わって帰ってきたとき、彼は罪を着せられ島送りになったことを全く後悔せず、自分にとってなくてはならなかったありがたい体験であったことを告白するのである。ヨセフは監獄に入れられた当初、やはり落ち込んだだろう。だが彼は自分の殻に閉じこもってしまうことなく、囚人のリーダーとなり、やがてはこうしたことが神のみこころのうちにあったことを確信するようになる。こちらは小説ではなく、事実である。

ヨセフは監獄の中ではなく、社員寮に住んでどこかの会社に勤務しているのではないかと思うほど、人とかかわり、たんたんと自分の仕事に打ち込んでいたが、彼はファラオの二人の廷臣に仕えることになる。二人の付き人になる。それが今日の場面である。一人は王の献酌官長。献酌官はファラオが口にするものをチェックするお毒見役であるが、その長ということで、王の護衛、相談役といったことをしていたと思われる。もう一人は王の料理官長。字の通り、料理の責任者である。この二人は、何らかの理由でファラオを怒らせてしまい、投獄となったらしい。4節では、「しばらく、勾留」と言われている。だから、近い将来お沙汰が下るということである。この二人と出会えたというのも神の摂理である。ヨセフは投獄されたからこそ、王の廷臣と出会えた。このことが王の前に召される機会を作った。ヨセフは王の廷臣たちから、王の生活はどのようなものなのか、王を取り巻く政治形態はどのようなものなのかも聞いただろう。

ある時、この二人は同じ夜にそれぞれが夢を見る(5節)。朝になると、この二人の顔色がすぐれないことにヨセフは気づく(6節)。そして、「なぜ、今日、お二人の顔色がさえないのですか」と同情心をもって尋ねる(7節)。何気ない一言だが、ヨセフの人柄を感じる。次のような文章があった。「成熟した人は、自分をとりまく外界に対して、真剣に、心を込めて接触します。ただ自分の内部の声を聞くだけでなく、周りの声にも耳を傾けます。さらに個人としての経験の幅は、他者に対するきめ細やかな共感によって、果てしなく増幅され、苦しむ人とともに苦しみ、喜ぶ人とともに喜ぶのです」。ヨセフはこの域に達そうとしていたのではないだろうか。ヨセフがこのように他者に仕える姿は感嘆に値する。なぜかと言うと、他者のことにかまってはいられない精神状態になっていてもおかしくなかったからである。一般に、人が自己中心に陥る程度は、その人の悩みに比例する、と言われている。ヨセフはその受けた苦しみから、自分の殻に閉じこもり、自分にだけ注意を向けてもおかしくなかった。このような文章もある。「人を破滅させるような、または徐々にむしばんでいくような苦しみにさいなまれると、注意力は自分自身と自分の苦しみの範囲だけに向けられるようになります。歯の痛みから老後の孤独にいたるまで、何もかも被害視する人は、自己中心主義になりやすく、したがって、自分にばかり気をとられていると、心気症(身体の健康に気を遣う)や、被害妄想になる例が少なくありません」。注意力が自分にだけ向けられてしまうと、その人は自分という限られた世界の中で生き、絶えず、劣等感、不安、不満、被害者意識を持ち、常に自分のことばかり考えて生きていくようになる。他者には注意は向かない。苦しみのさなか、自分が世界の中心になっていくと、他者との対話でも、話題が自分に関することであってくれれば、内容はどうでもよくなる。そして他者に対しては関心は薄く、他者の話には真剣に耳を傾けようとはしない。関心は自分のことだけである。

ヨセフの場合、注意力を自分にだけではなく他者にもしっかり向けている。共感、同情心をもって。そして自分の賜物を生かして助けようとしている。その賜物とは、夢を説き明かす賜物である。ヨセフは自分の賜物を自覚しつつ、8節で「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください」と語りかける。献酌官長の夢はぶどうの木の夢であった(9~11節)。ヨセフの解き明かしは、三日後に元の地位に戻れるというものであった(12,13節)。料理官長の夢は枝編みのかごの夢であった(16,17節)。ヨセフの解き明かしは、三日後に処刑になるというものである(18,19節)。二つの夢は実現する(20~22節)。献酌官長は復職し、料理官長は処刑となった。ヨセフもそのニュースを耳にしたことだろう。

ヨセフは献酌官長の夢を説き明かした際、こう願っていた。「あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から出られるようにしてください。私に恵みを施してください。実は私は、へブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は、投獄されるようなことは何もしていません」(14,15節)。ヨセフは、献酌官長がファラオに話を通してくれればと、この時に得た人脈を使って出獄を望む。「無実の私を助けてください。復職した際に、私のことを思い出して救い出してください」と。ヨセフは好機が巡って来たと思ったことは間違いない。これが神がくださったチャンスだと。けれども、神の計画では、ヨセフを監獄から出すのは二年後のことであった。40章23節の「ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さなかった」の記述と41章1節の間には二年の月日が流れており、その間のことは何も書かれていない。単調な日々が続いただろう。監獄の中で決まったルーティーンを繰り返し、美味しくもない、毎日同じような食事を口にし、同じ囚人たちの不平、不満、怒りとつきあい、新しい囚人が入ってくればめんどうを見、八つ当たりもされ、ただその間も、「主がともにおられ」という現実が支えとなったはずである。様々な主の恵みを味わうことができたはずだが、ただ、二年という長さは、彼にとってつらかったことは事実であったと思う。神はなぜ二年間待たせたのか。エジプトの環境や政治的情勢のことや、ヨセフに対する訓練という意図など、様々な要素が絡み合っているだろう。「献酌官長はヨセフのことを忘れていけない人ね。恩知らず」といった話になることがあるが、これも神のご計画の中でのことであると思わされる。献酌官長もやがて思い出すのである。それはベストタイミングの時であった。早いとか遅いとか、それはその時の人間的判断であって、すべてには神の時というものがある。

