自分の願いがある、夢がある、理想がある。けれども現実は、ということが色々あると思う。過去のことは幾ら悔やんでも変えられないことはわかっているし、でも現実をなんとかしたいという思いがある。しょうがないと諦めるのが肝心なのか、いや、変えてみせるとがんばるのか。例えば、顔はもう取り換えることはできない。換えられない。自分の年齢も変えられない。この前、病院の前を歩いて通っていたとき、病院の駐車場の年配の警備員の方が、先生に引率されて道を歩いている園児たちを見て、「あの頃にもどりたいなぁ」と言った。でも無理である。でも、すべてを諦めればいいのかというとそういうことでもない。一例を挙げると、第一歴代誌4章9,10節に登場するヤベツである。彼の名前の意味は「悲しみ、苦しみ」で、余り良い状況下にはいなかったことは確かだが、しかし、彼は、これは自分の運命、諦めるしかない、とは言わず、また、小さな地所でひっそりと暮らす一生でいいです、と言わず、「わたしを大いに祝福してください。わたしの地境を広げてください。あなたの御手がわたしとともにあり、わざわいを遠ざけて、わたしが苦しむことのないようにしてください」と祈り、その祈りは答えられた。変えられない現実と変えられる現実が複雑に絡み合っているのが人生である。

私たちは変えられない現実を前に悩んでしまうことがある。周囲は、その悩んでいる人を見て、無為な励ましをしてしまうことがある。ポール・トゥルニエは言う。「目が見えなくなったといって嘆いている老人に、『でもあなたはいい耳をなさっていますよ』と、むしろ好意のつもりでいう人がたくさんいます。彼らは、伴侶をなくして以来、孤独に陥っていると不平をもらす老人には、『だけどお子さんやいい友人がたくさんいるじゃないですか』と答える人たちです。こうした言い方は役に立つどころがむしろ有害です」。ほんとうにこういう励ましは、耳に空しく響いてしまうことがある。ポール・トゥルニエは個人的体験から次のように言う。「わたしの個人的な体験によれば、わたしが苦しみを耐えるのをほんとうに支えてくれた人々は、その苦しみを小さいものに思わせようとしてくれた人々よりも、心から同情し、わたしとともにその苦痛の全貌をしっかり見つめ、わたしといっしょにそれを耐えてくれた人々の方です」。ほんとうにそうなのだなと思う。そうしなかったのは、生きるのがせいいっぱいの重病を患っているヨブを慰めにきて、お説教を言って終わってしまった友人たちである。

本人は、変えられない現実の場合、時間をかけても受け入れていかなければならないということは確かである。受け入れるということであって、諦めるしかない、ということばはふさわしくない。それはその現実をしっかり受け入れていることではないからである。例えば、年齢以上にいつも若く見られたいと、そのことに異常なまでに意識が行っている人がいるとする。実年齢より30歳以上若く見られたいという願望があるとする。その人の場合、実年齢は、ひとつの不幸でしかないと思い込んでいる。だから諦めたくない。でも無理がありすぎる。じゃあ、諦めが肝心なのかというと、そうではなくて、諦めるというのは正しくなくて、自分の老いをありのまま受け入れるということ、現在の自分の真実をありのまま受け入れるということ、ありのままの自分を受け入れるということ。それがほんとうの意味で自分自身であろうとすること、自分自身と一致すること。ありのままを受け入れるというのは、諦めるという否定的意志とは異なっている。皆さんは今の現実を諦めているのだろうか、受け入れているのだろうか。そういう私も、どちらかというと、何かにつけ、しょうがない、諦めるしかないか、と思ってしまうタイプ。受け入れるという積極的意志とは違う。受け入れなくちゃと思っても、頭ではわかっていても感情がなかなかついていかない。受け入れるには時間がかる。一朝一夕ではいかないことがほとんど。しかし、時間がかかっても受け入れなければならない。多くの民族の間では、家族が亡くなった後、喪に服す期間を設ける。これは十分悲しむという過程を経て、家族の死という現実を受け入れるための期間。ところが現代は、葬儀が終わったら、翌日から忙しい仕事に復帰しなければならないという日常が待っている。悲しむ間もない。私たちは現実を受け入れる心の作業とその時間を意図的に持たなければならない。私たちの場合は神さまを知っているからこそ、時間がかかっても、現実を受け入れることができるはずである。

現実を受け入れた例は、聖書では使徒パウロがいる。パウロは何の病なのか具体的に記されていないが、ある時、その病を去らせてくださるよう三度祈ったとある。返ってきた主の答えは、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」。パウロはこの語りかけを受け、自分の弱さを受け入れて、こう言っている。「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(第二コリント12章7~9節)。これが勝利の姿である。彼は諦めたのではなく、現実を積極的に受け入れた。

