アブラハムの生涯の講解メッセージは今回をもって終了させていただく。実は、アブラハムの生涯の記述は、続く24章のイサクの嫁選びの物語を挟んで、25章11節で終わる。アブラハムに関する主なエピソードとしては、今日の記事が最後である。今日の物語は、22章でアブラハムがイサクを全焼のいけにえとしてささげるように神に命じられた出来事から、約20年が経過している。この23章はサラの埋葬に一章が費やされている。当時は一族が代々使用する墓に埋葬室を設け、そこに遺体とともに、食べ物や陶器や指輪などの小装身具や、武器や道具や、他の愛用品などを納めたようである。副葬品を身に着けたまま葬られることもあった。遺体が骸骨になってしまったら、後ろのほうに寄せるとか、別の部屋に移すとか、骨箱に収めるとか、処置したらしい。現代は埋葬形態はバラエティに富むようになった。土葬あり、火葬あり、骨をプレートにして自宅保管とし墓を持たない人あり、散骨あり、お墓も合葬墓が増えてきている。県南には、保守バプテストの諸教会で管理する納骨堂がある。教会員とその家族が対象となっている。現代は墓じまいをどうするかという悩みを持つ方々も増えている現実がある。皆さんも墓の様々な問題に直面しているかもしれないが、アブラハムもそうであった。

「サラの一生、サラが生きた年数は百二十七年であった」(1節)。アブラハムはこの時137歳である。サラが死んだ地はヘブロンであった(2節)。ヘブロンは13章8節でアブラハムが祭壇を築いた地である。エルサレムの南南西30キロの地点にある。死んだサラの遺体をどうするかという問題あった。神さまを信じている人の霊・たましいは天に帰るのだから、死んだからだの処置はどうでもいいと聖書は書いていない。聖書は、信仰者の葬儀、埋葬という歴史的記述に目を留めさせようとしている。その一番最初の記述がサラの埋葬である。

サラの埋葬における一つの問題は、葬る場所の問題である。アブラハムは、137歳になっても土地一つ所有していなかった。彼は今、故郷のウルから旅立って約束の地カナンに住んでいた。しかし天幕を張って生活をする寄留者としてであった。アブラハムは15章で神と契約を結んだ時に、やがて子孫たちが他国で400年の間奴隷となり、その後、この地に戻って来るという啓示を受けていた。土地の所有はその後のことだという思いがアブラハムにあっただろう。アブラハムは生涯、寄留者として人生を全うすることに決めていた。しかしながら、アブラハムは財産があったのだから、少しは土地を所有していても良かったのではと思うのだが、信じられないくらい、土地の所有に関して淡白な姿勢で歩んできた。14章では中東の諸国を巻き込む大きな戦いがあった。アブラハムはおいのロトを救出するために参戦して、ロトを救出し、大きな成果を上げる。その戦績を認められ、ソドムの王から財産を受け取るように勧められた時に、彼は主に誓って、「糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない」と断ってしまう。土地一片をもらうどころの話ではない。21章後半ではゲラルの王アビメレクと平和条約を結ぶ場面があるが、アブラハムは自分たちが掘った井戸の権利だけ認めるように主張しただけである。土地に対しては、まことに淡白な姿勢を貫いていた。こうして晩年を迎え、サラが先に召されることになる。

サラが召される前に墓地は用意できなかった。サラが亡くなった後、土地の人と交渉に入る。「私はあなたがたの中に居留している異国人ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば私のところから移して、死んだ者を葬ることができるのです」(4節)。アブラハムが願っていたのは8,9節からわかるように、エフロンという人が所有していた、「彼の畑地の端にある彼の所有のマクペラのほら穴」であった。そのほら穴だけ譲ってくださいという都合のいいことは言えないので、9節後半にあるように、「畑地に十分な価をつけて」、私有の墓地として譲ってくれるように依頼している。彼は作物を作るための畑地を所有するつもりはないし、自分たちの居場所として土地そのものを所有するつもりはさらさらない。最後まで寄留者、居留民として生きる覚悟でいるわけだから。彼が求めたのは、あくまでも埋葬場所。彼は、サラを埋葬するのにふさわしいほら穴を見つけたので、私有の墓地としてその畑地を譲ってくださいと願い出ている。

