今日のたとえ話は、「たとえの冠」と呼ばれるほど有名なたとえ話で、15章の三つのたとえ話の最後を飾るものである。最初は「失われた羊のたとえ」(3~7節)、次は「失われた銀貨のたとえ」(8~10節)、そして15章11~32節が「失われた息子のたとえ」である。失われてしまったものを見出し喜ぶという共通点がある。今日のたとえ話は「放蕩息子のたとえ」としても知られているが、しかし、焦点が当てられているのは、愛に富む父親のほうである。それは、失われた人を捜して救おうとする神さまを意味している。このたとえを通して、神さまの愛を発見することができる。今回と次回でたとえ話の前半を味わおう。
たとえの物語は、二千年前のユダヤの文化を背景としている。父親が財産を二人の息子に分けてやるところから始まる(11,12節)。当時、財産の分配は決まっていて、3分の2が長男へ、3分の1が次男へ。ただし、財産の分配は父親が死んだ時と決まっていた。「おまえの寿命が尽きる日、息を引き取る時に財産を譲り渡せ」(シラ書33章24節)。ところが、次男は、父親の生前に、「お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい」と要求した。この要求はとんでもない要求である。まだ健在である父親に向かって財産の譲渡を求めるというのは、非礼極まりない行為である。古代のユダヤ社会にあっては、実質、赦されざる罪とみなされたような行為であった。父親が死ぬことを望むにも等しい行為。それはまた父親の世話の放棄でもある。親を親と思っていない行為。この要求をした時点で親不孝ということがわかる。しかし、父親はこの要求を呑む。父親は、次男だけにというのは不公平ということなのか、長男のほうにも分け前を与える。遺産を生前に与えてしまうということ。この父親は父親の権利を捨て、身を削るような決断をしたということになる。
「それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った」(13節前半)。「すべてのものをまとめる」の「まとめる」ということばは、「換金する」「お金に換える」という意味のことばが使用されている。だから「すべてのものをまとめる」というのは、「全部をお金に換えて」と訳すことができる。実は土地も財産なのだが、土地は父親が売却を認めたとしても、父親が死なない限り、買い手はその権利を主張できなかった。だから土地をお金に換えることはほぼ無理なので、この弟の場合は、換金できる純粋な財産だけをもらったのかもしれない。また最初からお金そのものを財産としてもらった可能性もある。いずれ彼は大金を手にしたのである。
そして彼は「遠い国に旅立った」。ユダヤでは通常この表現は、海の向こうの遠く離れた地を意味する。だがこの場合、地理上の遠さだけを意味していない。父親との心理的距離が遠く離れていることを意味する。父親は疎む存在でしかなかった。その結果として、「遠い国に旅立った」ということである。もう父親の顔は見なくていい、もう父親と会わずに済む、葬式にも出ないで済む。今の彼は、解放感に満ちている。父親のことは心にない。遠く離れた地では、彼は無名の存在。何のしがらみもない。自分を知っている者は誰もいない。手には大金を握っている。俺の天下だ!それで彼は浪費して放埓な楽しみに走った。
「そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった」(13節後半)。彼は浮かれ騒いだのだろう。それまでの鬱屈していた状態の反動で、お金もエネルギーも遊興に注いだ。そして歯止めが利かなくなってしまった。気づいたころには財産を使い果たしていた。父親は財産家であったので、3分の1と言えども、彼が使い果たした財産は相当な額になるはずである。
この後、大飢饉に見舞われる。「何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた」(14節)。下り坂まっしぐらの時に、これ以上ないという悪いタイミングで大飢饉が訪れる。人しての最低限の生活も難しくなってしまう。このままでは死ぬしかない。
