前回は「多くの苦難の中で」というタイトルで、テサロニケのクリスチャンの現状と信仰について学んだ。テサロニケの教会は苦難の中にある教会である。彼らの苦難は多かった。その背景を前回は学んだ。今日の箇所でも、パウロは苦難の中にある彼らを案じながら筆を勧めている。2章では14節で彼らの苦難の言及がある。「兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちに苦しめられたように、あなたがたも自分たちの同胞に苦しめられたからです」。テサロニケの教会は異邦人の教会である。ユダヤ人のメンバーもいたが、大多数は異邦人である。ユダヤの教会がユダヤ人たちに苦しめられたように、テサロニケの教会も同胞に苦しめられたというのである。テサロニケでは迫害の先鋒は最初はユダヤ人たちだったが、同胞が多数を占めていったようである(使徒17章1~9節)。パウロはこの2章において、苦難の中にある彼らを励まそうと、1章に続いて主の再臨に言及して終わっている。「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです」(19,20節)。
さて、2章の特徴だが、前半ではパウロは自分の働きを擁護するようなスタイルをとっている。ある意味、弁明の文章になっている。テサロニケの教会はパウロたちの宣教によって生み出された教会だが、パウロはユダヤ人たちの迫害に遭い、皇帝に反逆していると訴えられ、テサロニケを比較的短期間で去らざるをえなかった(使徒17章10節)。三週間は滞在していたと思われるが、それでも短い。そしてその後、パウロは戻っては来ない。パウロはテサロニケの教会を見捨てたのだろうか。彼の宣教はまやかしで自分の利得のためだったのだろうか。そうではない。パウロはテサロニケに戻れない事情があった(18節)。この戻れない事情については次回、説明したいと思う。この戻れなかったということが2章の背景としてある。テサロニケの手紙を見る限り、戻らないパウロを批判しているという痕跡が見られるわけではない。
テサロニケの教会のようにパウロが生み出した教会として、コリントの教会がある。コリントの教会はパウロをあからさまに批判した。パウロはほんとうに使徒なのかとか、権威がないとか、話しぶりがなっていないとか、献金を着服しているのではないのかとか、あらん限りのひどい批判を浴びせることになる。テサロニケの教会はそのような教会ではない。コリントの教会のように、パウロへの批判があったという痕跡は見られない。それでもパウロが弁明するのは、テサロニケの教会が苦難の中にあったので、みことばに堅く立って信仰生活を送ってもらうために、「私が語ってきたことばはまさしく神のことばなのだ。この神のことばに続いて信頼を置いてほしい」ということなのである。
パウロは最初に、テサロニケ宣教を振り返っている(1,2節)。テサロニケはマケドニア地方の大都市であった。パウロがマケドニアに渡ることになったのは、全くの神のご意志だった。パウロは第二次伝道旅行の際、自分が進もうとする道をことごとく神に閉ざされた。そのような時、一人のマケドニア人が、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願する幻を見た(使徒16章9節)。パウロはこの幻を通して、神のみこころはマケドニア宣教なのだと確信した。マケドニア最初の宣教地が2節の「ピリピ」であった。そこで苦しみに遭い、辱めを受けた。投獄という苦難にも遭った。そこから南下し、港町のテサロニケに移ったが、同じように逆風は強かった。だが彼が言うように、「神によって勇気づけられて、激しい苦闘のうちにも神の福音をあなたがたに語りました」(2節後半)。パウロは迫害、苦難が待ち受けていることを知っていて、苦難の真っただ中、テサロニケで語ってきた。不純な動機でこんなことをするはずはない。身の危険を犯してまで、金銭目当てに下心から語ったり、だますために語ったり、名誉心から語ったりすることはありえない。ただ純粋な動機で、彼らの救いのために、神のことばを神のことばとしてまっすぐに語ったのである。パウロはそのことを3~6節で字数を費やして語っている。牧師をしていて、やはり、神のことばを水増ししたり、少し曲げたり、また都合の悪いことばを語らず終えようという誘惑は少なからずある。けれども、パウロはそのような誘惑に打ち勝って来た。そして神のことばを語ってきた。
