主イエスは総督ピラトの裁判によって十字架刑が確定した。十字架刑はローマ人にとってはこれ以上ない恥を味わう処刑法であるとともに、口にしたくもない残忍な処刑法であった。そしてユダヤ人にとっては神に呪われることを意味していた。律法に「木にかけられた者はのろわれた者だからである」(申命記21章23節)とある通りである。十字架刑はユダヤ人にとっても異邦人にとっても最悪なものであった。
囚人は、自分がつくことになる十字架をかついで刑場まで運ばなければならない。ローマ兵の監視のもと運んで行く。「彼らはイエスを引いて行く途中」の「彼ら」とは、具体的にはローマの兵士なのだが、前回お話したように、この「彼ら」は、文脈上、主イエスを訴えたユダヤ人たちのことが意識されていて、ユダヤ人たちが主謀者であることを伝えている。
十字架につく囚人がかつぐことになる十字架は、十字架の横木であったと言われている。それでも30キロ程度の重さがあった可能性がある。主イエスは刑場までこれをかついでいかなければならなかった。いい見せしめである。だが主イエスはこれをかつぎきれなくなった。主イエスは寝ずの過酷な裁判で体力的に消耗してしまっていた。むち打ちなどの出血もその原因だったと思われる。主イエスはオリーブ山(ゲッセマネの園)で、汗が血のしずくのように流れる祈りの戦いをされた後、一晩寝させられることなく、あっちの審問、こっちの審問と、計五回引きずり回された。サンヘドリンではむち打ちにあった(22章63~65節)。そしてルカの福音書には記されていないが、死刑確定後、兵士たちによるむち打ちがあった(マルコ15章16~20節)。このむち打ちは場合によっては死んでしまう者もいたと言われるほどの厳しい刑であった。だから、十字架を負う力が残っていなかったのは当然である。
26節を見ると、「途中」とあるように、沿道にいた一人の男が捕まえられ、十字架をむりやり背負わされた。こうしたことは勤労動員として法的に従わざるをえなかった。選ばれた男は「シモンというクレネ人」と言われている。この人は異邦人とも言われるが、おそらくはユダヤ人であったと思われる。ローマ人でないことは確かである。というのはローマ人に十字架を背負わせることはなかったからである。つまり、ローマ人には恥を負わせないということである。「クレネ」というのは北アフリカに位置し、地中海に面していて、現代のリビアに位置する。もっと具体的にはリビアのトリポリ付近である。この地は紀元前二世紀の初めからユダヤ人の植民地となっていた。聖書にはクレネ人の記述がいくつかある。使徒の働き6章9節に、ステパノと議論をしたメンバーに「クレネ人」とあるが、クレネのユダヤ人のことである。使徒の働きには異邦人宣教のセンターとなるアンティオキア教会(アンテオケ教会)が誕生した逸話が載っているが、キプロス人とクレネ人の宣教によったことが記されている(11章20節)。またアンティオケ教会のリーダーに「クレネ人ルキオ」の名前が記されている(13章1節)。クレネ人の間で信仰のリバイバルが起こったのだろうか。
では、主イエスの十字架を背負ったこのクレネ人はどういう人であったのだろうか。クレネ人と言われているだけで、クレネ地方から旅してきたかどうかはわからない。26節には「田舎から出て来た」というあいまいな表現になっているだけである。クレネ出身でどこかに移住していたユダヤ人というのがいい線かもしれない。都の外に住んでいて、過越しの祭りということで、巡礼で居合わせたことは確かであろう。時は午前9時前である。彼は名前まで明らかにされていることから、初代教会で名を知られる信者になったことは十分に考えられる。参考箇所を二つ開こう。「兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロスとルフォスとの父で、田舎から来ていた」(マルコ15章21節)。なんとご丁寧に、子どもの名前まで書いてある。アレクサンドロスとルフォスも初代教会に知られていた聖徒であったと受け取るのが自然ではないだろうか。そうであるなら、息子たちの信仰に影響を与えたのは、当然ながら、父親の十字架体験ということになる。そしてもう一箇所だけ開く。「主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく」(ローマ16章13節)。パウロがローマ教会のメンバーにあいさつ文を書いている箇所だが、シモンの息子のルフォスと同名の人物の名前が記されている。単に名前が同じで別人かもしれないが、参考まで。
十字架は囚人の後ろから運ぶことが決まりである。「この人に十字架を負わせてイエスの後から運ばせた」。十字架を負って主イエスの後から運ぶ。実は、このことを主イエスはすでに二度話しておられる。一度目は9章23節である。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」。実は、ここでも「イエスの後から」の「後」(あと)(うしろ)ということばが使われていて、それを汲んで訳すと、「だれでもわたしの後から来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」となる。二度目は14章27節。「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません」。ここも「後」(あと)(うしろ)ということばが使われていて、それを汲んで訳すと、「自分の十字架を負ってわたしの後から来ない者はわたしの弟子になることはできません」。主イエスは「わたしの後ろからついて来なさい」と言っている。条件は自分の十字架を負って。シモンは自分の十字架ではなくイエスの十字架を負った。でも考えて見れば、主イエスの十字架は私たちの罪人の身代わりなので、シモンはもともと自分が負うべき十字架を負ったとも言える。主イエスは、自分の十字架を自発的に追って後からついてくることを願っているが、シモンの場合、十字架を負う気はなかったけれども、兵士に声をかけられ、むりやり背負わされて、イエスの後からついていったという違いがある。だが、シモンが十字架を背負って主イエスの後からついて行く姿は、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」、また、「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません」という教えの、目に見える教材となっていることを知る。
