今日の記事は、主イエスの最期の場面である。主イエスが死を迎える場面と、取り巻く人々の反応が記されている。私たちも主イエスの十字架を取り巻く人々の一人になりたいと思う。四つに区分して見ていこう。主イエスが死を迎える三時間前から、太陽は光を失っていた。「さて、時はすでに十二時頃であった。全地が暗くなり、午後三時まで続いた。太陽は光を失っていた」(44節~45節前半)。なんと真昼に太陽が光を失ったのである。もちろん、これは文学的表現で、太陽そのものは光を失わない。また、過越の祭りの時期は満月の時期なので、日蝕はありえない。だから、黒雲が太陽を襲ったとか、あるいは砂塵の混じった風のために辺りが暗くなったとか、そういった自然現象だろう。ただ、自然現象だけでは済まされないのである。太陽が光を失うというのは、聖書においては、神のさばきの象徴なのである。主イエスは自らが過越の子羊となることによって、第二の出エジプトを果たすわけだが、モーセをリーダーとした第一の出エジプトの物語において、「エジプト全土は三日間、暗闇となった」と言われている(出エジプト10章22節)。また預言者アモスは、神である主のことばとして、「わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くする」(アモス8章9節)と預言している。また預言者ヨエルは、「地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う」(ヨエル2章10節)と預言している。預言者ゼパニヤは、「その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と暗闇の日」(ゼパニヤ1章15節)と預言している。すべて神のさばきの文脈で言われている。これらの預言からも、暗闇は、神のさばきの象徴であると知る。そのさばきとは、罪に対するさばきである。けれども、この十字架の場面では、主イエス・キリストの罪に対するさばきではない。ユダヤ人をはじめとする私たちの罪がその対象である。主イエスはその罪を、この時、我が身に負っている。暗闇の間、人々は不安と恐怖感を抱き、神が怒っておられると感じた者も多くいたのではないだろうか。
第二は、「神殿の幕が真ん中から裂けた」(45節後半)という現象が起きた。これも偶然のことではないだろう。ところで、神殿の幕は二つある。一つは聖所の入口の垂れ幕。第一の垂れ幕と言うことができ、地と海と天を表現した美しいつづれ織り(タペストリー)であったと言われる。この幕をくぐって聖所に入ることができるのは、30歳に達した決められた成人男子のみである。もう一つの幕は至聖所の入口の垂れ幕。聖所と至聖所を隔てる垂れ幕。第二の垂れ幕と言うことができ、内側の垂れ幕ということもできよう。この垂れ幕をくぐって至聖所に入ることができるのは大祭司のみである。至聖所は四角四面の完全な立方体で、天の象徴である。主イエスは大祭司として天の模型に入ったのではなく、天そのものに入ったとへブル人の手紙の著者は告げている。「キリストは本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです」(へブル9章24節 黙示録21章15節参照)。聖所と至聖所を隔てる垂れ幕にはケルビムが織り込まれていたと言われる。ケルビムはアダムが罪を犯した時、人間がいのちの木に近づかないようにとエデンの園の境に神が置かれた天的被造物である(創世記3章24節)。垂れ幕に織り込まれたケルビムは、人間が勝手に聖なる領域に、天の都に、天上界のエデンの園に入ってはいけないことを象徴しているかのようである。さて、「神殿の幕が真ん中から裂けた」と言われる垂れ幕はどの垂れ幕なのかは、これだと言いきれないが、聖所と至聖所を隔てる垂れ幕の可能性は高いだろう。へブル人の手紙の著者はこう述べる。「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました」(へブル10章19,20節)。そうだとするなら、神殿の幕が真っ二つに裂けたという現象は、主イエスがご自身の肉を裂いたいけにえによって、私たちが神に近づく道が備えられた、天に至る道が備えられたということである。43節の表現を取ると、パラダイスに入る道が備えられたということである。実は、45節後半の「裂けた」という動詞は、神的受動態と言って、幕を引き裂いたのは神であることを表している。この幕は人間の手では裂けない頑丈な幕なのである。この幕を神が裂かれたということは、キリストの十字架によって、神に近づく道が備えられたことを意味している。かつて、勝手に至聖所に入った者は死ななければならなかった。しかし、今やキリストによって、誰でも大胆に神に近づくことができる。またキリストによって誰でも天の都に入ることが許される。また、神殿の幕が避けたということは、神殿における儀式律法は、キリストにありて終わりを告げたということも言えるだろう。キリストの十字架という完全な犠牲は、旧約の犠牲制度の終わりとなったのである。キリストという完全な永遠のいけにえによって、誰でも幕の内側に入ることが許される時代を迎えたのである。
