今日のお話は「花婿を出迎える十人の乙女のたとえ」である。とても印象的なたとええある。これを見ていく前に、理解のために、当時の結婚に関するユダヤの文化についてお話しておこう。

男女が結婚するにあたり、二つの段階を通る。ひとつは婚約式である。聖書の舞台のユダヤでは通常、花婿の家で、幾人かの証人が立てられて行われたが、この婚約により、二人は法律上、正式の夫婦となる(ここが現代の私たちと大きく異なるところ)。婚約により、世間の目には夫婦である。けれども実際にいっしょに暮らすのは一年後の「婚礼の祝宴」を待たなければならない。ユダヤではこれを盛大に祝う。一週間続いたと言われる。律法学者ラビは「婚礼の喜びにあずかるためなら、律法の学習をやめてもよい」と言っていたほどである。

この婚礼の祝宴に先んずるのが、婚礼の行列(パレード)である。このたとえは、この婚礼の行列に関するものである。通常は夕刻、花婿と友人たちが花嫁の家に向かう。その家は隣町にあるか、どこかの近隣の村にあると想定される。その家から花婿は花嫁を引き取ると、花嫁とその付き添いのブライドメイドたちは、彼らとともに婚礼の会場に向かった。会場は通常、花婿の実家であった。しかし別の場所のこともあった。花嫁は生家を出ると、動物の背に乗せられる。そして花婿と友人たち、ブライドメイドたちは、陽気なエスコート行進を始める。行列はランプやたいまつで照らし出され、道沿いの人々からは、花嫁の美しさがたたえられる祝いのことばが投げかけられる。行列は、一番長い道のりを通って行ったとも言われる。最長の遠回りをして婚礼の会場へと向かった。つまり、村のできるだけ多くの通りを放浪し、村の人口の大半がその行列を見物し、お祝いのことばをかけることができるようにするという習わしである。

この婚礼の行列でスポットを当てられているのがブライドメイドたちである。彼女たちは花嫁をエスコートする役目があった。当時、花嫁は12~13歳。花婿がおよそ18歳。ブライドメイドたちは12~16歳の少女たちであったという。このたとえでは花嫁の言及がない。それでいろいろな憶測がなされ、いろいろな婚礼のパターンも考えられたが、このたとえにおいて花嫁の行動に注目する必要はない。その付き添いの行動に注目しなければならない。

彼女たちは美しく着飾り、新郎新婦を婚礼の会場へと導いた。ともしびを手にしながら。このたとえでは、その準備ができていなかった五人の愚かな乙女たちが登場するが、先ほどラビのことばを紹介させていただいたように、当時、婚礼の儀が重要視されていたことを覚えるならば、ともしびを整えておかなかった五人は、なんてことをしたのか、ということになる。この無作法は、花婿と花嫁に対する無礼行為、また親戚に対する無礼行為であり、婚礼そのものへの無礼行為。ブライドメイドたちは、実は花嫁の付き添いをまかせられることによって、自分たちの結婚の予行練習をしていたことにもなる。ともしびを整えていなかったということは、結婚する資格なしと言われても仕方がない。

使用した「ともしび」は二つの可能性がある。一つは「土器のランプ」。平たい円盤型の中空土器に小さな穴があけてあって、中に入れてある油に浸した灯心を、その穴から出しておく構造だった。この場合、7節の「自分のともしびを整えた」とは、灯心を調節し、油を加えた、ということになる。もうひとつは「たいまつ」である。木の棒に布切れが巻きつけてある。この場合、「自分のともしびを整える」とは、外側の布切れの層をはがし、残った巻きつけてある布を油でぬらし、再び火をつける。または布切れをすべてはがし、新しいのを巻きつけ、トーチを作り直す。これには15分かかったようである。