シモンは後に信者になったとすると、あとで聞いたであろうこれらの教えが、実体験から心に沁みてきたはずである。十字架刑は公開処刑で、自分がつく十字架を背負って、公衆の面前を歩くところから始まるので、彼は以前、こうした光景を見たことがあるかもしれないが、自分が十字架を背負って処刑ロードを歩くのは初体験であったはずである。しかも処刑される主イエスの後に続くという体験は人生初のことであった。彼は誰よりも、主イエスの先の教えを理解できる恵みに与った。
また、彼にはある主の感動が沸き起こってきたはずである。最初はとばっちりを食ったと、ブツブツつぶやきながら、十字架を背負ったかもしれない。どうして自分が囚人の手助けをしなければならないんだと。こんなのは重労働という以前に、大きな恥だ、全く損な役回りだと。けれどもそうした思いは、その日にか、別の日にかはわからないが消えてしまい、自分は運の悪い男だと思っていたのが、自分は選ばれて十字架を負う特権に与ったのだと悟ることになったはずである。また彼は刑場のゴルゴダの丘に到着した時、これで用は済んだと立ち去ったのではなく、主イエスが十字架に磔にされる様子を目撃し、その場にいた百人隊長さながら、感動に心が震えたかもしれない。
最後に、私たちは、先の二つの教え、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」、また、「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません」を、改めて受け止めたいと思う。私たちは沿道で傍観者になることは許されていない。マラソンの国際大会や箱根駅伝等のマラソン大会の光景を思い浮かべていただければ、沿道にたくさんの人が詰め寄せて観戦している。また、時おり、ランナーと並走して小道を走っている人たちがいる。だがあくまで彼らは外野である。私たちは外野から主が十字架の道を歩んでおられるのを眺めていることは許されていない。沿道から一歩踏み出して行動に移すことが求められている。実際の十字架への道行きにおいては、主イエスの姿を見に来た人々は皆きれいに沿道に並んでいたわけではない。入り乱れて同行する人々の姿もあった。好奇心や同情心で後からついていく人々もかなりいた。それは次回見ることになるが、主イエスの弟子となりたいのなら、そうしたおっかけでいいんだということでもない。お伝えしたいことは、主イエスの弟子となりたいなら、今いるところから一歩踏み出し、十字架をかつぐ覚悟を持つことである。十字架の道を歩むことである。日々、その継続である。
十字架は恥のシンボルである。私たちは主の十字架を恥とするのだろうか。十字架につけられるキリストを恥とするのだろうか。いや誇りとするのだろう。それならば、沿道から出て行って十字架を負うのである。使徒パウロも、「私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません」(ガラテヤ6章14節)と言っている。また主イエスは先に、「だれでも、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子もまた、自分と父と聖なる御使いの栄光を帯びてやって来るとき、その人を恥じます」(9章26節)で警告しておられる。
十字架は恥のシンボルであるとともに死のシンボルである。十字架を背負った姿は、世に対して死に、自分に対して死んだ姿である。パウロはガラテヤ人の手紙において、「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです」(5章24節)とか、「この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました」(6章14節)とも言っている。世に対して死に、自分に対して死ぬことが怖くて沿道を彷徨ってしまうのが私たちである。自分の欲望のままに生きることを願い、世と世の欲を愛して生きたいと願う人々は十字架の道を選び取ることは愚かでしかないが、キリストについていきたいと願うなら、十字架の道以外に選択の余地はない。だが忘れてならないのは、自分の十字架を負ってキリストについていく道は、逆説的だが、いのちの道であるということである。キリストは、「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです」と言われた。それは狭い道かもしれないが、多くの人が選び取る滅びに至る道ではない。
何よりも私たちは、主を愛しているのか、主に従っていきたいのかと日々問われる。この罪の世界にあって主を愛するということは、必然的に、「自分の十字架を負って主に従っていくこと」となる。主イエスの「自分の十字架を負ってわたしに従って来なさい」という教えは、文字通り、木の十字架を負って歩くことではない。そうであったら、家事はできないし、車の運転はできないし、仕事ができない。信仰の姿勢としてそうするということである。自分の十字架を負ってキリストの後からついて行く時に、気づけば、心の底に真の平安が生まれ、キリストの臨在を喜び、ほんとうに生きているという実感を持つことになる。主イエスは、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、<日々>自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と、日々、自分の十字架を負うことを命じておられる。一日一日キリストとともに、キリストのためにという思いで、毎朝リセットして十字架の道を歩んでいこう。武士道の教えには、主君のために命を捨てる、また日々死ぬ覚悟で生きるというものがあるが、私たちは主のための弟子道を生きるのである。私たちはキリストという最高の主君に従って行くのである。そして、その道は、私たちが天に召されるまで続くのである。