パウロは、7~12節では彼らにどのような態度で接したかについても語る。パウロは彼らの前で権威を振りかざしはしなかった。「・・・権威を主張することもできましたが、あなたがたの間では幼子になりました」と言う(7節前半)。この世の教師や偽使徒たちやカルトのリーダーのように、権威主義ではなかった。幼子のように心が低かった。当時の哲学の教師は権威主義であったり、経済的利益のために説法したりという実体があったらしいが、パウロにはみじんもそういうところはない。彼は自分が使徒であることを明かさなければ、ただの労働者のおっちゃんにしか見えないだろう。
パウロは幼子に続いては「母親のように」ふるまったと言っている(7節後半)。母親は優しいというイメージがある。そして世にはいつでも自分のいのちを子どもに与える母親の物語があるが、パウロはそのような心であなたがたのことを思っていると言っている(8節)。母親はいのちとまでいかなくとも、子どもに食べさせようとして、自分の食べる分を分け与えたり、自分の食べたいものをがまんして、子どもに与えたりするわけである。
パウロはテサロニケのクリスチャンたちに経済的負担をかけようとはしなかった(9節)。パウロはコリント人への手紙第一9章14節において、「福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活の支えを得るようにと定めておられます」と伝道者の生活原則を語っているが、このゼロからの開拓伝道にあっては、この権利を行使せず、自らの糧を自ら得ることに努めた。「労苦と辛苦」というのはデスクワークではなくて、肉体労働を意味している。使徒自ら肉体労働をして糧を得た。彼に貪る貪欲な精神は全くない。ふるまいにおいては敬虔であるように努めた(10節)。
そしてパウロは「父親のように」ふるまった(11,12節)。父親の務めは教えるという教育だが、神の家族というコミュニティにあって、パウロは父親の役割を果たした。パウロが教えるために語ったのは神のことばであった。
今日、中心にしたいみことばは13節である。「こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています」。パウロは会衆の面前で、また一人ひとりに神のことばを語ってきた。テサロニケの会衆は、それを文字どおり、神のことばとして受け取ってくれた。この神のことばに対する姿勢がテサロニケ教会のすぐれた特徴である。テサロニケの教会は、神のことばを神のことばとする教会であった。神のことばに生きる教会と言ってもいい。それがパウロに感謝を生み出している。今日のタイトルは、13節後半から「私たちのうちに働く神のことば」とさせていただいた。「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています」というのは、現在進行形のことが言われている。「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに<今も>働いています」ということである。
私たちのことを考えてみよう。まず信じるために神のことばの働きがあった。ある壮年の方から救いの証を聞いたことがある。その方は若い頃、「心の貧しい者は幸いです」というみことばを聞き、それがずっと心から消えず、何十年も経ってから宣教師の出会いを通して信仰が開花したということであった。またある人は、教会学校で聞いたみことばが心に残り、成人してから信仰が開花したというお話を聞く。皆さんの救いにあっては、どのようなみことばが働いたのだろうか。
また信仰を持ってからも、みことばは私たちの心の中で働き続け、私たちを育成する。信仰を持った当初に与えられたみことばが、常に自分の心の中で繰り返し思い出され続けるということはないだろうか。常にそこに立ち返れと。あるだろう。信仰生活というものは順風満帆ではない。人生の途上で、神さまに背を向けているわけではないのだけれども、正面から神さまと向き合えないような心の状態になってしまうこともある。何かしらの負い目を負ってしまい、正面から神さまと向き合えない気持ちになってしまうということである。また神さまに対してふてくされてしまうことが起きる。祈りのことばもうまく出て来ない。そのような状態で聖書を読んだとき、神のことばが鋭く胸に迫ってきたという経験はないだろうか。あるだろう。また、ふとした時に、あるみことばが心静かに響いてきたということはないだろうか。あるだろう。自然界を眺めている時や、車を運転している時などにもある。場合によっては、夢の中でみことばが響いてきたということはないだろうか。これもある。また、聖書を読んでいて、今の悩んでいる私にぴったりのことばであると、生きもののように迫って来た経験はないだろうか。これも良く聞くことである。
