本日の記事は、主イエスが十字架刑を宣告される場面である。十字架裁判はすべての福音書に記されている。マタイの福音書が一番長く、ルカは短い。簡略的に記述しているという印象がある。しかしよく見ると、ルカにはルカの特徴があることがわかる。それは裁判官であるポンティオ・ピラトが主イエスの十字架刑をなんとか止めようとする努力の姿を、他の福音書よりも浮き彫りにしているということである。

今日の記事を三つの区分で見ていこう。第一の区分は13~16節。ピラトは、ヘロデのもとから帰ってきた主イエスについて、「ピラトは、祭司長たちと議員たち、そして民衆を呼び集め」とあるように、祭司長たちとサンヘドリンの議員たち、また民衆に対して、自分の見解を述べることになる。あなたがたが訴えている罪は見つからない、死罪には値しないと。そして自分の初見が正しいことを納得させるかのように、ヘロデを証人に引き出している。ヘロデも同様だったと(15節)。ピラトは主イエスを釈放したいのである。しかしながら、16節で「むちで懲らしめたうえで釈放する」という条件をつけている。このことを説明しておこう。無罪であると認めているのだから、むち打ちの刑は余計だろうと思ってしまう。ローマの刑法には、哲学者ミリセヌスの立案した法律があった。彼は告訴されて裁判を受けた者は有罪にならなくとも処罰されるべきであると説いた。その根拠は、人に疑われるような不適切な行動をしたことにある、ということである。世間を騒がせたことは良くないということで、有罪ではないけれども懲らしめるということである。「むちで懲らしめる」と訳されていることばは、ただ「懲らしめる」ということばで、協会共同訳は「懲らしめる」と訳している。新改訳では、懲らしめる実際の手段がむち打ちであったと解釈して、「むちで懲らしめる」と訳したようである。「懲らしめる」と訳されることばは、実は「教育する」とも訳せるが、むち打ちは教育的な意味もあり、騒ぎの種となるようなことはもうしないように、という意図が込められていた。このむち打ちを受ける対象だが、ふつうはローマの市民権を持つ者には容易にむち打ちなどしない。死刑の場合であってもである。だが、主イエスは人としては、ただの田舎者のガリラヤ人。むち打ちでも十字架刑でも、なんでもOKの身であった。主イエスに対するむち打ちの場合、むちで懲らしめる意図はもう一つあっただろう。それはサンヘドリン側とのぎりぎりのせめぎ合いで、彼らをむち打ちの刑で納得させようとしたということである。これでいいだろうと。これで勘弁してやれと。

第二の区分は18~22節。彼らはピラトの処置に納得しようとしない。「その男を殺せ」(18節)。彼らが臨むのはあくまでも処刑であった。ところで、あれっ、17節がないと気づいた方がおられるだろう。17節は欄外注にある。「異本に17節として『さて、祭りのときピラトは、彼らのために一人、釈放してやらなければならなかった』を加える者もある」。この欄外注の記述そのものは真実である。ヨハネ18章39節にはこうある。「過越の祭りでは、だれか一人をおまえたちのために釈放する慣わしがある。おまえたちは、ユダヤ人の王を釈放することを望むか」。この慣例は本当にあったものである。ピラトは、むち打ちで納得しない彼らに対して、今度は、この慣例を利用して主イエスを釈放しようとした。しかし、彼らが釈放を願ったのはバラバであった。「しかし彼らは一斉に叫んだ。『その男を殺せ。バラバを釈放しろ』」(18節)。バラバについては19節で説明がある。「バラバは、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢に入れられていた者であった」。マタイはバラバを「バラバ・イエスという名の知れた囚人」として紹介している(マタイ27章16節)。奇しくも「イエス」という名前が重なっている。そして、マタイやルカの記述から、彼は単なる強盗殺人犯のたぐいではなく、ある種の革命家のにおいがする。当時のユダヤ教の過激派には熱心党や熱心党の一派ともみられるシカリ派などがあった。シカリ派は使徒の働き21章38節では「四千人の暗殺者」と言われている。彼らはローマにとっては危険なグループであった。紀元66年に始まるユダヤ戦争を主導したのも熱心党やシカリ派であった。いずれにしろ、バラバはローマにとっては益なき存在であろう。だが、バラバを釈放せよ、という声は鳴りやまなかった。ピラトにとっては聞きたくない声である。釈放したい人物は主イエスである。

ピラトはあきらめず、抵抗を見せる。「ピラトはイエスを釈放しようと思って、再び彼らに呼びかけた」(20節)。イエスを釈放しよう望んで、その意志を彼らに示したということである。「釈放をしようと思って」は、「釈放しようと望んで」「釈放しようと意志して」というふうに訳せ、ピラトの意志がどこにあるのかを示している。ピラトはその意志をもって釈放することを呼びかけた。

だが彼らも負けてはいない。「しかし彼らは、『十字架だ。十字架につけろ』と叫び続けた」(21節)。最初の「十字架だ」という文体は、ピラトのことばを断ち切る文体となっている。「おまえ何言う。十字架だ。それ以外あるか」。続く「十字架につけろ」は、彼らの容赦のない要求を伝える文体となっている。