第三は、主イエスの十字架上の最期のことばである。「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。』こう言って、息を引き取られた」(46節)。息を引き取られる前の十字架上の最期のことばを大声で、というのが印象的である。ふつうに考えると、大声でという体力は残っていなかったはず。だから「大声で」という叫びに、主イエスの力強い意志を感じる。これは父なる神に霊を明け渡すことの宣言である。呼びかけの「父よ」ということばだが、ユダヤ人は「父」という呼びかけを使うことは余りなかった。けれども主イエスは違った。「父よ」という呼びかけが常であった。おそらくこのことばは、アラム語で信頼と親しみを込めた「アバ」ということばではなかったかと思われる。パウロはこの「アバ」に関して言う。「そして、あなたがたが子であるので、神は『アバ、父よ』と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました」(ガラテヤ4章6節)。このように、私たちもまた主イエスにならって、「アバ、父よ」と叫ぶこと、呼びかけることが許されている。そしてこの祈りは、メシア預言の詩篇である詩篇31篇5節の成就となっている。「私の霊をあなたの御手にゆだねます」(5節)。このことばは十字架上での主イエスの切実なことばとなった。主イエスは、ご自身をゆだねるにあたり、「わたしの霊」という表現を使われているわけだが、西洋哲学の影響を受けて、これを少々誤って受け取ってしまうことがある。ここでの「霊」とは、この肉体から分離した霊といった意味ではない。あの世で生きるいのちといった意味ではない。それはプラトン哲学(ギリシャ哲学)から来た霊肉二元論の受け止めである。ユダヤ人にとってこれは、「自分のすべてをゆだねます」ということである。「自分の全存在をゆだねます」ということである。全き明け渡しの表現となっているわけである。これは完全な信頼のことばである。死に際して、同じような祈りをした人物がいる。ステパノである。彼は殉教に際し、「主イエスよ、私の霊をお受けください」と祈った(使徒7章59節)。さて、私たちもやがて地上の人生が終わる時が来る。その時、どうしたらよいだろうか。私たちは、日々、ゆだねる祈りをするものである。そして最期の時も、この主イエスの祈りに倣いたいと思う。
ちなみに、息を引き取った時間の午後3時だが、過越の子羊が献げられる時間帯とも言われているが、ユダヤ人にとっては祈りの時間帯でもあった。例えば、「ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った」(使徒3章1節)とある。主イエスは過越しの子羊を献げる時間帯に、かつ祈りの時間に、詩篇31篇5節を祈り、息を引き取ったのである。主イエスは祈りを尊ばれた方であるが、主イエスの生涯は祈りの生涯であった。
第四は、主イエスの死を見た人々の反応である。ルカは三種類の人々に分けている。最初は百人隊長である。「百人隊長はこの出来事を見て、神をほめたたえ、『本当にこの方は正しい人であった』と言った(47節)。百人隊長の任務は、囚人をちゃんと処刑することである。そして主イエスを処刑した。その後、囚人を処刑する責任者とは思えない、囚人を尊敬することばを述べている。「百人隊長はこの出来事を見て」とあるが、主イエスの十字架上で赦しの祈り(34節)、犯罪人にパラダイスを約束する様子(43節)、天空の異変(他の福音書では地震も伝えている)、神殿の幕が裂けるというあり得ない現象(45節)、そして臨終の美しい叫び(46節)、これらに神を感じとったのだろう。だから、次に「神をほめたたえ」と続く。そして、「本当にこの方は正しい人であった」という宣言。「本当に」という、「嘘偽りなく、確かに」という思いを込めて、「正しい人であった」と宣言している。百人隊長も主イエスに罪を認めていないことを心に留めよう。ルカは、主イエスに罪はないことを、十字架物語において様々な人物に証言させてきた。初めは総督ポンティオ・ピラト。主イエスに罪がないことを三回宣言した(22節)。二人目はガリラヤの領主ヘロデ(15節)。三人目は十字架上の犯罪人(41節)。そして四人目が百人隊長である。ピラトは裁判官として無罪を認めた。そして悪人ヘロデも無罪を認めた。強盗犯も無罪を認めた。そして現場の処刑執行人までもが無罪を認めた。ルカは徹底して、主イエスの無罪性を描こうとしている。