通常、乙女がともしび無しで夜間歩くということはなかったようである。彼女らの人柄の評判はともしび次第である。若い未婚の娘がともしびなしで夜間、戸外を歩き回るなどとんでもない話であるというわけである。ともしび無しであると、彼女は暗闇の中で何をしているのだろうか?誰といっしょなのだろうか?と詮索されてしまう。身の安全のためにもともしびは必要であった。ともしびは通常、顔の真ん前に持ち上げて歩く。それは自分が誰であるか、どこに行く途中なのかを村中の人が証言できるようにするためである。懐中電灯のように、低い位置にもつことはしない。道を照らすことが目的というよりも、自分の所在を照らすことが目的(車のヘッドライトと同じ)。

十人の乙女たち全員がともしびを持っていた。そしてどのともしびにも火がともされていた。では、めでたしめでたし、ではなかった。五人は油壺に余分のオリーブ油を入れてもっていたが、残りの五人は予備の油がない(4節)。3.11の大地震の時、ガソリンがない、灯油がない、電池がない、で慌ててしまった人たちは多いはず。しかし、この場合、別の意味で深刻。

しかし、彼女たちに同情できるという見方もある。花婿が来るのが遅れたのである(5節)。この遅れは想定外であったという言い訳は通じるのだろうか。通じている雰囲気はない。どうして花婿が送れるようなことがあったのか。花婿の家と花嫁の家は距離的にかなり離れていたのでは、という人もいる。花嫁の親類縁者と花婿の両親の間で贈り物をめぐってのやりとりに時間がかかってしまうこともあったらしい。いずれ数時間の遅れは常識であったという。マタイ22章では、王子のための結婚披露宴のたとえを学んだが、その際、招待が何度にも及んだことを見た。披露宴の料理の準備にどのくらいかかるのかわからないので、アバウトに先に開始時刻を告げておいて、食事の準備が整ってから、正式な時刻を告げに行くことをした。現代のように、一ヵ月も前から、きっちりした開始時刻を記した招待状を出し、当日、5分と遅れることなく始まるという、そういう文化ではなかった。遅れるのが常識であった。

でも「夜中」(6節)というのはいくら何でも、と思うかもしれない。しかし、それもあり得たのだという。ある方が次のような体験を記している。「わたしたちが、ガリラヤの町の門に近づいたときに、十人の乙女が華やかに着飾って、何かの楽器を奏でながら、わたしたちが乗っている車の前を、踊りながら歩いていくのを見た。あの乙女たちは何をしているのかと尋ねると、案内人は、あの女たちは花婿が来るまで花嫁に付き添うのだと言った。そこでわたしは、何とかして結婚式が見られないものかとたずねると、案内人は首を振って、『それが今夜なのか、明日の夜なのか、それとも二週間あとなのか、その時間は誰にもわからないのです』と答えた。それから運転手は、さらに次のように説明した。パレスチナの中流階級の結婚式では、花婿が花嫁の付き添いが眠っている間に不意を討とうとして、真夜中に来ることがあるが、来るときには、決まりとして先触れの男を送って、『さあ、花婿だ』と言わせなければならない。しかしその時はいつだかわからないので、花嫁の付き添いはいつでも町に出て、花婿を迎える用意をしていなければならない。・・・・ここで覚えておかなければならないことは、誰も暗くなってから灯りをもたずに外に出てはならないということ。また花婿が到着したら戸が閉まり、遅れてきた者は結婚式に参列できないということである。」

以上であるが、「花婿が花嫁の付き添いが眠っている間に不意を討とうとして、真夜中に来ることがある」というのは驚きである。この愚かな五人娘は何が悪かったのか、もう少し検証してみよう。眠ったことが悪かったのだろうか(5節)。眠ったこと自体はどうのこうの言えない。というのは、「うとうとして眠り始めた」その「みな」とは、賢い五人娘も入っていたからである。賢さと愚かさの分け目は、ともしびに表わされた花婿を迎える心備えである。