そこで彼は恥も外聞も捨てて、豚を飼育している異邦人のところへ身を寄せたようである(15節)。そこでの彼の身分というものは年季奉公。奴隷よりはましだが、一定の期間の契約でしかない。しかしながら、待遇は奴隷と同じようなものである(16節)。豚のえさである「いなご豆」すら分けてもらえなかった。もう人格を認めてもらえないような扱い。豚以下の扱いである。お前にいなご豆を与えるくらいなら豚に与えたほうがましだということ。かつては財産家のおぼっちゃま。異国の地に来たばかりの頃は、大金があるので皆にちやほやされたかもしれないが、けれども今はくず扱いで、誰にも相手をしてもらえない。「誰も与えてはくれなかった」とある。彼は今、全くの孤独に陥っている。それだけではなく、人間として最低のところまで卑しめられている。豚以下でみじめさのきわみである。さらには、乞食のような様で、死を待つよりほかはない身である。つまりは、どん底の底まで落ちてしまったということである。大金を手にし、気持ちも大きくなって俺様様になっていた彼だが、今は虫けら同然。
こういった人生の陥落の時、人はどうなるだろうか。自分で自分の命を断つという選択をする方もいる。自暴自棄で犯罪に走る人もいる。だが、この放蕩息子はそうならなかった。人は社会的地位からの失脚や、仕事を失う、裏切られる、病にかかる、貧苦を経験する、そうした人生の陥落の時に、様々な気づきが与えられる。肩書は自分の価値を確かにしてくれはしないし、人の評価も風見鶏にように当てにならないし、お金もあてになるようでならないし、自分はよどみに浮かぶうたかたのようでしかないことに気づかせられる。自分の愚かさ、醜さ、弱さ、つまらなさに気づくことになる。また、人間存在の本質ということも考えるようになる。自分という存在は誰で、どこから来て、どこへ行くのか?人間とは何か?本当の幸福とは何か?
彼は苦渋を味わう中で、転機が訪れる。それは外部から来たものではなく、彼の内面で起こった変化である。「しかし彼は我に返って言った」(17節前半)。「我に返った」とは「分別を取り戻した」ということである。「俺はいったい何をやってきたんだろう。全く愚かなことをしてきた」。彼はまた、それまで背を向けていた父親の存在にも心の目が開かれる。こうしたことが「我に返った」ということに含まれる。これは悔い改めの出発ということである。聖書において、悔い改めということばには、「方向転換する」という意味がある。我に返ったこの時が、方向転換の転機である。彼は自分のこれまでの失敗を悲しむ程度で終わらない。ぐるっと向き直って、父親のもとに帰る決断をする。それまで親を親とも思わず、親に背を向けて、親のことを忘れて自己中心に生きて来た彼。父親から遠く離れ、自分を誇大視して生きてきた彼。だが、彼は我に返って、悔い改めを表明する。そのことばを見ていこう。
「父のところには、パンのあり余っている雇人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている」(17節後半)。「飢え死にしようとしている」とあるが、彼は人間としては死んでいたと言って良い。24節で父親に「死んでいた」と言われている。この息子は、生ける屍の自分を自覚し、同時に父親の恵み豊かさを想っていた。当時にあって、「パンのあり余っている雇い人」などほぼいなかった。彼はここに来て、父親の恵み豊かさに気づいた。
「立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。『お父さん、私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』(18,19節)。彼は、まだ父親のもとに帰っていないが、父親に会ったらどう言おうかと事前練習をしている。「天に対して罪を犯し」はユダヤ流の表現で、神に対して罪を犯したことを意味する。また「あなたの前に」と、父親に詫びなければならないことを自覚し、告白している。これは罪の告白である。そして彼の願いは、息子と呼ばれる資格もないから、雇い人の一人にしてもらおうということである。雇い人とは奴隷である。彼はそれでもいいと思った。彼のかつての傲慢さは完全に打ち砕かれていた。一応、神の存在を信じていても、神を自分の召使いのようにこき使おうとし、自分の思い通りに動いてくれないとぶつぶつ言う人は、この姿勢に見倣ったほうがいい。