私たちが夢と現実のギャップを受け入れることができないとき、ほんとうに自分をみじめなものにしてしまう。会社内で、同僚のミスで事故に遭って手に障害を負ってしまった方の話を読んだことがある。本人はことばには出さないが、障害を負ってしまったので会社で思うような働きもできないし、思うような地位にもつけないと、一生恨み節を心に抱えて生きていた。けれども同僚の前ではそのことをおくびも出さないし、自分にケガを負わせた同僚にも「大丈夫、大丈夫」と、気にしていないようなそぶりを見せていた。しかし心の中ではそうではなかった。独身に悩む方の話も読んだ。結婚できず独身生活は不幸だといわんばかりに、精神科医にまで訴えてきた方がいたそうである。自分は不幸だと、叫ばんばかりの勢いだった。今自分のものではない生活をあまりに夢見ることで、現実と夢との離反をさらに深め、結果、自らの独身生活をますます苦々しいものにしてしまっていた。現実と夢との離反(ギャップ)というものは誰にでもあるだろう。しかし、まず現実をきちんと受け止めるということである。そうすることで自分の現実を十分に生き抜き、自分自身を取り戻すということである。その現実に神の恵みをきちんと見ていくことができるまでに内省する必要がある。過去の振り返りの時間をもち、そこに働かれてきた神の恵みと導きの御手を見ていくことなどが必要である。そして今の時を見直す。その上で、変えることが許されるものは変えていくということである。現実と夢のギャップをテレビドラマでも見て埋めようとしても、しょうがない気がする。

わたしの好きなことばに、「どこにでも幸福を見出すには、謙遜な心をもつことです」というものがある。もし荒野の旅をしたイスラエルの民にこの心があったのなら、不平、つぶやきのたぐいは減ったと思う。「どこにでも幸福を見出すには、謙遜な心をもつことです」、このことばを紹介した女性の証を、お話の最後のほうでお伝えするが、ハンセン病に罹患したクリスチャン女性のものである。それゆえに重みのあることばである。「どこにでも幸福を見出すには、謙遜な心をもつことです」。このことばを紹介した彼女のモットーは、「神はわたしを愛しておられる。神のご計画が最善、みこころがなりますに。」そこには、諦めるしかないも、現実を受け入れたくないから変えなくちゃ、もない。「神はわたしを愛しておられる。神のご計画がこのわたしの上になるように。わたしが神のご計画を生きることができるように。神のご計画を生きることがわたしにとっての幸せ」。神のご計画を受入れ、現実のただ中に神の恵みを見出す時、どこにでも幸福を見出すことができる。このお方は、神の愛を信じていたので、人生のキーワードは、「みこころがなりますように」となった。この信仰に立つとき、諦めるしかないとか、この現実は受け入れられない、変えてやらなくちゃとか、そういうレベルを越えてしまう。主なる神が人生の中心となり、「あなたのみこころがなりますように」となる。

詩編37篇1節には「腹を立てるな」「ねたみを起こすな」ということばがある。新共同訳では「いらだつな」「うらやむな」となっている。このような精神は貪欲と関係していると言われる。それを手放し、「主のみこころがなりますように」とゆだねていくとき、真の幸福を見出す。「主のみこころがなりますように」という人の願いは、4節の「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」が暗示しているように、主のみこころにかなうものとなる。主の願いが自分の願いとなるのである。それが最善である。その願いは聞かれるのである。

では、ハンセン病に罹患したクリスチャン姉妹の証を紹介しよう。その名前はジェニー・リード。アメリカ人婦人宣教師である。1884年にインドの地を踏む。しかし体調不良を繰り返し1990年にアメリカに帰国する。下った診断はハンセン病(昔、らい病と呼ばれていた)。普通であるならば、もうこれで終わったである。ハンセン病は不治の病のようなものであったから。しかしながら、彼女が主に祈って決断したことは、インドに戻ることだった。彼女は友人にこう語ったと言う。「私には治るという確信がまだ与えられていないわ。たぶん、このままでいることが、神さまに最もよくご奉仕ができるということなのでしょうね」。そして、こう賛美したそうである。「天にある我が家を目指して わたしは進んでいきます 生きる時も死ぬ時も ただあなたを賛美して・・・ 神さま どうかみこころをなしてください」

こうして彼女が遣わされた地は、インドのヒマラヤ山麓のふもとにあるハンセン病患者の収容所であった。しかも所長として。彼女の手紙の一文を紹介しよう。「この山の収容所に来て六か月になります。その間に、病気がかなり進み、ひどい痛みに悩まされました。しかし、神さまのお恵みと栄光は私の上に満ち溢れています。永遠の御手が私を支え、絶えず信頼のうちにおいてくださいます。この御手がなければ、不安の波に飲み込まれてしまうことでしょう。イエスさまの愛だけが私の慰めであり、ゆるしであり、奮い立たせるのだということを改めて強く教えられました」。彼女の人生には、まさしく、23,24節のみことばが成就していったように思われる。「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒されてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手を支えておられるからだ」。「まっさかさまに倒されない」は「逆さに倒れない」ということば。逆さに倒れたら、その先はない。主の願いを受入れ、その道を歩むということは、肉体も心を楽々で、転ぶようなことはないということではない。だが主の支えの御手がある。

