今日の記事はクリスマスに続く場面である。今日の記事を取り上げた理由は、今日がクリスマスの翌日ということもあるが、以前、マタイの福音書講解メッセージをした際に、なぜか2章13~18節の「ヨセフ親子のエジプト逃避」だけ取り扱わなかったということを、最近気づいたからである。今朝は、ヨセフ親子のエジプト逃避とナザレ逃避という、二度に渡る逃げる記事をご一緒に見たいと思う。

14節で「エジプトに立ちのき」(新改訳2017「エジプトに逃れ」)、22節で「ガリラヤ地方に立ちのいた」(新改訳2017「ガリラヤ地方に退いた」)とあるが、原語の動詞は14節も22節も全く同じで、「去っていく、立ちのく、退く、逃げる」という意味のことばである。ヨセフ親子は、神さまの導きでこうした行動に出た。神さまはヨセフ親子を危険から逃れさせた。

2章は異邦人の東方の博士たちが宝物を携えて、お生まれになったキリストを礼拝しにやってきたという記事で始まっている。非常に有名な感動的な内容なのだが、不協和音も入り混じっている。ユダヤの王ヘロデの反応である。「『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』それを聞いて、ヘロデ王は恐れまどった。」(2,3節)とある。結果、ヘロデはキリストを殺すことを試みる。なぜなのだろうか。

以前も紹介したが、当時の歴史家は次のように記している。「多くの人々の間に、このような噂が立っている。古代の祭司たちの書に、ちょうど今頃、東が強大になり、ユダヤから出る者たちが世界を支配すると書かれていると」(歴史家タキトゥス)。「世界に君臨する者が今の時代にユダヤから現れるという、古来からの根強い意見が、東洋で広がりを見せている」(歴史家スエトニウス)。このようなメシア待望の高まりの中で、ユダヤ人は、ローマに反旗を翻し、剣で独立と自由を勝ち取り、ユダヤの王となるメシアの出現を待ち望んでいた。

この時は、紀元前4年頃の時代であるが、イスラエルはローマ帝国の支配下にあり、独立を失っていた。紀元前37年までの約100年間は、ユダヤ人はハスモン王朝という王朝を築いていた。ところが紀元前63年からユダヤはローマの属国となり、紀元前37年になると、ローマはハスモン王朝を廃止し、代わってエドム人のヘロデを属国ユダヤの王としてしまう。こういう独立を失った経緯があり、ユダヤ人はローマから独立を果たすヒーロー、すなわち、ユダヤ人の救い主となるユダヤ人の王を心から待ち望んでいた。

ヘロデ王は今述べたようにエドム人(イドマヤ人)であってユダヤ人ではない。彼はローマの支援を経て、ユダヤの王の地位に就くことができたにすぎない。彼はローマとの関係を良好にし、王としての地位を保ちたい。自分の地位を脅かすことになる存在は許しておけないわけである。「生まれてきた赤子がローマ人から領土を奪回し、ローマ帝国に代わり、ここで君主制を開始するやもしれない、そんなことがあってはならない」という思いがあっただろう。

16~18節に、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子の抹殺事件があるが、ここまでの残虐な行為に出てしまったのは、先に述べた政治的理由とともに、ヘロデの残忍な性格に問題がある。彼は嫉妬深く疑心暗鬼で残忍な性格で、時の皇帝からも「ヘロデの子であるよりは豚であるほうがよい」と言われてしまった。彼は10人の妻により15人の子どもをもうけたが、最愛の妻であった2番目の妻であるマリアンメを処刑し、彼女との間にもうけた二人の息子を処刑し、自分が亡くなる5日前は長男をも処刑してしまう。自分の地位を危うくする存在とみなせば、血を分けた家族であろうが容赦しない。高名なユダヤ教教師たちも殺してしまい、神を敬う思いなどない。

今日の記事は、御使いが夢でヨセフに現れ、エジプトに逃げるように警告する場面から始まる。ヘロデが幼子を捜し出して殺そうとしていると(13節)。ヨセフは、夜のうちにエジプト避難を始める。夜逃げである(14節)。行先のエジプトにはユダヤ人居住地というものがあった。エジプトと言えば、ピラミッド、スフィンクスで有名な国である。なぜエジプトにユダヤ人居住地があるのかと思うわけだが、歴史をたどると、紀元前6世記、イスラエル王国が滅亡する前後、エジプトに捕囚となって、あるいは逃亡してエジプトに住み着くことになったユダヤ人たちがいた。このユダヤ人社会が発展する。紀元前332年、アレクサンダー大王がパレスチナを制覇するという歴史的事件が起きる。その時、アレクサンダー大王のもとで将軍であったプトレマイオスとセレウコスがそれぞれ、王朝を開く。エジプトはプトレマイオス朝の支配下に入った。プトレマイオス朝はユダヤ人に干渉することを控え、ユダヤ人たちが神官と長老たちによる神政政治を行うことを認めた。こうしてエジプトにおけるユダヤ人社会は急速な発展を遂げ、特にアレクサンドリアという地はユダヤ社会の一大中心地となっていた。そして驚くべきことに、紀元前三世紀後半には、エジプトに住むユダヤ人は、パレスチナに住むユダヤ人よりも多かったと思われている。プトレマイオス朝はユダヤ人への干渉を控えたので、ユダヤ人は暮らしやすかった証でもある。それに対して、パレスチナを支配したセレウコス朝はユダヤ人に対する干渉が強かった。エジプトを支配していたプトレマイオス朝はローマに紀元前30年に滅ぼされ、この頃、エジプトはローマ帝国の属州となっていたが、ユダヤ人社会はそのまま存続していた。