当時、古代世界にあって土地の価値は高く、同族の者に売ることはあっても、そうではないよそ者たちに売ることはめったになかったと言う。普通に考えると、土地の交渉は難航するかに思える。ところが、交渉の最初に、意外にも思える答えが返って来る。「ご主人。私たちの言うことを聞き入れてください。あなたは私たちの間にあって、神のつかさです。私たちの最上の墓地に、なくなられた方を葬ってください。私たちの中で、だれひとり、なくなられた方を葬る墓地を拒む者はありません」(6節)。彼らは言わば異教徒である。けれども、その異教徒たちが、アブラハムを「神のつかさ」とまで呼んでいる。アブラハムはかつて、王アビメレクから「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる」(21章22節)と言われた人物である。アビメレクのほうからアブラハムに近づいて、平和条約まで結んでいる。アブラハムのうわさはカナンに広まっていただろう。アブラハムは王様たちと渡り合っている、アブラハムの神は凄そうだ、アブラハムは神の君主のようだと。ヘブロンの土地の者たちはアブラハムのうわざを聞いて只者ではないと思っていただろうし、彼らが見ても、アブラハムはただの居留者ではない、偉大な神の器だと感じ取っていただろう。「彼は何かにつけ天地を造られたという神に祈り、神を礼拝しているようだ。そして神の祝福は確かに彼に注がれている」。「神のつかさ」という呼び名は、最上級のほめ言葉である。アブラハムは証が立つ神の友であり、土地の人たちが一目も二目も置く、著名人となっていた。彼の申し入れを拒むことは得策ではないと、誰しもが思ったのだろう。「私たちの最上の墓地に、なくなられた方を葬ってください」とまで言っている。彼らはまた、高値で土地を買ってくれるはずだという推測もしていたに違いない。

アブラハムは当時のしきたりに則り、町の門のところで契約に臨む(10節~)。墓地にしたいという畑地には高額な値段が付けられた。15節で「銀四百シェケル」とある。当時のこの辺りの土地の評価額、変動といったことを私たちは知らないし、畑地の面積も記されていない。高額と言ってもどれだけ高額なのかはわからない。ただ、古代は、村全体の売却で百~千シェケルであったとも言われている。この村売却の価格は参考になる。とにかく四百シェケルは高額であったことはまちがいない。ここで、エフロンは高額を吹っかけてきたなと、そちらに関心を向けるよりも、アブラハムがこの申し出を聞き入れたことのほうに関心を向けたい。

アブラハムは高額を提示されることを、初めから予測していたはずである。交渉する時からそれを覚悟していただろう。アブラハムが四百シェケルという高額を支払ってもこの畑地を私有の墓地としようとした理由は、二つある。一つは、妻のサラにふさわしい墓地だったからである。マクペラのほら穴が最上の墓地だと踏んだ。「サラ」の名前の意味は何だっただろうか。「王女」である。17章15,16節と欄外註を読んで確認しよう。アブラハムは自分の妻だからというだけでなく、王女にふさわしい墓地を選ぼうとした。事実、彼女の子孫から王となる者たちが起こされる。サラの埋葬と比較できるのはイエスさまである。思えば、イエスさまは王の埋葬に与った。ヨハネの福音書で学んだように、園にある誰も葬られたことのない新しい墓に、香料をたっぷりと付けられ埋葬された。それは王の埋葬に匹敵する(19章38~42節)。ヨハネの福音書の一つの特徴は、イエスさまを王として描くことであった。イエスさまは家畜小屋で誕生し、田舎町のガリラヤの寒村で育つも、最後は王として埋葬される。それを担ったのはアリマタヤのヨセフであった。イエスさまは十字架につけられた犯罪人として亡くなったので、犯罪人用の墓地に埋葬されたり、ゴミ捨て場に捨てられてもおかしくなかったが、王にふさわしい葬りに与った。同じように、サラは王女にふさわしい埋葬を受けたと言える。アブラハムの愛も感じる出来事である。

もう一つの理由は、この地が約束の地だったからである。約600年後に子孫たちはこの地を所有するようになる。サラを葬ったこの地を中心に子孫たちが住むようになる。イスラエルの初代王ダビデは、最初の7年間、ヘブロンを首都と定めることになる。アブラハムは、「この地は神の約束の地。やがてこの地はすべて子孫たちのものになる」という信仰の確信に立って、その証として、この地を買ったことは疑いえない。アブラハムは先の先まで読んでいた。