以上なようなみことばとの出会いばかりではなく、日常の聖書通読を通して繰り返し読んできたみことばが自分のうちに根づき、気づけば自分を成長させてくれたということはないだろうか。実はこれが一番大切だと思っている。聖書は66巻あるけれども、バランスよく読むことが必要である。聖書は使い込んでいくと、天と地、小口の部分が薄汚れて茶色になっていく。私は信徒時代、小口の部分が何カ所か、縦に真っ白であることに気づいた。旧約聖書の部分が何カ所か縦に白いまま。読んでいなかったわけではなく、余り読んでいなかった。これはよろしくないと思った。読み方のバランスが悪いなと。食事で言うと偏食である。偏食は健康状態にやがて現れるように、聖書の偏食も信仰状態に現れる。それからはバランスよく66巻を読むように心がけるようになった。自分のペースでいいので、聖書はバランスよく読むことを心がけてほしい。このようにして私たちは神のことばを聞き続けなければならない。神のことばは聖霊によることばであり、私たちのうちで聖霊によって作用する。私たちに真理を植え付け、また矯正し、打ち砕くこともし、そして刷新し、励まし、慰め、チャレンジを与え、導きを与え、神の国の民として持つべき知識を与え、キリストの心を与えてくださる。
最後に、神のことばを人間のことばとしてではなく、文字通り神のことばとして受け入れていくために、「神のことばを聞く」という姿勢について話して終わりたい。確かに私たちは神のことばである聖書を読むわけだが、神のことばに関しては、「読む」というよりも「聞く」という姿勢である。私たちは印刷されたことばを読むことに慣れてしまっている。それで聖書に対しても、語られる偉大な人格と切り離して、印刷された文字として、視覚で追って読んでしまう。だが聖書に対してはそうではなく、神のことばを聞くという姿勢である。神の息遣いを感じるような姿勢で、神のことばを心の耳に反響させるようにして受け止めなければならない。「神のことばについて読む」ことに甘んじるのではなく、「神のことばを聞く」ということである。「聞く」という姿勢は語る人がいてはじめて成り立つ。「読む」という場合、その文字は紙の上に記された「記号」にすぎない。語る人はそこにいない。しかし「聞く」という場合、生ける神の語りかけを聞くのである。それは人格と人格の間で交わされる行為である。私たちは聖書のことばを「記号」として受け止めるのではなく、「神の声」として受け止めなければならない。3世紀のアントニウスという有名な聖徒は、キリストが金持ちの青年に語ったことばが朗読されたとき、それはまさに、キリストが自分に向かって語りかけている声を聞いているのだと信じた。実は15世紀まで、普通の人々は自分で聖書を読むことはなかった。なぜなら、活字印刷技術がなかったからである。だから、朗読される聖書を聞くことが中心であった。それが1947年にグーテンベルグが活字印刷の技術を開発したことにより、人々は容易に聖書を手にすることができるようになった。それはそれですばらしいことであったが、「書かれていることば」として、他の書物と同程度に扱われてしまう傾向も生まれた。だがやはり、印刷されている神のことばであっても、神が自分に向かって語りかけている声として聞くということである。生ける神のことばとして聞くということである。
そして「聞く」という姿勢は、古代人にとっては単に音声として聞くという意味ではなかった。へブル人にとっては、「聞くこと」は「従うこと」とセットとして考えられていた。つまり、「聞くこと」は「従うこと」であったのである。だから私たちは自分の知性を満足させるためとか、自分の感情を満たすためにとか、そのような消費者精神で聖書に向かうことはやめよう。主イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。それは私たちが聞いたことを悟り、従うためである。「聞き従う」、それが神のことばを聞く私たちの目標である。それが現代の私たちにとって、テサロニケのクリスチャンたちに倣うということである。