ピラトも負けていない。三度目のことばの応戦をする。「ピラトは彼らに三度目に言った。『この人がどんな悪いことをしたというのか。彼には死に値する罪が何も見つからなかった。だから私は、むちで懲らしめたうえで釈放する』」(22節)。ピラトによる主イエスの無罪宣告はこれで三回目である(4,14,22節)。彼は主イエスをあくまでも擁護しようとした。無罪を宣告し、むちで懲らしめたうえで釈放という妥協案を繰り返し提示した。ルカはピラトなりの努力をクローズアップしている。

ピラトは善人だったのだろうか。そうではない。ヘロデ・アンティパスの甥であるヘロデ・アグリッパ王がローマ皇帝に宛てた手紙が残っている。それによると、ピラトは「頑固な、残忍冷酷な人間であり、賄賂、冒瀆、強奪、虐待限りなく、人民の不平のもと、正当な裁判をせず、勝手気ままに刑を執行し、絶えず残忍な行為をし」とある。敵対心をもって書いたことを差し引いても、ピラトを高く評価することはできない。彼は高徳な人物ではなかった。そんな彼が主イエスの裁判では一定の抵抗を見せ、主イエスを擁護しようとした。なぜだろうか。彼は主イエスを前にした時、死罪に値する罪はないと思っただけではないだろう。それ以上に、主イエスに高潔さや威厳を帯びた単純さや、まさしく神の子という聖なる気品を感じたのではないだろうか。彼は主イエスを前にして畏怖の念にとらわれたに違いない。自分が罪深い者のように感じたのではないだろうか。自分が裁く権能を持つ立場にありながら、神的な香りに包まれている主イエスのお姿に接し、このお方を罪に定めてはならないという意志が与えられたのではないだろうか。だが彼は、自分の意志を貫き通すことはできなかった。

第三の区分が23~25節。ユダヤ人たちも負けてはいない。「けれども、彼らはイエスを十字架につけるように、しつこく大声で要求し続けた。そして、その声がいよいよ強くなっていった」(23節)。過越しの祭りで、エルサレムには群衆が押し寄せていた。その熱気をサンヘドリン側は利用しようとしていた。ナザレのイエスの死を求める群衆が、今、狂ったように「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫び、声のボリュームも激しさも増していき、ボルテージはマックスに達しようとしていた。群衆は狂乱し、今や、暴徒となって爆発しようとしていた。この群衆の構成員に民衆がいたことも忘れてはならない。13節で「そして民衆を呼び集め」とある。ここで「民衆」と訳されていることばは、「神の選びの民」を表すことばで、神殿に出入りしていた一般のユダヤ教徒たちである。主イエスのメッセージを神殿で聴いていただろう。原語で<ラオス>と言うが、<ラオス>は一般信徒を意味する英語、<レイマン>の語源となっていることばである。普段、神の名を口にしていた彼らだが、この時、主イエスを十字架につけるよう狂い叫ぶことになる。

ユダヤ人たちの負のエネルギーは主イエスだけに向けられていたわけではない。ピラト本人そのものもユダヤ人たちから嫌われていた。彼はエルサレムに赴任するにあたり、ローマ皇帝を描いた軍旗とともに都入りした時に、大きな反感を買った。また公共の建造物を建てるのに神殿の財貨の一部を使うことを求めたとき、厳しく咎められた。ただでさえ、ローマの支配は許せないという思いがあるところ、ピラトは彼らの気持ちを汲めず失敗を重ねてきた過去があった。何よりも、彼はローマという敵の象徴である。群衆の負のエネルギーはピラトにも向けられていた。

ピラトはこの頃の様子について、ローマ皇帝宛ての文書と言われるものにこう記している。「私は、シリア総督府に対し、歩兵100人と、できるかぎり騎兵隊を派遣してくれるように要請しましたが、この申し出は断られました。反乱する町中にあって、私には、一握りの将軍たちしか残されていません。暴徒を鎮圧するにはあまりに弱く、傍観するよりほかありませんでした。彼らはイエスをすでに捕らえており、狂った群衆は『十字架につけよ!十字架につけよ!』と怒号を上げておりました。・・・イエスは、大祭司の前に引き出され、死刑に定められました。それから、大祭司カヤパは、自分の判決を確定し処刑を確実なものとするために、私のところに連れてまいりました」。それから後のことは、福音書が記すとおりである。ピラトは数の力に圧倒されたこともわかる。わさわさと揺れていたユダヤ人たちは、むち打ちの懲らしめで満足するにはほど遠い状況にあった。ピラトがそれらの処置を口にするだけで、彼らの熱狂はいっそう煽られることになった。まさしく火に油を注ぐという状況である。鎮火できる状況にはない。ピラトには主イエスを釈放する権限はあったが、暴動が起きて市中が大混乱に陥るならば、ピラトは命拾いしても、行政手腕がない判断され、ローマ皇帝の命で首が飛ぶ可能性もあった。暴動を治めるには無力と感じた彼は、彼らの圧力に屈し、彼らの要求を呑んだ。すなわち、バラバを釈放し、主イエスを十字架刑に処するということである。

