今日の場面で十字架刑が確定する。キリストの敵たちはあらゆる策略を練り、キリストを十字架刑に追い込む。敵たちは勝ったと思っただろう。けれども彼らは勝って負けた。神の知恵は人の知恵を超越しておられ、敵の勝利に見えた十字架を人類の救いの手段に変えてしまわれ、この十字架を通して、神は勝利される。

キリストの裁判は六回開かれたことを前回お話した。三回がユダヤ教側での裁判。残り三回がローマの国家権力によって裁かれる裁判。ローマ国家権力による裁判は、総督ポンティオ・ピラトの前での裁判、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの前での裁判、そして再び、総督ポンティオ・ピラトの前での裁判となる。ここで死刑が確定する。著者マタイはヘロデ・アンティパスの前での裁判は省略して、ローマ側での裁判を一つにまとめて描いている。

当時のイスラエルは、ガリラヤ地方は領主が治めていたが、ユダヤ地方はローマの直轄地となっており、ローマ総督が治めていた。ローマ総督ポンティオ・ピラトだが、彼は紀元26~36年の10年間に渡りユダヤ地方の総督を務めた。総督ピラトは今日の記事を見ると、弱腰で、それほどの悪人には見えないが、しかし他の歴史文書によると、そうではない。ユダヤ人と激しく対立を繰り返し、大勢のユダヤ人を虐殺したり、謀反を企てたサマリヤ人たちを虐殺したりと、けっこうな暴君であった。けれども彼は、こうした経験から、ただ力で抑え込むだけではユダヤ人の感情を逆なでするだけで逆効果でしかなく、自分の地位を危うくしてしまうことになると知り、この頃は、自分の地位を保つこと優先で、保身に走っている。

祭司長、長老たちはイエスさまの身柄をピラトに引き渡したわけだが、ローマの法律で死罪に定めてもらうためには、彼らの宗教的判決である、自分を神と等しいものとした、自分を救い主だと名乗ったという断罪は通用しない。そこがユダヤ教の裁判と違うところ。ユダヤ教側が、「イエスは自分をメシヤだと認めたので、我らの律法によれば冒涜罪にあたり、死刑です」と言ったところで、宗教の問題はこっちに持ってくるなで、そっぽを向かれるのがオチ。だから彼らは、イエスさまにローマ国家への反逆罪の罪を着せなければならない。よって彼らは、「この者は自分を王と名乗り、カイザルに背く者でございます」と訴えたのだろう。それでピラトは、裁判において、「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と問うている(11節前半)。イエスさまは自分が王であることは否定しない。イエスさまはユダヤ人の王であるどころか、聖書の証言によれば、全世界の王であり、天の御国の王なのである。イエスさまは、あなたは誰かという質問に対しては、大祭司の前でと同様に答えている(11節後半、26章63,64節参照)。そして大祭司の前で捏造の告発には一切答えなかったように、この場面でも告発に対して沈黙を守られる(12節)。被告人には訴えに対して弁明する権限があった。けれども、イエスさまは死罪が確定してしまうかもしれない国家裁判においても沈黙を守っている。訴えているのはユダヤ教側の裁判で偽証者を立てた祭司長、長老たち。この時もでたらめな訴えに終始したようである。ユダヤ教側の裁判の時は、神殿を壊す暴徒だといった偽証者を立てたわけだが、この裁判では宗教的理由を取り上げても仕方がない。政治的理由を取り上げなければならない。並行箇所のルカ22章21節を見れば、祭司長、長老たちは、「カイザルに税金を納めるのを禁じています」と偽証していることがわかる。完全なでっち上げである。イエスさまはすでに、「カイザルのものはカイザルに返しなさい」と公言されている(マタイ22章21節)。彼らはこうしたことの他にも、でたらめを主張し、告訴したのだろう。なんとかしてローマ皇帝カイザルの反逆者に仕立てあげたかった。イエスさまにとっては彼らに言い返す意味がない。彼らは一つ偽りの主張が斥けられれば、また別の偽りを持ちだすだけである。彼らは正義に関心がなく、イエスさまを処刑することしか頭にない。ピラトはイエスさまの沈黙に驚いている(13,14節)。