41章で、ヨセフは監獄から出され、エジプトの王ファラオに仕える身となる。エジプトナンバー2の指導者となる。その前に彼は、エジプトに連れて来られ、一番最初に役人の家で召使いとして仕えた。彼はそこでエジプトの文化や社会を学びつつ、家を取り仕切ることを学んでいく。古代エジプトは貧富の差が激しく、民は非常に富んでいるか貧しいかのどちらかであった。ヨセフは最初、裕福な役人に仕えた。こうした高い階級の暮らしを学んでいった。召使いの長として管理をまかせられ、様々なマネージメントも身につけていった。次に監獄では、監獄の長に、そして囚人たちに仕えた。王の囚人たちが監禁されている監獄ということで、王の役人や王の廷臣たちに仕えた。監獄は宮廷で行われている政治を知るのに良い場所となった。また、監獄は社会の表事情ばかりか裏事情を知るのに、また人間というものを深く知るのに最適な場所であった。そしてここでも管理することを学んだ。彼はやがてエジプトの指導者として立つために、体験を通してエジプトの裏も表も知り、エジプトの社会全体を知り、エジプト人の人間模様を知り、管理のスキルを身につけ、人間力を身につけ、何よりも、信仰を本物化していった。

クリスチャン作家にドストエフスキーがいる。彼は28歳の時、死刑の宣告を受けるも、皇帝の特赦によって四年のシベリア流刑に処せられ、監獄生活を送った。彼はこの四年間の体験を弟に手紙で書き送っている。「なんという恐ろしい時間だったことか。わが友よ。とうてい語ることはできない。それは言うに言われぬ、際限のない苦しみだった」。監獄の建物の様子について書いているが、「床はどこでも腐っています。…床は四、五センチほども汚物がつもり、気をつけないと滑ったり転んだりします。・・・暖炉にはたった六本しか薪を焚かないので、まったく暖かくなく、一酸化炭素が耐えがたいほどで、それが冬中つづくのです。・・・囚人たちはみな豚のように臭いをたてていて・・・。蚤、虱、油虫は升で量るほどいます。大斎期(受難週)には、水っぽいキャベツと水で、そのほかはほとんど何も出ません。僕はひどく胃をこわして、何度も病気になりました」。囚人に関する描写としては、「彼らは粗暴で、怒りっぽい、怨恨のかたまりのような連中です。」「自分を取り巻く果てしない敵意と喧嘩、罵声、叫喚、騒音、騒動、四六時中警護のもとにあって、けっして一人になることはできない。こういう状態が切れ目なく四年間続くのです」。「僕はこの四年間に、とうとう悪党どものあいだに人間を見分けるようになりました。信じてもらえないかもしれませんが、深みのある、力強い、すばらしい性格の人びとがいるのです。粗野の外皮の下に黄金を発見するのはなんという楽しいことでしょう。それも、一人や二人ではなく何人もなのです」。「いったいどれだけの浮浪者、強盗、おしなべてあらゆる種類の下層の人々の不運な物語を知ったことでしょう。それは何巻もの本になるほどです。なんとすばらしい人びとでしょう。総じて、僕にとって、時間は無駄に失われたのではありませんでした」。そして彼はこうも述べている。「僕の魂に、僕の信仰に、僕の頭脳と心に、この四年間に何が起こったかは申しますまい。長い、長い物語になりますから」。この四年間がドストエフスキーの精神的成長の転換点になった。そして、監獄時代の体験が小説に反映されることになる。彼の刑期が終了したのは33歳。ヨセフが監獄から出るのが30歳。同じ青年期。

40章で心に留めたいのは、ヨセフのくさらず仕える姿勢である。それが彼の道を開いた。彼は監獄の長の目に留まる模範囚で、そして皆に仕えていき、王の廷臣の付き人にさえなった。付き人になっても、もし彼が言われたことをこなすだけで、王の廷臣たちと信頼関係を築けなかったら、そして、「お顔色がすぐれませんね」と声をかける姿勢がなかったら、彼は監獄暮らしで一生終わってもおかしくなかった。彼は小さな事にも忠実であっただけでなく、目の前の人たちを助ける姿勢を持っていた。王の廷臣たちに対しては、「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください」(8節)と、神にあって顔色のさえない人たちを助けようとした。ヨセフは監獄という地底社会にあっても、人々にせいっぱい仕える姿勢を貫いた。道はそこから開けていったのである。私たちはヨセフと賜物は違っても、「さあ、私に話してください」「私にできることがあればさせてください」と、他者に仕える姿勢を失わずに歩んで行きたいと思う。ヨセフのように、周囲に置かれた人々に仕えて行きたいと思う。