ピラトは暴動を恐れず、裁判官としての正義を曲げなければ良かったのである。主イエスはオリーブ山で捕らえられた時、「暗闇の力」に言及したが(22章53節)。彼もまた暗闇の力に屈した。裁判官ピラトの周囲は地獄の使者たちが、魑魅魍魎が跋扈するような戦慄きわまる状況になっており、彼はそれに飲まれてしまった。蛇に睨まれるカエルのようになってしまい、そして呑み込まれた。ペテロは大祭司の屋敷で主イエスを三度知らないと否定したが、ピラトは裁判の席で主イエスの無罪を三度主張するも、最後は死刑判決を言い渡すという最悪の結果を迎える。ペテロは後に信仰が回復する。ピラトはもともと信者ではないが、この後どうなったのだろうか。裁判にかけられ自殺した、流刑になって自殺した、処刑された等、様々な説がある。処刑前にキリストに立ち返ったという文書も残されているが、事実はどうであったかは別として、そうであってほしい。彼はいずれローマ側の裁判にかけられ、自分に不利な判決を下されるわけだが、どうせそうなるなら、彼はこの時、気力を振り絞って無罪判決を下してほしかった。

私はこれまで、自分をペテロと重ね合わせて考えることはあったが、ピラトと重ね合わせて考えることは余りなかったと思う。特に、信者に成り立ての頃は、ピラトは悪いやつ、また保身に走った意志薄弱なずるいやつ、程度にしか考えていなかった。だが、十万人以上、いや数十万に達したかもしれないと言われる都で暴動が起きようとしている現状で、怒号に包まれる体験はかつて経験はなく、相当の恐怖であったはずである。群衆の迫力ある怒号で身も心も押しつぶされるような恐怖を味わったはずである。彼はその怒号をはねかえす気力を失ってしまった。彼の判決はよしとできない。だが、彼の心の軌道を追ってみる価値は私たちにある。

最後に25節の後半に注目してほしい。「他方、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた」。この最後の文章がルカの福音書の特徴である。ここで「彼ら」とは、24節の「それでピラトは、彼らの要求どおりにすることに決めた」の「彼ら」であり、13節の「祭司長たちと議員たち、そして民衆」のことである。すなわち「彼ら」とは、主イエスを訴えたユダヤ人たちである。主イエスはユダヤ人たちに一旦引き渡され、処刑前になぶりものにされたのだろうか。だが、マタイやマルコの福音書を見ると、十字架刑宣告後、主イエスはローマ側によってむち打たれ、その後、総督官邸でローマ兵によってからかわれ暴行を受けて、十字架につけるために連れ出された様が描かれている。ユダヤ人たちの動きは一切記されていない。はっきりしていることは、ルカは、ユダヤ人たち側に焦点を当てた書き方をしているということである。注意を払いたいのは、ルカは意図的に、主イエスを十字架につけた責任がユダヤ人たち側にあることを印象づけているということである。次回の26節もご覧ください。ここでも「彼らは」とある。「彼らはイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというクレネ人を捕まえ、この人に十字架を負わせてイエスの後から運ばせた」。犯罪人の代わりに一般人に十字架を運ばせるのはローマ兵士の役目である。マタイとマルコの福音書では、「兵士」がそうしたと言っている。だが、なぜかルカの福音書では「彼らは」である。文脈上はユダヤ人たちのことである。さらに見ていくと、33節では「そこで彼らはイエスを十字架につけた」とあるが、十字架につけるのも当然、ローマ兵士の役目である。だが、ルカの福音書では、ずっと「彼らは」と、ユダヤ人を引きずっている書き方をしている。つまりルカは、キリストの十字架刑の主謀者はユダヤ人たちであることをはっきりとさせたいのだと思う。主イエスを殺す主犯としてユダヤ人たちを前面に出したいのであると思う。もちろん、裁判官として正義の裁判をしなかったピラトには大きな責務がある。しかし、ピラトに関しては釈放する努力をしたことを前面に出し、ピラト以上に責任が重いのはユダヤ人たちという書き方をしている。主イエスの十字架刑の主謀者はユダヤ人たちである。だが、「そうですか」と終わるわけにもいかない。十字架刑の真意を聖書を通して知っている私たちは、責任は当時のかたくななユダヤ人たち、そして裁判権をもっていたピラトにある、で収めてしまうことはできないことを知っている。主イエスはこの裁判の席で、そして十字架上において、全人類の、全時代の、汚れ、憎しみ、怒りといった負のエネルギーを受け止め、贖いのみわざをなそうとされていた。私たちの負のエネルギー、また罪責を、十字架裁判と無関係なものとしてはならない。

主イエスはこの裁判の間も全く沈黙している。怒号が飛び交う中、一人静かにして、人々の声を聞き、負のエネルギーの渦の中にご自分を置いておられる。「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」(イザヤ53章7節)とある通りである。主イエスの苦しみはこれからが本番を迎えることになる。主イエスは私たち罪人のために、何という苦しみを耐え忍ぼうとされていたのだろうか。