こうして彼は悔い改めの一歩を踏み出す。「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに向かった」(20節)。13節で「遠い国に旅立った」と言われている息子。おそらくは、パレスチナの外の外国の地まで行ったであろう彼。そこから、方向転換をする。そんな遠い地から、いなご豆さえ与えられない身で、どうやって食いつないで帰って来れたのかわからないが、必死になって帰ってきただろう。ボロボロの姿で、痩せこけた姿で、ふらつきながら。死に物狂いになって帰って来た。
この後、父親の愛の本番である。「ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした」(20節後半)。先の二つのたとえ話では、捜す姿がある。羊飼いが失われた羊を見つけるまで捜す。女が失った銀貨を見つけるまで捜す。その捜す姿というか捜す愛が、ここにも表されている。「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ」がそれである。父親は息子を捜すようにして、毎日のように外に出て、遠くを眺め、息子を見つけようとした。それほどまでに息子の帰りを待ちわびていたのである。息子が父親のことを忘れ放蕩に走っている時も、息子のことを片時も忘れることはなかった。飢饉のうわさを聞いたら、よけい心配しただろう。今日は帰って来るか、今日は帰って来るかと、毎日首を長くして、息子の帰りを待っていただろう。息子の方はこの父親の愛を知らずして遠い国で暮らしていたわけであるが、息子の心は父親から遠く離れていても、父親の心は息子に対して、いつも近くにあった。
みじめな姿の息子を見つけた時の反応は、「かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした」。「かわいそうに思い」と、怒る気持ちもやり込める気持ちもない。「かわいそうに思い」と訳されていることばは、あわれみを意味することばの中で一番強いことばが使われており、ある訳は「腸(はらわた)のちぎれる想いに駆られ」と訳している。あわれみの情の絶頂である。それは次の「駆け寄る」という動作にも表されている。以前の新改訳第三版では「走り寄って」と訳されていた。実は、当時、ユダヤにおいて高貴な人物は走らなかったと言われる。また、ある学者は、当時、走り寄って迎える習慣はなかったと言っている。この父親は名のある人物のようであるから、ゆるやかな、すそまである衣を身にまとっていたはずである。走るためには、すそをまくって、足を出して走ったはずである。当時の文化では、これは恥とされた。けれども、この父親は文化がどうだろうが、恥だろうが、そんなことはどうでもよくなっていた。そして息子の首を抱き口づけした。これはきつく抱いて口づけする描写である。良く帰ってきたと。父親は、息子が謝罪のことばを発する前に、すでに赦していたことは明らかである。息子がしっかり謝罪のことばを述べ、しばらくの保護観察期間を経て、本当に反省していることが態度ではっきりわかったら赦してやる、となってもおかしくないところだが、この時点で完全に赦している。
息子はここで、事前に練習していた、父親のもとに帰った時に言おうと思っていたことを語り出す(21節)。しかし、よく見ると、事前に練習していたことばをすべて言い切っていない。「雇い人の一人にしてください」を言い出さないうちに、父親は悔い改めの意志をもって帰って来た息子のために、法外な恵みの行為に出ようとする。それは、雇い人すなわち、奴隷に対するものではなく、また単に息子に対するものでもなく、王子に対するような行為である。異邦人の地で受けた扱いとは雲泥の差である(22,23節)。まず父親は「一番良い着物」を着させる。これは高い地位を与える行為。次に「手に指輪」をはめさせる。これは権威を与えることを意味する。そして「足に履き物」をはかせる。これは名誉を与えることを意味する。当時、履き物をはかせるという場合、奴隷が自由人になることを意味した。またこの人を自分の主人と認める場合もそうした。こうして彼は王子のようにして迎え入れられた。彼としては奴隷として戻って来た。雇い人の一人にしてもらおうと。だが、皇室のご子息のようにして迎え入れられた。