神さまが彼女にハンセン病を許されたのは、彼女がハンセン病患者に仕えるためであった。彼女はそのことを悟った。ハンセン病患者の気持ちを一番理解できるのはハンセン病患者。またハンセン病患者に一番受け入れられるのもハンセン病患者。ハワイのモロカイ島で、ハンセン病患者に仕え、伝道した、ダミアン神父の話は有名。彼は、ハンセン病患者たちが自分に対してよそよそしいのは自分が健常者だからだと気づく。そして、あえてハンセン病に罹患する手段を取ったと言われる。

ジェニー・リードが、収容所でしたことはハンセン病患者の看護だけではない。赴任したときに、納屋と馬小屋があるだけだった。そこに37人の患者が収容されていた。彼女は事業の拡大に乗り出す。土地の拡張、新しい施設の建設、職員の指導、建物の維持管理、運営全般、入所者のトラブル処理、そうした収容所の仕事に加え、礼拝の導き、三つの日曜学校、六つの学校での教育、また家庭に出かけて行っての教育、このように仕事は増えていき、こうしたことを自らも病魔と闘いながら行った。しびれ、だるさ等と戦いながら。だが彼女は不思議なくらいに、主の恵みによってハンセン病の悪化から守られ、こうした職務を全うしていった。それは奇跡と言っていいと思う。

彼女は自分が患った病を意識しながら、ラスキンという人のことばを引用して、次のように述べている。

 

人生という楽譜には、ところどころ休止符があります。人間はそれを、時々「曲」の最後だと早合点します。この休止符は、神がその楽譜の中で、病気や事業の失敗などをおいて、強制的に賛美の合唱をやめさせて、しばらく休ませるためのものなのです。そうであるのに、人間はそれを、神にささげるべき音楽が絶たれてしまったと思って、嘆き悲しむのです。

神さまは、ご計画なしに、人生の楽譜をお書きにはなりません。この曲を練習して、どこで休止符に出会っても、うろたえないようにしたいものです。

「求めなさい。そうすれば、神さまは、タクトを振り続けてくださるでしょう。」

 

彼女のすばらしいところは、何があっても、神の愛を疑わなかったこと。ハンセン病に罹患した後、しばらくの間、葛藤が続いたと思うが、もう自分の人生は終わったと嘆き、諦めることをせず、かといって、この現実は受け入れられないと自己憐憫や反感の思いに浸ることもなく、自分に対する神のご計画に思いを馳せ、「みこころがなりますように」と従っていったこと。それはただハンセン病の現実を受け入れたということだけではなく、誰も行きたくないような任地を選び、そこで、神のご栄光を現したことである。彼女は、ただ、神さまの書かれた楽譜に従って、神さまの指揮に合わせ、自分の人生を刻んでいこうとした。「休止符」とは、それはただの休みではなく、次のフレーズにつながるものである。彼女も、その事を受け取った。ハンセン病は次につながる休止符にすぎないと。そして神さまのタクトに目をやった。

私たちはロボットではないので、自分の願いがある。夢がある。好みがある。自分の願った人生スケジュールというものがある。それらを神さまに祈っていい。思い通りにいかない感情を神さまにぶつけてもいい。神さまに自分を開示して、自分の心と思いを神さまに素直に差し出すべきである。泣いてもいいし、叫んでもいい。詩編の作者たちはそうしている。その過程で、自分の道よりも神さまの道の高さというものを知るようになる。その道を発見するようになる。今、自分はその道の途上に置かれていると気づくことになる。けれども、その道を受容することには抵抗を感じてしまうことがある。またこれから神さまの道を選択しなければならない人にとっては、その示された道に踏み出すことは人間的に不安が大きく、信仰が必要とされることにおじまどったりする。世の片隅の小さな地所で、地境なんか広げずに暮らしたい。日曜日は礼拝に行くけれども、もうそれ以上は神さま勘弁してください、と思いたくなったりする。できるだけストレスになることは避けたいと願う。自分がやらなくてもいいでしょ、と思いたくなる。別の道を選びたくなったりする。そうした戸惑いが大方ある。神さまが具体的に自分をどう用いようとされたいと願っておられるのか、まだ霧がかかっていて見えないということもあるだろう。しかし、5節である。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」。ここに行き着くしかない。

無人島に持って行きたい曲で、必ずあげられる曲に、バッハのマタイ受難曲がある。最近知ったのだが、その歌詞の中で、詩編37篇5節がもとになって作られた詞がある。「あなたの行く道と、心の思い煩いを、天を統べ治める方の変わることのない守りにゆだねなさい。その方は、雲にも大気にも風にも行くべき道を与えてくださいます。そのお方は新しい道を見つけてくださるでしょう。あなたが歩むことができる道を。」

神さまは雲にも大気にも風にも、そして私たちにも、道を備えてくださる方である。お一人おひとりが、謙遜な姿勢で神の恵みを見い出し、神の愛を信じて、「主のみこころがなりますように」と積極的に主のみこころを受け入れる心備えをし、自分の道を主にゆだね、主の道を歩み、主の願いを成し遂げ、これまで以上に、主を賛美するお一人おひとりになっていただきたいと願う。