ヨセフ親子がエジプトに避難していたのは、ヘロデが死ぬまでだった(15節)。ヘロデが死んだのは紀元前4年4月1日である。であるから、キリストが誕生したのは、紀元前4年4月1日以前となる。ヨセフ親子がエジプトに立ちのいていた期間は数カ月か一年以上かわからないが、いずれ長期間ではなかった。ヨセフ親子にしてみれば、旅をして家畜小屋での出産に続いて、夜の逃避行と、緊張を強いられる場面が続いた。エジプトでも、様々な助けを神さまは用意してくださっただろう。お世話してくれる人や住居を備えてくださっただろう。旅やエジプトでの滞在費用は、東方の博士たちのプレゼントであった、黄金、乳香、没薬が助けとなっただろう。

ヨセフ親子がイスラエルに戻るのは、また御使いの啓示によった。ヘロデが死んだので、イスラエルに戻りなさいと(19~21節)。当たり前ながら、ヨセフが家庭のリーダーである。ヨセフが中心に動く。21節で「幼子とその母を連れて」とあるが、この表現は14節に続いて二度目である。彼は「幼子とその母を連れて」家庭のリーダーの務めをしっかり果たす。とんでもない幼子を託されたと思ったかもしれないが、命がけで幼子を守るため、幼子中心の生活を送らなければならなかった。

ヨセフ親子は、イスラエルの地に入って、ほっと一安心とならなかった。残忍なヘロデ王は亡くなっていたが、別の暴君が控えていた。ヘロデの息子アケラオである(22節)。アケラオは父に代わって紀元前4年~紀元6年の間、ユダヤを治めた。といっても、父親のように王の称号は与えられず、領主(国主)に格下げであった。彼は父に劣らず残忍な性格だった。彼は過ぎ越しの祭りにユダヤ人の間で暴動が起きた時、ユダヤ人3千人を処刑してしまった。しかも処刑された多くの人は革命分子とは何ら関係のない、過ぎ越しの祭りのために都上りをした巡礼者たちであったという。この3千人処刑事件は有名である。3千人は十字架刑に処せられたと言われている。アケラオはほどなくしてユダヤ人とサマリヤ人に訴えられ、追放され、流刑の身となる。それが紀元6年で、その後、ユダヤはローマ直轄の地となり、ローマからユダヤ総督が派遣されることになる。キリストが公生涯を送られる時期は、ポンティオ・ピラトがローマから遣わされ、ユダヤ総督として在任し、ユダヤを治めることになる。ご存じのように、キリストはユダヤ総督ポンティオ・ピラトのもとで十字架刑となる。

22節から、ヨセフは最初、ユダヤに住もうとしたことがわかる。本籍のあるユダヤのベツレヘムに住もうとしたかもしれない。しかし暴君アケラオが治めていると聞いて、恐れた。そして「夢で戒めを受けたので」とあるが、訳としては、新改訳2017のように「夢で警告を受けたので」、あるいは共同訳のように、「夢でお告げがあったので」が良い。そして、「ガリラヤ地方に立ちのいた」。ガリラヤはイスラエルでは田舎の地方で、ヘロデ・アンティパスという別の領主が治めていた。彼はアケラオほどには残忍ではなかった。といっても、彼は自分の兄弟の妻ヘロディアを自分の妻としてしまったことをバプテスマのヨハネに責められ、バプテスマのヨハネを処刑するという悪行を働き、有名となってしまう。妻のヘロディアも悪女伝説で必ず取り上げられるような女性となってしまう。

ガリラヤは、メシア預言のイザヤ書9章では「異邦人の地ガリラヤ」(1節)と呼ばれている。ガリラヤは旧約時代、南王国ユダではなく北王国イスラエルに属していた。紀元前732年にガリラヤ地方はアッシリヤに征服されてしまい、民は捕囚となる。以後この地方に多くの外国人が移住することになった。その結果、人種は混じり合い、混合文化が生まれたという。ガリラヤの人たちは、ユダヤの人たちから見れば、不純で、卑しい、田舎者と見られてしまうところがあった。

ヨセフたちはガリラヤ地方の一つの町、「ナザレ」に住みつくこととなった(23節前半)。そこは元々ヨセフとマリヤが住んでいた地であった(ルカ1章26節 同2章4節)。「ナザレ」はエルサレムから約88キロ北にある盆地のような所にあり、幅2.5キロ程度の村。当時、人口は居ても500人ぐらいではなかったかと推定されている。軒数にして50~60軒ではなかったかと思われる。ナザレの人々は無骨で粗野な人々として知られていた。住民は主にアラブ系であったようである。