ピラトであるが、彼はイエスさまの沈黙に驚くと同時に、困惑してしまう。なぜならば、イエスさまは無罪であると認識していたからである。ユダヤ教の指導者側の訴えは事実無根で、ねたみのためであると認識していた(18節)。それほどに彼らの訴えは、相手にするのもばかばかしい陳腐な内容であったわけである。ピラトはイエスさまが潔白であると判断していた。ピラトはイエスさまが政治的危険人物でないことも見抜いていたようである。群衆が特赦候補にバラバを選んでしまった後も、「あの人がどんな悪い事をしたというのか」(23節)とイエスさまを弁護している。ピラトにこうもさせたのは、妻の見た夢も関係していた(19節)。ピラトの妻は伝説によるとユダヤ教改宗者で「神を敬う女」と言われている。夢というのは聖書においては啓示の手段の一つなので、彼女の夢は神からのものであることが暗示されている。またキリスト教側の伝承によると、ピラトの妻はこの後キリスト教に回心したと言われている。ピラトは妻の夢を聞いて、イエスさまを弁護する気持ちが高まった。でも、ピラトは、それを押し通し切れない。それは彼の政治的立場に関係していた。かつて彼はユダヤ人の神経を逆なでするような行為を平気でしていた。ユダヤ教の律法を廃止させようとして、カイザルの肖像のついた軍旗を、強引にエルサレムに立てたこともあった。またローマの神々や偶像が描かれた盾を神殿内に持ち込んだこともあった。反対するユダヤ人らを殺したことは先に述べた。けれどもこうした強引なやり方は益にならないことを学んだ。ユダヤ教徒と対立し、紛争となれば、政治手腕を疑われ、更迭される危険があった。結局、彼は保身に走り、イエスさまに死罪を言い渡すことになる。この判決を下したピラトの罪は重い。自分では無罪であるとわかっていたと言い訳しても話にならない。ピラトは言い訳の行為にも出ている(24節)。「手を洗う」というしぐさによって、イエスを十字架につける責任はわたしにはないということを表わしたが、空しいパフォーマンスに終わってしまった。しかし、イエスさまを十字架に追いやった陰謀者たちの罪はさらに重い。イエスさまは並行箇所のヨハネ19章11節で、ピラトに対して、「わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです」と言っておられる。

祭司長、長老たちにそそのかされた群衆も罪が重い。特赦の進言に対して、イエスさまではなくバラバを釈放し、イエスさまを十字架につけるよう叫んだ(20~22節)。23節では「叫び続けた」とあり、「十字架につけろ」コールは鳴りやまなかった。そして25節で、「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい」とまで言った。血の責任は自分たちがとってもいいということである。本当は血の責任なんかとりたくないはず。うそも方便である。神はこの血の責任を、さっそく紀元70年に取らせる。エルサレムはローマ軍によって占拠され、神殿は破壊され、市民は虐殺され、また捕虜となる。

そして、「十字架につけろ、十字架につけろ」と腹いせに叫んだ群衆の罪は私たちの罪でもある。罪と本来、神を十字架に追いやり、自分たちを王座につけようとするものである。自分の欲望を押し通し、罪を犯したい者にとって、聖なる神はじゃまな存在でしかない。ご利益だけ与えてくれていればそれでいいのである。「十字架につけろ」、しかし、十字架につかなければならないのは私たちのほうである。

この時、赦免の恩恵に与ったバラバについても触れておこう(15,16節)。牢獄につながれていた有名な囚人であったことから、単なる盗っ人とかではなく、政治的な扇動者であった可能性が高い。興味深いことは、バラバもまた「イエス」と呼ばれていたらしいということである。新約聖書の一番古い写本、シリヤ写本、アルメリヤ写本などでは、彼を「イエス・バルナバ」と呼んでいる。初代教父のヒエロニムスやオリゲネスもこれを知っていて、これは正しいかもしれないと考えていたようである。ピラトは17節と22節で「キリストと言われているイエス」と呼んで、イエスを他のイエスと区別しているような印象もある。実はイエスという名は当時にあってきわめて平凡な名前であった。旧約聖書のヨシュアに由来する名前である。紀元前後のパレスチナ・ユダヤ人の間で人気の高い男性名を調査した記録を見れば、一位~シモン、二位~ヨセフ、三位~ラザロ、四位~ユダ、五位~ヨハネ、六位~イエス、となっている。群衆は獰猛なイエスの釈放を求めて、柔和なイエスを斥けたということになるかもしれない。