思えば預言者エレミヤも同じ信仰を発揮した。エレミヤ32章にその物語はある。時期は、約束の地であった南王国ユダがバビロン軍の手に落ちて、国家が消滅しようとしていた時期である。ダビデ王によって始まったイスラエル王国も風前の灯で、首都エルサレムは陥落直前であった。敵の手に落ちるのは時間の問題であった。これで王国の歴史は幕を閉じる。誰の目にもそれははっきりしていて、確かにそうなる。にもかかわらず、神さまは、エレミヤに対して、エルサレム近郊の畑地を銀を払って買い取るように働きかける。買い取っても、すぐに敵の手に奪われることはわかっていた。エレミヤは無駄な買い物をさせられるのだろうか。エレミヤは主に訴える。「神、主よ。あなたはこの町がカルデヤ人の手に渡されようとしているのに、私に、『銀を払ってあの畑を買い、証人を立てよ』と仰せられます」(32章25節)。神さまの答えは、「見よ。わたしは、すべての者の肉なる者の神、主である。わたしにとってできないことが一つでもあろうか」(同26節)。そして驚くべきことが起こる。バビロンに捕囚となった民たちは数十年後にエルサレムに戻って来て、国を再建することになる。その地はイスラエル人によって再び畑が買われる地となった。神はエレミヤの信仰を試したわけである。アブラハムは、信仰者の父と言われるだけの人物だけあって、こうした信仰をすでに発揮していた。神の約束は真実、神にはできないことが何一つないと。四百シェケルは彼の信仰の証と言えるだろう。

アブラハムが高額を払ってもマクペラのほら穴を得ようとした理由をもう一つ上げるとするなら、家族の墓地とするためということがあるだろう。25章7~10節を読んでみよう。アブラハムは175歳の時に亡くなり、マクペラのほら穴に葬られている。イサクが75歳、ヤコブが15歳の時である。アブラハムは孫たちの顔も見て、神さまを第一にして生きていくのだよと教えて、長寿を全うして墓に入った。ここにはイサクとリベカも葬られ、ヤコブとレアも葬られる(49章29~32節 50章13節)。親子三代にわたって、この墓は用いられることになる。ちなみに、ヤコブの妻レアからユダが生まれ、イエスさまはユダの子孫としてやがて誕生することになる。

以上で、アブラハムの墓にまつわるお話は終わりだが、それぞれの墓の問題の参考にしてください。日本では墓と言えば、仏教の墓のイメージが強いだろう。しかしながら、仏教の発祥の地であるインドには墓はなかった。人が死んだら遺体を焼いて骨にし、ガンジス川に撒いて終わりだった。なぜなら、人が死んだら、六道輪廻のどこかの世界に生まれ変わると信じていたので、たましいの住処を地上に用意する考えはなかった。ところが、仏教が先祖崇拝を行う中国に渡った時、墓がない、先祖を拝む祭壇がない、では許されなかった。どうやって先祖を拝んだらいいんだ?ということになり、それで妥協が生まれ、たましいの住処、依り代としての墓が仏教に根づくようになり、また仏壇が生まれ、それが日本に渡ってきた。日本はもともとアニミズムの世界で、すべてのものに霊が宿るという思想であったため、墓に霊が憑依しているように思うのは難なく受け入れられた。

ご存じのように、キリスト教では、墓に霊が宿っているとは考えないので、墓は拝む対象ではない。「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれをくださった神に帰る」と伝道者の書12章7節は教えている。だから墓はあくまでも記念碑である。そこで故人を想い、故人の霊が神のもとに帰ったことを覚えて、神に祈るのである。キリスト教では、墓や納骨堂で記念礼拝を執り行ったりする。また墓は、この世に対して、よみがえりのいのちを与えてくださるイエス・キリストを証する記念碑ともなるわけである。墓石に、みことばを刻み、証とする方もおられる。

今日はサラの埋葬についてみたわけだが、日本では土地が狭いために、また衛生上の理由から、火葬が一般的になっているが、欧米では土葬がまだまだ多い。いずれにしろ、このからだというのも神さまから与えられたものであるので、それを丁重に葬るということは忘れてはならない。そして、できるだけ証となる葬儀、埋葬を考えるわけである。それをしつつ、葬られた方々に復活のからだが与えられる希望を、主キリストにあって持つわけである。私たちは、自分の家族の埋葬のこと、また、エンディングノートや遺言書作成によって自分の埋葬のことも備えていかなければならない。葬儀をどうするか、また墓地の準備など。日本ではお寺側との協議など、難問に突き当たることもあるが、その知恵も、主が備えてくださることを信じていきたい。死んだらどうせ天国だから、死んでからのことは煮るなり焼くなりどうでもいい、とはならないでいただきたい。すべてにおいて、主の御名があがめられることを願っていこう。