次は群衆である(48節)。彼らをどのように位置づけたら良いだろうか。「これらの出来事を見て」とあるが、同じような表現が47節にあり、「この出来事を見て」とある。だが、47節と48節では「見て」と訳されている原語が異なっている。48節で「見て」と訳されている同じ原語が、35節では「眺めた」と訳されている。「民衆は立って眺めていた」の「眺めていた」である。この民衆は、主イエスを侮辱する側にいた。ごま塩的にそうでない人も混じっていただろう。しかしながら、相対的には主イエスに対して余り良い思いはない人たちで構成されている。彼らは心配して見守るために集まったというよりも、見物人として集まった。見物人とは眺め見る存在である。日本語で言う野次馬に当てはまるだろう。普通ならば興味本位で面白がるために見物する。最初はそうだったかもしれないが、いつしか敗北感に浸ったようである。「悲しみのあまり胸をたたきながら帰って行った」(48節後半)。古文書に群衆に関して、次のような文章が残されている。「群衆は、家路に着き始め、未だ動揺が見られたことは確かですが、表情は陰鬱で、みな口を閉ざし、何とも悲痛な様子でありました。彼らは自分の見たものによって、恐怖と自責の念にかられたのであります」。ローマのコロッセオ(円形闘技場)で殺される人を見て、やんやと観衆が沸き立つような光景はそこにはなかったことだけは確かである。彼らは「悲しみのあまり胸をたたきながら帰って行った」のである。
最後は主イエスの親派の者たちである(49節)。「イエスの知人たちや、ガリラヤからイエスについて来ていた女たち」とある。まず「イエスの知人たち」とあるが、原語は「イエスを知っている人たち」であるので、主イエスの弟子たちを含めて良いだろう。十二使徒以外に七十人の弟子たちもいたわけで、そうした弟子たちの誰かしらもいただろう。弟子たちの多くがガリラヤ人であったので、「ガリラヤからイエスについて来ていた女たち」と続くことからわかるように、この第三のメンバーの多くはガリラヤ人であったことが伺える。彼らは48節の群衆のように、「帰って行った」とは言われていない。「離れたところに立ち、これらのことを見ていた」(49節後半)とある。イエスさまはこれからどうなるんだろうと、心配して見守っていたのだろう。彼らはやがて復活の主を目撃することになっただろう。第一コリント15章5,6節では、「また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました」とある。主イエスの十字架の一連の出来事を見守っていた人たちは、やがて復活の主と出会い、十字架と復活の証人として立ち上がることになったと言って良いだろう。
今日は、主イエスの死の場面をご一緒に見た。主はユダヤ人たちの陰謀によって十字架にかけられたが、神はこの悪の計らいを私たちの救いに変える計画をお持ちであった。主イエスは御父のご計画を意識して、ご自身を十字架の祭壇に献げてくださった。今日の死の場面で一番心に留まるのは、ルカだけが記す十字架上の最後のことばである。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」。世を去るにあたっての最後のことばである。感動的なおことばである。完全な明け渡しのことばであり、全き信頼のおことばである。主イエスに課せられた、人類の罪を贖うというミッションは主イエス以外には成し遂げられないものであり、それは難しく、困難で、それを実行に移すのは並大抵のことではなかった。十字架にかかる日が近づくにつれ、霊の戦いは大きくなっただろう。だが十字架から逃げることはされなかった。それは肉体も精神も限界値を超えるところまで試される厳しいミッションだった。だが主イエスは御父への従順を貫き通した。十字架刑は即死させないで苦しみを長引かせる処刑法であったが、十字架につけられて約6時間後に息を引き取るというのは、人類の罪を負うということがいかに過酷であったかを物語っている。それは想像を絶する過酷さである。だが主イエスはそのミッションをやり遂げ、「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」という全き信頼のことばをもって世を去った。なんという美しい生涯だろう。私たちの罪は醜い。罪人の人生は必ず闇があり影がある。だが、主イエスの生涯は美しかった。息を引き取られる最後の最後まで美しかった。十字架そのものは罪と恥のシンボル、呪いのシンボルでしかなかったが、それを美しく変えてしまったのも、そこにキリストがついてくださったからである。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」。キリストの臨終の叫びも、まことに美しかった。