「ナザレ人」という表現は、この頃も、教養がなくて野蛮な人物を意味する嘲笑の用語であった。ガリラヤ地方自体、低く見られていたが、同じガリラヤ地方の人々の中でもナザレ人は低く見られていた。キリストは生涯、「ナザレ人イエス」と呼ばれることになる。さらに「ナザレ人」という語は、初期のクリスチャンたちを指す用語として使われることになる。使徒24章5節では、使徒パウロは大祭司によって、裁判の席で、「ナザレ人という一派の首領でございます」と言われている。クリスチャンたちは、当初、キリストにならって「ナザレ人」と呼ばれていたのである。クリスチャンではなくナザレ人である。もちろん、卑しめる意味でしかない。

ナザレは田舎のガリラヤ地方の中でも知名度が低く、ど田舎という印象だったので、安心して住む場所としては最適であったかもしれない。日本では、落人たちが敵の目の届かない所ということで、山奥の人里離れた地に集落を形成することをしてきたが、ナザレは人の関心が低い田舎であったため、そういう意味では安心できる場所であった。

今日の個所は旧約預言の成就ということが、15節、18節、23節の三箇所で言われているが、ナザレ人と預言との関係について触れておこう。「これは預言者たちを通して『この方はナザレ人と呼ばれる』と言われたことが成就するためであった」(23節後半)と言われているが、旧約のどこに、この預言が記されているのだろうか。実は、これが難問である。というのは、「この方はナザレ人と呼ばれる」という一文の預言は旧約聖書のどこにもないからである。これに近いかたちの文章もない。しかも「預言者たち」と複数形になっているので、複数の預言者が預言したと読みとれるのだが、複数どころか一つも見いだせない。しかし、どこか一つというときに、23節の欄外註の参照個所、イザヤ11章1節は見逃せないと言える。この個所はメシア預言の個所である。

「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」(イザヤ11章1節)。「若枝」はメシアのシンボルであることが知られていた(その他として~イザヤ4:2;53:2;エレミヤ23:5;33:15;ゼカリヤ3:8;6:12)。「若枝」のヘブル語の原語は<ネツェル>。この<ネツェル>が「ナザレ」の読みに関係しているという推測である。「ナザレ」のギリシャ語の原語は<ナザレス>なのだが、この村は、<ナザレット><ナザラー><ナザラット>と様々な発音で呼ばれていたことがわかっている。日本でもそうだが、地名は呼び方が微妙に変化することがある(事例)。お話したかったことは、若枝を意味する<ネツェル>が<ナザレット>などの地名の読みに関係している可能性があるということである。これを確実に裏付ける言語学的証拠があるわけではないが、マタイはヘブル語や預言に詳しいユダヤ人を意識して、この福音書を記したので、この説の可能性は否定できない。ヨセフはこの預言をわかってナザレに住んだというのではなく、知らぬ間に実現させていたということであろう。

今日のタイトルは「逃げる親子」ということであった。ヨセフは家族を守るために、特に幼子イエスを守るために、外国のエジプトに逃げ、本国に戻ってきた時は、田舎の田舎に逃げた。人の暮らしを思うと、転勤で各地を転々と移動する人もいれば、家族を思って転勤を止める人もいる。家族のために田舎暮らしを選択する人もいれば、反対に家族のために都市での生活を選択する人もいる。ヨセフとマリヤのように、一度故郷を離れ、また故郷に戻るという人もいる。政情不安定な外国では、まさに命の危険から身を守るために、他国に引っ越しする家族がいる。災害で移転を余儀なくされた家族もある。あの地方の人々の生活を助けるのだという使命感をもって、不便な生活、危険と隣り合わせの生活に身をさらす人たちもいる。人様々である。いずれ、移動ということは誰でも、多少なりとも経験することになる。私も数えてみたら、引っ越し自体は10回なのだが、十代の頃は、自分は福島県で一生を終えると思っていた。牧師になったばかりの頃は、いずれ東北の教会に仕えることになると思ってはいたが、秋田のことは全く頭になかった。秋田県の湯沢市に遣わされた時は、横手市に住むことになるとは全く思っていなかった。

今日の個所から言えることは、神さまはそれぞれの人に、またそれぞれの家族に、主イエスのために使命を与えていて、住む場所も定めておられるということである。それであるから、新しい年も、主イエス中心の生活を心がけていこう。そして、もう一つ言えることは、あなたの人生これまでという時まで、神さまは危険から守ってくださるということである。霊的には悪魔からの攻撃ということがある。悪魔は生まれた幼子を殺そうとしてヘロデ王たちを用いようとした。しかし、神さまは幼子のいのちを守り、ヨセフ家族を助けようとされた。神さまはそのために御使いをも遣わした。「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるために遣わされたのではありませんか」(へブル1章14節)。神さまは様々な手を尽くされる。あと一週間もすれば新しい年を迎えるが、神の摂理の御手、導きの御手、守りの御手にゆだねて歩んでいきたいと思う。また、家庭のリーダー、家長は、家族を守る責任があるということを、これからもしっかりと覚えていきたい。