愚かな娘たちは、どこが愚かであったかというなら、4節にヒントがある。賢い娘たちは、油を入れる器、すなわち予備の油を準備していた。ところが、愚かな娘たちにはその備えがなかった。そして、ともしびが消えそうだという時、花婿が来た。なんというバツの悪いタイミング。愚かな娘たちは当然あわてることになる。賢い娘たちに油を分けてもらおうとする(8節)。しかし断られてしまう。これを賢い娘たちの不親切とみなしてはならない。もし分けていたら、最初のころは、ともしびが十人分ついているだろう。けれども途中で全部消えてしまう。婚礼の行列はユダヤの文化では非常に重要なものとみなされていた。最初のほうでお話したように、婚礼の儀式はその他の義務に優先されるべきセレモニーとまでみなされていた。それを台無しにするということはブライドメイドとしてはできないし、また、ともしびが消えるというのは最大の恥である。

愚かな娘たちは店に油を買いに行ったが、結局、祝宴に間に合わなかった(10節)。先ほど、「花婿が到着したら戸が閉まり、遅れてきた者は結婚式に参列できない」という話を紹介したが、その通りである。ここで「戸が閉められた」ということばが印象的。ノアの大洪水の際の箱舟を思い出す。「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた」(創世記7章16節)。愚かな娘たちはブライドメイドの役割を果たせなかったというのは、重大な違反行為。結婚関係者に対する無作法であり、侮辱行為。何よりも花婿に対してそうであった。彼女たちは祝宴会場から締め出され、恥を見なければならなかった。彼女たちは、キリストの再臨を待ち望む姿勢が足りないために、天の御国の祝宴から締め出される者たちを映し出している。

愚かな娘たちは、花婿の到来が遅れることを、十分に予期していなければならなかった。それとともに、いつ来ても良いように備えなければならなかった。彼女たちは、「今夜は来ない。明日の日中、油を準備すればいい」と思ってしまったのかもしれない。今日のたとえで、ブライドメイドたちは、教会、クリスチャンの比ゆである。私たちは賢い側となるのか、愚かな側となるのか、それはひとえに、私たちの信仰にかかっている。賢い娘たちが愚かな娘たちに油を分けてあげられなかったように、私たちは他の人たちの信仰の代わりをすることはできない。だから一人ひとりの問題である。

11,12節を見よ。愚かな娘たちは「ご主人さま、ご主人さま、あけてください」と呼びかけているが、「ご主人さま」は「主よ」ということばである。ここは7章21~23節のエコーである。そこで「主よ。主よ。」と言う者たちが御国から締め出されてしまうことが言われている。「主よ」ということばは25章11節で「ご主人さま」と訳されている。主イエスの名を呼ぶも、世と世にあるものを愛し、罪にふけり、主イエスを我が喜び、我が命とせず、主イエスを慕いあこがれず、献身の思いをもたず、待ち望む姿勢のなかった者たちは、「急ごしらえの信仰」ではもたない。御国の祝宴から締め出されてしまうのである。

最後に25章13節をご覧ください。賢い娘たちは、たとい、うとうと眠るも、意識はいつも花婿に向けられていた。いつでも出発する用意はできている。私たちに当てはめると、いつでも、「イエスよ、来てください」と未来が「今」に迫っている。心の重心は世のものにではなく主イエスにある。

十字架の聖ヨハネという人物は語っている。「あなたはその目をキリストのうちにのみ注げ。あなたがしっかりと見つめれば、キリストのうちにあなたの慕い求めるすべてのもの、それ以上のものを見い出すであろう。彼の上にのみ注げ。そうすれば、彼のうちに隠された驚くべきものを見い出すであろう」。

毎日、毎日、一時、一時、主イエス・キリストに思いを向ける生活を続けよう。そうするなら、この世のものに心奪われたりはしない。使徒パウロは弟子のテモテにこう諭した。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい」(第二テモテ2章8節)。キリストのことをいつも思う中で、キリストの現れを待望するようになるだろう。また、キリストにお会いすべく、自分自身を整えようとするだろう。使徒ヨハネはキリストの再臨を待ち望むことに関して、次のように語る。「愛する者たち。私たちは今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします」(第一ヨハネ3章2,3節)。私たちの思いをいつも意識的にイエス・キリストに向けよう。キリストをなにものにも優って慕い求めていこう。キリストにお会いする備えは、そのようなキリスト信仰の日々の中でなされていくものである。