死刑確定後は鞭打ちと兵士の嘲弄である(26~31節)。26節は「イエスをむち打ってから」と簡単に描写されているだけである。だが、ローマの鞭打ちは残酷であった。受刑者は裸にされ、手をうしろに回されて、背中を半分に曲げたまま柱に縛られ、鞭があてやすい姿勢にさせられた。鞭は長い皮ひもで、そのところどころに動物の骨の小片と鉛の小さな玉がついていた。十字架にかける前は、必ずこの鞭で囚人を打ち、「その裸体の肉をずたずたに裂いて露出させ、炎症と出血で、見るもみじめな姿に変えてしまった」と言われている。鞭打たれている間に悶絶する者もあり、発狂する者もあり、中にはこれで死んでしまう者もいた。

この後、イエスさまは総督官邸に連れて行かれ、兵士たちに嘲弄される。27節の「総督の兵士たち」はユダヤ人ではなく、事情をさほど知らない者たちである。彼らはイエスさまを、目だった問題を起こして十字架にかけられる一ガリラヤ人ぐらいにしか考えていなかったであろう。そして偽の王として嘲弄する。王冠の代わりに茨の冠をかぶせ、杓の代わりに葦を持たせ、王に仕立ててからかう。王に仕立てからかうというのは、古代ではしばし行われていたようである。そうしした文献が残っている。彼らは、つばきを吐きかけ、頭をたたいたお方が誰であるか、全くわかっていない。けれども、彼らが罪の片棒をかついだ責任はまぬがれられない。イエスさまの頭にかぶせられた茨の冠だが、茨は鋭いとげのついた雑草である。見ているだけで痛そうなのだが、それは聖書によると呪いの象徴である(創世記3章18節)。茨は頭に突き刺さり、痛みと出血をもたらすことになる。頭をたたかれたり、そのままの姿勢で倒れ込んだりしたのならば、茨は傷をさらに刺激し、激痛が頭を襲うことになる。これを想像するだけでたまらない。一晩で六回の裁判、そして激痛走る鞭打ちとこの仕打ち、これで終わらず、ここからゴルゴダの丘への道行きが始まる。本番はこれからなのである。

皆様は有名な讃美歌「血潮したたる」をご存じだろう。これは、バッハのマタイ受難曲に挿入されているコラールである。どの場面で歌うのかと言うと、今日の場面である。テノールの福音史家が、30節と31節をみことばどおり歌う(30,31節)。この30節と31節の間に挟まって歌われる合唱が「血潮したたる」である。原詩を紹介しよう。

 

おお、痛みと嘲笑に満たされ、血に染み、傷のついた主の御頭

おお、侮られ、茨の冠で飾られた主の御頭

おお、至高の栄誉と飾りで装われるべきなのに

今はこんなにも恥かしめを受けておられる御頭

あなたはわたしには慕わしい

 

あなたの尊い御顔よ、どんなに偉大な世の権力も

その御前に恐れおののくべきなのに、

何ゆえに、こんなにも唾をはきかけられ、

何ゆえに、こんなにも青ざめておられるのか

どんな光も比べることのできないあなたの御顔の輝きを

こんなにも傷つけたのは誰か

 

原詩は、主の御頭と御顔がどんなにもみじめなものにされてしまったかを訴えている。キリストは、宝石をちりばめた王冠をかぶる王としてではなく、茨の冠をかぶり、血を流し、のろわれた者となって、十字架に向かわれた。また御顔は傷つき青ざめ、目は腫れあがり、つばきをかけられ、侮辱され、みじめな姿で十字架へと向かわれた。それは全て、私たちの罪の救いのためであった。しかしキリストは、こうした場面で、自分こそは本当の王様だぞとか、神のメシヤなのだぞとか、何がしかのパフォーマンスはとられない。ただ、ほふり場に引かれて行く羊のように、犠牲のいけにえとなる囚人としてゴルゴダの丘に向かわれたのである。