続いてパーティである(23,24節)。しかも「肥えた子牛」のごちそうを皆で食べるパーティである。肥えた子牛をほふるのは、通常、祭りとかの特別の行事にしかしなかった。父親は自分の財産を食いつぶした息子のために、祭りの時でもないのに、法外な出費をしてパーティを開いたことになる。父親にはもったいないとか打算的な考えはない。父親は、「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」と言ってパーティを始めた。パーティは家族の者たちだけではなく、友だちや近所の人たちも招くのが常であった。こうして見つけた喜びを分かち合うのである。この姿は、先の「失われた羊のたとえ」「失われた銀貨のたとえ」でも同じである。
放蕩の息子の父親は天の神を表しているわけだが、神は私たち人間一人ひとりにどれだけの価値を置き、愛してくださっているのかを、このたとえを通して思い巡らすことができる。このたとえは、2節の「すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、『この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている』と文句を言った」に発している。ユダヤ社会で「罪人たち」と蔑視されていた人たちを主イエスが受け入れているのを見て、パリサイ人たちは文句を言った。「罪人たち」は放蕩息子たちだろう。多くの方々は、自分は放蕩息子とは違う、この物語は自分には当てはまらないと考えるかもしれない。人々は、放蕩息子は遠い異国の地で、どんな悪いことをしたのだろうと想像する。酒と女に溺れて、ギャンブルに手を出し、といろいろ想像する。けれども、彼の一番の問題はそこにはない。一番の問題は愛に富む父親との関係がだめになっていたということである。父親を父親とも思わない態度に出で、父親の財産を食いつぶして生きて来た。彼に与えられた財産というものは、彼の努力で勝ち取ったものではない。それは与えられたものでしかなかった。それはいわば全くの恵みであった。彼は父親に背を向け、恵みを恵みとせず生きてきたのである。不道徳なことをしてきたというのは、表面的な問題にすぎない。
私たち人間は自分の力で生きているようであって、実は天の神さまの恵みによって生かされているにすぎない。ところが神を神とせず、神を忘れ、神への感謝を忘れ、神に背き、神に対して傲慢になって生きている。神を認めず、信ぜず、愛さず、神の恵みを恵みとしないで生きている。このような意味において、私たち人間は誰しも我に返る必要がある。そして放蕩の息子のように神のもとへ帰る必要がある。そのチャンスを、神さまは人生の折々に与えて下さっている。神の心はいつも私たちの近くにあり、帰るのを待っていてくださる。
神はそのために、失われた人の捜索者として、神のもとに帰るための道として、尊きひとり子イエス・キリストを天から遣わしてくださった。それは、私たちが神に対して全く無関心な時に取られた神の行動であり、先行的な愛である。捜す愛であり、駆け寄る愛である。キリストはご存じのように、私たち罪人の罪を負い、十字架の低さにまで下られた。そしていのちの代価を支払われた。それは地上の財産とは比較にならないことは言うまでもない。それは、「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」ということを示すものだった。キリストは十字架について、神の愛を信ぜよ、神のもとへ帰れ、わたしがその道だ、というメッセージを生み出した。
使徒ヨハネは告げた。「しかし、この方(キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」(ヨハネ1章12節)。放蕩息子は、父親に対して言った。「もう、息子と呼ばれる資格はありません」(21節)。ほんとうにその通りであった。私たちも神の子どもと呼ばれる資格はない。だが、早くわたしのところへと先行的な愛をもって立ち返るのを待っていてくださる。そして私たちが悔い改めとキリストに対する信仰をもって神に立ち返る時、神の子どもとして、歓迎して受け入れていただけるのである。その身分は、立ち返った放蕩息子のそれ以上である。そしてそれは永遠に続く。天の父なる神の愛は偉大なのである。今の目の前の困難や悩ましめる問題ばかりに気を取られてしまう私たちだが、私たちは自らを、この放蕩息子、失われた息子に重ね合わせ、「神は愛なり」という確信にしっかり立ちたいと思う。神の愛は人知を超えて偉大なのである。